9月中旬から、2年前から知人に借りているナチュラルホルンでまた久しぶりに遊んでいます。
吹き慣れたモダンのフルダブルとは、重量も形も音程も音色も音質も当然ずいぶん異なります。
しかしそのおかげで、たくさん恩恵があります。
「ホルンを吹く」という行為を、異なる条件設定を通して学べるからです。
まず、右手のベル内での操作が音を作ることに関係します。
息と、唇と、手と。音が全て身体で作られるのが、面白いです。
するとモダンのときに、左手のロータリー操作の意味がより分かったし、音を出す作業とロータリーを操作する作業を協調させることに意識を向けられるようになりました。
また、重さと形状の違いから、「ホルンを持つ・支える・動かす」ことがナチュラルホルンではずいぶん異なった感覚があります。
それで「持つ・支える・動かす」ことにより意識が向いて、その動作のモダンのときに出る癖が減りました。腕っていうのは、呼吸にものすごく関係しますし、もちろん持ち具合動かし具合が自由になれば、当然アンブシュアに対しても変化がありますからね。
アンブシュアの感じもなんか変わります。
一言で言うと、力みが減りました。
なんでかはよくわかりませんが、お
そらくモダンのときは腕との関連もあって、楽器の重量がアンブシュアにのしかかっていたのだと思います。それに抵抗する労力をアンブシュアにさせていた。「吹く」こととは無関係の労力ですよね。ナチュラルホルンだと、その重量がまず少ないのと、持ち方動かし方に新しい感覚が伴う事でより意識的になったので、その余分な労力を「やめる」ことができた。「やめて」音を出す感覚を経験すると、モダンに持ち替えたときに、前の労力有の吹き方の感覚が対比として見えやすくなるので、それを「やめる」ことができました。結果、モダンでもアンブシュアのはたらきが良くなりました。アンブシュアのしんどさが無くなったり減ったり。
あと、ロータリーがなくて、音を変えるのがアンブシュアの動きと手の動き&手の動きに合わせたアンブシュアの動きじゃないですか。
それでだと思うんですが、アンブシュアの使い方がちょっとうまくなる気がするんですよね。僕の場合は、モダンであった横に引いてしまう動きが減りました。これは腕や呼吸とも不可分に結びついているとはいえ。
ナチュラルのときは、アンブシュアが全体的に優しく前と真ん中方向へと方向付けられていないと、あんまりうまくいかないんです。それで、そこまで意識しなくてもけっこう自然と「前/真ん中」にアンブシュアが整えられていくような経験をします。
これがナチュラルという条件に負うところが大きいのか、それとも異なる条件から得られる異なる感覚を通してこれまでの癖を抑制する(やめる)ことができた結果なのかは、断言できません。たぶん後者が実態だと思うけれど。
で、こういう変化を経験してモダンを吹くと、やっぱり良いんですよね。
条件や環境を変えることで新しい気付きを自分に与えるっていう方法は僕にとってはけっこう新しく使えるようになったものです。最近は、フルート、ナチュラルホルン、モダンフルダブルホルンの三種類の楽器をとっかえひっかえ吹いています。「慣れない感」があればあるほど、良い感じ。学生のときは怖くてできなかったですね(笑)。
でも真面目な話、「慣れない」=「怖い」ってのは、失敗することを恐れているからなんだと思います。成功の秘訣がどんどん未知に進んで失敗を喜んで受入れる、失敗をどんどんすることだとしたら、実は「怖い、失敗してはいけない」という考えは逆に失敗の素になるという…..。うーん、学校教育とこの社会の嫌らしさですな。
ただし、いつまでも環境や条件を新しくしていく事に頼ってもいられません。
新しい条件で「気が付いた」から変わったのであって、新しい条件が変えてくれたわけではないですから。肝心なのは「新たに気が付く」こと。
同じに見える条件や環境でも、身体は毎日変わっているし、自分は毎日どこか新しい。ということは、オープンに興味を持って観察し、積極的に試行錯誤していくマインドさえあれば、全く同じ楽器だけ吹いていても、毎日どころか一つの音を吹くたびに新たに気が付いたり変えられる事が出てくるはずだと思うんです。いくらでも新鮮さと面白さを見出せるはず。それを実現していくのが、今後の自分の課題かなあ。
あと、お借りしたナチュラル、ローBb管にできるんですけれど、これが面白いんです!長管がなぜか性に合うのは前から知っていましたが、最近は短い管でもまんべんなく取り組めるし楽しめるようになってきてはいました。とはいえ、一昨日からローBb管でも遊んでみると、やっぱり…エエわあ(笑)なんかほんと吹き甲斐があるんですよね?。なんでやろ。
ほとんど自然倍音でシュトラウス1番さらえちゃうからね(笑)これが楽しいんです。邪道かな??