大好きな曲を移調してさらえば、それは創造的で、飽きのこない、『意味』のある音階またはアルペジオ練習になる。
ある曲を『できるようになるため』に『演奏能力を身に付ける』必要がある『から』基礎練習をする、っていう考え方は、『まだできない、まだ力が及ばない、演奏したい曲を演奏する資格がまだはい』という泥沼にはまりこむ危険がある。
向上心はアートの要だけれど、向上心がいつの間にか自己嫌悪にとってかわられる。
自己嫌悪は、創造を阻む。
曲を演奏していても、できないところや難しいところに意識がいく。
曲を曲としてではなく、自分の足りない能力を試される試錬のような緊張した気持ちで演奏してしまうことになりやすい。
うまくいっても次できるかどうか不安。うまくいかないと、敗北感があり惨めな気持ちになる。もはや音楽をしていない。
対照的に、できるできないでなく、その曲が好きで自分にとって何か意味があるから演奏することを繰り返していると、技術的な難しさは音楽的な必然に感じられ、恐れていたより意外にちゃんとできたりする。
そのときの『できる』があなたの生きた『実力』だと思う。