みずから作る教師像

ある年、フランス・パリからマリー・フランソワーズさんという哲学好きのちょっとエキセントリックな先生が来日されていました。

BodyChanceという学校の最大の特色は、

「世界で最も優れた教師たちが、そしてとにかく色んな先生が教えにくること」

です。

ジェレミー・チャンスさんという方が校長なのですが、この校長の方針で、あえてスタイルや考え方が相互に異なる、むしろ相互にぶつかったり矛盾したりする点もしょっちゅう出てくるような先生たちを呼んでくる。先生たちは、教え方や考え方は異なってもお互い仲良しなのはエラいです。

学んでいる側としては、偉い先生たちが教える事が相互に食い違ったりするから、実はかなり大変。贅沢な学習環境ゆえに「?が正しい」と、ひとつの考え方に安易にすがれない。実はある意味とっても厳しい学習環境でもあるんだ、と思います。

それが校長の意図のようです。

「うちの学校は、やり方として生徒が成長する/技術を身に付けるのにとても時間のかかる方式。教え込んで即席でスキルだけ作っちゃわないから。4年間で幅広い考え方に触れて、混乱して、自分で考えて、取捨選択して、自分で理解を作り上げていかなきゃいけない。自立的でなきゃいけない」

と以前言っていたのを今回は思い出しました。

マリー・フランソワーズの教えは劇薬でした!

普段教えている校長先生や、もうひとりの中心的な先生であるキャシー・マデン先生の教え方の一番特徴的な部分をバッサリ斬っちゃったのです。

学校で目にする/吸収する教え方の比率としてはこの教え方がやっぱり多いので、学校のなんとなくのスタイルなものもやっぱり存在するんですが、それの一番特徴的かもしれないところを、一刀両断に「まやかしだ」と斬り捨てちゃった。。。。

僕の中では激震が走りましたよ。

「今後どうしたらいいんだ、今までのは全部間違ってたのか?」って。

でもそんな不安は大したものではありませんでした。

なぜなら、その点以外の説明や考え方、取り上げるテーマや理解の構造などが、驚くほど最近の校長の教えていたこととピッタリ一致していたから。

つまり「教えている事」「伝えている内容」は一緒なんです。

これが興味深くて注意深く話を聞き、質問もたくさんしました。

その中で分かってきたのは、「理解すべき内容」に「至る道」の違いなんだということ。

手法に関する意見が校長とフランソワーズ先生とでは衝突しているのかな、ということ。
それでも共通している部分が多いから、思い切ってその点を確認していました。

するとフランソワーズ先生は、

「価値観がちがうのよ」。

……そうか。

理解も構造も一緒、手法の意味も一緒。
それなのにどうしてこれだけ相互に矛盾している印象を受けるのか。
価値観だったんですね。

フランソワーズ先生は、非常に正確で明確な理解を持っておられて、詩的ではるけれどとても実践的で核心を衝く説明を繰り返ししてくれました。

それでいて、観点と価値観が全くこれまで教えられてきたものと異なってたから、世界が広がりました。

いままで、一番触れる機会の多いある特定の「教え方/やり方」の目に見えてわかりやすい部分を抽出して「こうやっとけば大丈夫」というインスタントな理解にちょっと陥り気味の自分に気付かせてもらえました。

そのおかげで、自分の考え方を含む心身全体の一つの習慣に気が付くことができ、ある「不要にやりすぎ/頑張りすぎ」だった事をひとつやめることができました。その結果、非常に楽になった部分があります。それで体調も良くなった。

こんな贅沢であり同時に厳しい学習環境があるのは、ちょっと奇跡的です。

いまの世の中「はやくできるようになれ。とにかくできるようになるのが最優先」という教育が主ですが、

それと真逆で

「迷いなさい。混乱しなさい。自立しなさい。自分で考えて見つけなさい。そのための環境は最高のものを用意します」

なのだから。

こういう場の存続と発展が、自分がここで仕事をしていくための意欲と意義なんだと思います。

Basil Kritzer

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