いつもこのブログでは、基本的に解剖学的なことや練習の論理的な理解などをメインに書く事にしています。それは、このブログを「参考書」として役立ててもらえるのが私の望みだから。
また、私自身が身体の働きや意識の仕組み、方法などをより明確に理解したり、知らぬ間に持っていた誤解を解いて「なるほど!」と体験するのが好きだからというのもあります。
だから、楽器演奏&アレクサンダー・テクニークの研究や最新発見をもう気付いたその日にでも書いて読んでもらえるようにしています。やっぱり楽しいからね。
でもきょうは、ちょっと毛色のちがう話。
アレクサンダー・テクニークは「無意識の自動化した不必要な緊張反応をやめる」(Wikipdeiaより)メソッドなわけですが、この「緊張」というものは、まあものすごい微細なレベルからでも身体に存在しているわけですね。
敏感な人や、あるいは身体感覚の観察の訓練を積んだ人なら、思考が身体の緊張の原因である事実はご存知だと思います。焦っていると肩が凝ったり疲れやすいという体験を誰しも経験済みだと思いますが、この「焦っている」という状態って「焦るようなことを考えている」わけですよね?
・明日までに仕上げなきゃやばい、どうしよう、怒られる!
・しまった財布を忘れた。もう間に合わない。大損した!
・早く改善しないとオーディションに落ちる。やばい!
こういうことを「考えて」いるからこそ「焦り」の感情が生まれ、そして身体も相当緊張しています。実際に身体的に極度の不快感や痛みが伴っているでしょう。
そう、鍵は「思考」なんです。
ものすごく夢のようにうまくいった本番ってありますよね。その一方で、普段からなんだか思うように吹けていなくてしっくりこない本番もあります。むしろ普段から常に微妙に「なにかおかしい」と感じているかもしれません。
つい最近、私は私の「しっくりこなさ」を生み出している思考パターンが見えてきました。
・自分はいつまでも下手くそでダメ。
・いまだにこんな音を外しているようじゃ、望みはない。
・ちゃんと当てなきゃ。当てられない自分はダメ人間だ。
・この音域でうまくコントロールできないのは、自分が向いていないからだ。
そんなことを頭のどこかで考えているんです。
そして、それらの考えは恐ろしいものだから、それを打ち消そうとして
「外れないように正しく吹こう」
と思っています。
これが緊張なんです。
なんだかしっくりこないのは、この思考の生み出す身体の緊張が原因です。
アレクサンダー・テクニーク教師養成課程で専門的に学び始めてちょうど3年が経ちました。自分の動きの観察や、緊張/アンバランスを察知する能力はどんどん研澄まされています。
そうすると、ちょっとした緊張にも気が付くようになります。その緊張があってもなくても、表面上は音は鳴るしフレーズもこなせる。でも、何かがおかしい直感があります。
それは奏法や、あるいは自分の才能がおかしいわけではない。自分が無理をしている、あるいは自己否定に基づいて自己改善をしようというパターンで練習に臨んでいる。それを気付かせようとする身体からのメッセージです。望みや喜びを動機とした練習よりかは。
いや、そもそも練習をするのも本番をするのも、音楽が大好きだから誰しもやっています。その根源的な喜びが、どんな緊張や苦しみもよりも遥かに強いから私もあなたも飽きずに楽器をやっているわけです。
そこに、緊張と苦しみを自分で付け加えているんです。何かを怖れているから。「自分はダメだ」という深く隠れた想いと、それを何とか克服しようと焦っている気持ち。根本的なレベルで自己否定をし、自己否定に反応して動いているから、消し去りがたい不穏な緊張と気持ちを抱えます。
私はこの、「間違いたくない」という衝動と、その衝動への反応としてやっている身体の緊張がクリアに見えてきました。そこで練習をするときに、この種の反応を微妙にでも感じ取ったら、意図的にこう考えてみることにしました。
「間違っていいんだ」
「自分はこれで大丈夫だ」
「自分はこれでいいんだよ」
字面だけ見ると、何だか自己啓発系の気休めに過ぎないように見えます。
でも、もっと大切で必要不可欠な作業です。
なぜなら、これは身体の不要な緊張を取り除き、最善のバランスが自然に発露するための脳から身体へのメッセージだからです。
つまり、うまくなるための作業。
決して自己満足や甘やかしではありません。
むしろその逆。自己否定や無理、変な厳しさは身体を緊張させており、あなたのベストの能力を阻害します。ベストを尽くせというならば、自己否定や「間違えては行けない」というメッセージはむしろ「手抜き」であり「甘ったれている」と行っても過言ではありません。
自己否定は「いまの在り方ではダメ」という脳から身体へのメッセージになります。それが本当に状況に見合っていたらいいのですが、見合ってないものは単なる緊張になります。「ダメ」というメッセージはあっても、具体的に現実的に「何をしたらいいか」というメッセージはないので、身体は混乱して緊張します。身体は否定を理解しないのです。
その思考と緊張の繰り返しに慣れきってしまった身体に対しては、意図的に何回も何回も「いま大丈夫なんだ」というメッセージを与えてあげる必要があります。
どこか緩むまで、どこか安心するまで、何かが変わるまで、このメッセージを自分に与えてから音を吹いてみて下さい。なかなか変わる実感がなければ、音を出す前に20回心の中で唱えてから音を出して下さい。吹き心地や音に変化はありましたか?
もし無いとしたら、それはあなたが吹く直前に自己否定「外しちゃいけない」「ちゃんとやらなきゃいけない」という類いのことを思っているからです。
私の場合は、このメッセージの重要性に気が付き試しているうちに(といってもこの1週間の話です)、常に自分のどこかに存在していた「自然な吹き方」と「自分らしい音」が分かってきました。
すごく新鮮なものなのですが、それは「あーこれだった」というどこかで知っていた感覚が伴います。私たちは否定されることに慣れきっていますから、自分を受け入れて現れるこの「どこかで知っていた自分の本当の吹き方」が出現すると、「何か間違っているんじゃないか」という不安を感じます。
でも、この吹き方、
・しっくりくるでしょう?
・楽しいでしょう?
・ラクでしょう?
・「これだ」という直感があるでしょう?
自己否定の魔の手である不安を信じないで下さい。
変わりに「これだ」という身体の直感を信頼しましょう。
身体はストレートに「これだ」という返答をくれます。
体験された方はご存知でしょうが、アレクサンダー・テクニークは心の重荷を鮮やかに解放してくれることがあります。
実はアレクサンダー・テクニークの本当の醍醐味はこちらにあります。身体のバランスが改善され、理想的な奏法に一歩近付くと、本当の自分の能力がひょこっと顔を出し、自然でありのままの自信が感じられるのです。
「自分はこれでいい」という深い信頼とともに。
もうあと数ヶ月でアレクサンダー教師資格取得という段になってきました。
身体の仕組みや動きのテクニック、意識などテクニカルな面やノウハウのコーチングで上達をサポートする。そういうコーチとして人を助けたい、優れた才能の発揮を後押ししたいという夢があります。
そしてより深くには、音楽と楽器を演奏する自分が好きだという自然で素晴らしい気持ちを自己否定の渦から引き出してあげたい。そういう「先生」でありたいという想いもあります。
いずれも、自分が自分のために、多くの方々のサポートを受けて実現しつつあることです。
ひとに伝えると言う事は、自と他をつなぎ、人間らしさに触れるという事なのかもしれません。