【楽器奏法・身体運用の決定権】その6

前の記事https://basilkritzer.jp/archives/21673.htmlに続いて、この記事では私自身の経験を傍証としながら金管楽器奏法の「選択肢」と、選択の自己決定の重要性を主張したいと思います。

私はホルンを演奏していますが、ホルンの奏法・ホルン演奏時の身体運用について5つの側面で象徴的な体験をしています。

それは

・「顎を張ること」について
・「唇を横に引くこと」について
・「マウスピースの位置」について
・「呼吸法」について
・「姿勢」について

です。

この記事では、「姿勢」について述べます。

***

このシリーズの最後の論点である『姿勢』については、これまでより少し議論が曖昧になります。

なぜなら姿勢論は金環奏法論の主眼、専門ではないからです。

姿勢はどちらかというと解剖学、運動生理学などのより科学的、医学的な見地からの研究や情報が多く、金管奏法論の世界はそこから少し借用する程度で深くは立ち入りません。

わたしは、楽器演奏の姿勢論は科学的なアプローチよりは、武道・武術・ヨガ・エネルギーワーク・気功・ボディワークなどの世界に触れるほうが現状はヒントが多いのではと思います。

楽器演奏においての答えは、『実際やってみて、うまくいくか?どう感じるか?』という奏者本人にとっての機能性と感覚で確かめるまで導き出せないと私は、考えます。客観性より主観が重要な世界だと思うのです。

そういうわけで、先に挙げた武道その他の領域は楽器演奏に繋がる・重なると思います。

これらの領域は科学的ではありませんが、非科学的というのは悪いことでなく、科学的な定義での客観的な検証や再現性が得られない・馴染まないというだけです。

似非科学ではないし、サイエンティズムに陥っていないのです。

また、医学的もしくは科学的に良いとされる姿勢であっても、やってみないことには自分にとって本当に有益かは判明しません。

姿勢においても選択肢が重要になります。

【選択肢】
・良いとされる姿勢で演奏してみる
・悪いとされる姿勢で演奏してみる
・自分がラクと感じる姿勢で演奏してみる
・姿勢のことは一切考えずに演奏してみる

どれを選ぶかは、姿勢の持ち主、つまり奏者本人の自由に帰属するものです。

ですから、姿勢の指摘や指導も、

「姿勢が悪い」
「こういう姿勢にしなさい」

ではなく、指摘する・教える側の『案』として「例えばこうしてみたらどうなるだろう?」という実験をする形の方が適切だと私は考えます。

そして、指摘する・教える側は、自分の案の結果が全く予想外のものになる可能性を排除してはなりません。でないと、それは有益性の無いことや有害なことを押し付ける危険をはらむのです。

また、姿勢の良し悪しを判断するにあたり、目視ではそもそもかなり曖昧な判断になるのではないでしょうか?

・いったいどれくらい背中が曲がっていたら猫背なのか?

・いったいどれくらい背筋を伸ばすのが正しく、どこからが反りすぎなのか?

・そもそも骨自体の個人差や個別事情や、肉付きの個人差が猫背かそうじゃないかの印象に影響を与えていないか?

など、判断が非常に難しいことだと思うのです。だからこそ先に答えを決めてそれを当てはめるのではなく 選択肢をして比べてみる方が良いのではないか、というわけです。




このような考え方は、特に何も難しくないし至って論理的でもありますよね。

でも、こういう論はあまり見たことがありません。

それは私固有の経験や感じ方を反映しているのであって普遍的ではないからかもしれません。

言い方は難しいところですが、わたしは自分の身体のことをとやかく言われたり、他人の考えに合わせて動かすことが何故かとても嫌です。なので、整体などで姿勢に口出しされるのは不快です。一方、鍼治療ではそういうことはなく、自然と体が整う感じがあり、姿勢のことを良い意味で忘れられるのが好きです。

これは私の主観的体験についての言及であり、整体一般の批判ではありません。

あまり、そういうことを言う人は見聞きしたことありませんので、もし読んでいる方に共感していただけることがあれば、この言及をしておいた甲斐があったというところです。

***

これで以て、【楽器奏法・身体運用の決定権】についての論考を一旦終えたいと思います。

ブログでは読めない話もたくさん!ぜひメルマガをGET♪

レッスンの申込や出張依頼などについては、こちら!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です