自己肯定は、宗教なんかでも甘えなんかでもない。

日本では、音楽しているひとの多くが、はじめて間もないころから才能あふれるプロフェッショナル奏者や後進の指導にあたる教師たちまで、「計画的な自己肯定」を必要としています。

それは、わたしたちが「計画的で意図的な自己否定」を、音楽生活を作り上げていくための中心的な原理として採用しているからです。ただし、それを採用しているかどうかは、意識的な場合もあれば、もはや気付いていないくらい当たり前になっていることもあります。

どこかで、

・苦しめば苦しむほどよいことだ
・望むような演奏をできるようになるためには、たくさんの苦しい思いが「必須だ」
・上達する過程が、楽しく喜びあるものであるはずがない

と思っていませんか?

もし思っているとすれば、それはまさに、自分が演奏をするという事自体や、演奏した結果、演奏に取り組む姿勢を否定することから入る「自己否定方式」の産物です。

もちろん否定のすべてが悪いわけでも、なんでもかんでもポジティブになりましょうなどと言っているわけではありません。

何かを肯定するための、何かの否定ならば、問題ありません。何かを肯定している限りは、そちらに向かって進んでいけるからです。

たとえば、朝寝坊ばかりで練習する時間を逃してしまう自分を否定しても、変なことにはなりません。なぜならその否定は、「練習したい」という自分自身の 望み を肯定し、実現させる方向への力となっているからです。

問題となるのは、自分自身の望みを覆い隠し、前に進むための力を奪いさってしまうような自己否定です。

同じ否定的な言葉を使っていても、あるひとにとってはそれは何かを肯定し前に進む力になっていることもあれば、別のひとにとってはまるっきり反対で気を滅入らせ心を傷付ける一方になっていることもあります。

見極めるポイントは、

・進みたい方向に進めているという意味で、自分自身のためになっていて
・かつ統合的な幸福感があるかどうか

です。

肯定的な言葉でも否定的な言葉であっても、上述の2点をクリアしているならば、それはいずれも「自己肯定」となるのです。

きっとあなたの周りには、自己肯定的で建設的で健全な物事の考え方や取り組み方にとかく文句をつけるひともいるでしょう。そして、あなたを否定し、自分を傷付ける副作用だらけであなたの上達や幸福にはほとんど寄与しない「自己否定方式」を支持し、押し付けてこようとするでしょう。

彼らは結局のところ、あなたの成長や健康に興味がありません。自らの経験だけで偏見を持って判断し、自分自身を助けようとするあなたの努力を見下し、軽蔑し、やめさせようとします。

そういった意地悪に呑み込まれず、自信を持って「まともな」やり方を続けていくために役立つのが「計画的に自己肯定すること」です。

こういったことをテーマに扱うレッスンやセミナーでは、そのための方法を様々な具体的な問題や場面を想定して解説しています。

自己肯定をしようとしたり、肯定的な言葉を意識的に用いようとしているだけで、「宗教っぽい」だとか「不自然だ」とか難癖をつけるひとはたくさんいます。

しかし、彼らは忘れています。怪しい宗教の洗脳の多くは逆に徹底的に自己否定をさせることで、そのひとをズタズタにするテクニックを用いていることを。

自己肯定は、宗教でも気休めでもなく、自分自身の最高度の上達と最大限の幸せを健全に両立させていこうとする至って「常識的」な試みなのです。

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