前回「ソロコンテスト関西大会〜自己否定方式を見直すその3〜」の続きです。
【うまくなるのはおかしい?】
これまで、わたし自身が自己否定方式を使い始めたいちばんのきっかけとして、中3で出場したソロコンテストにまつわる一連の出来事を挙げてきましたが、よくよく考えるとそのもっと前から、もう少し微妙な形で自己否定を始めていたように思います。
記憶は断片的で曖昧なのですが、中1や中2のころ、「ひとつうえ、ふたつうえの先輩たちより高い音がちゃんと出せるようになってきた」ということが起きていました。
そのとき、わたしは「そんな自分は何かおかしい」と思ったのを覚えています。
おかしな話ですが、自分がひとより才能があることが表面化するのを避けようとしていたように思えるのです。
これも、心理学的には、突出したり目立つことを避けて集団に受け入れられようとする自然なことなのかもしれませんが、いずれにせよわたしはホルンを始めたかなり早い段階で、自分で自分の成長にブレーキをかけたくなるような気持ちを抱いていたのです。
そして、たぶんその通りにしはじめたように思えます。
根本のところで
「うまくいくのは、何かが間違っている」
「自分がホルンで成功することは、ありえないことだ」
と固く信じるようになったのだと思います。
【見えないブレーキ】
この信念のようなものが、その後常にわたしにブレーキをかけてきたように思えます。
気持ちの表面では、うまくなりたくて仕方がない。
でも奥底では、うまくなるなんて有り得ないことだ、と思っている。
高校生ぐらいなると、かなり物事を自分で論理的に考え、自分の頭で観察し分析して「こうなのではないか?」という結論を導き出すようになります。
きっと奥底で「うまくなることなんて有り得ない」という信念を持っていたからかもしれませんが、高校生になるとわたしは「上達するためにひたすら頑張って練習しなければいけない」という考え方や理屈に強い反感を覚えるようになりました。
吹奏楽部の中でも、またいろんな書物でも、そういう「練習あるのみ」という感じのことや、根性論的な話はよく接していました。
そういったものが実に嫌いになりました。納得がいかないし、理屈になっていないし、何かがおかしいと感じたからです。
その反発を原動力に、自分で考えた練習のやり方や、非根性論的な練習方法を述べている書物などに準拠して練習をするということを始めました。
そうすると、素晴らしいことに、そういう練習のやり方は非常に効果が高く、自分がうまくなっていく実感が感じられました。このときの体験が、いま教えている内容に直接つながっています。
しかし、自分が「辛い努力をせずに」上達していくことに、大きな大きな恐怖感を感じてもいました。
「ほんとうに自分は、こうやっていれば、これからもうまくなっていくんだろうか?」
「ラクをしすぎなんじゃないだろうか?」
「どこか根本的に奏法に間違いがあって、いつかうまくいかなくなるんじゃないだろうか?」
そういう不信の声がつきまとっていました。
それはいま思えば、前々回の記事で述べた
「いろんなものを犠牲にして、苦しい思いをしながら、歯を食いしばって、耐えて、頑張らなければならない。自分はダメな存在だから」
という自己否定の信念からの声でした。
そういう信念の影響下に自分があることを、そのころは理解できていませんでした。
ですので、その信念が「正しい」という証拠になりうる事柄にばかり、注意が向いてしまい、物事は結局すべて「自分はダメだ。もっと苦しい思いをして頑張らなければいけない」ことを指し示しているように見えてしまったのです。
そして、自分を痛めつけながら歯を食いしばって練習する、という根性論的で自己否定的な練習のやり方をわざわざ再開してしまうのでした。
もちろん、それを始めると調子がおかしくなり、吹きづらくなって、自信をなくします。
それが耐えられなくなって理性的な練習をして、調子を取り戻してはネガティブな信念の声に負け、また調子を悪くして…..
そんなことを繰り返した高校3年間でした。
【不信に負ける】
この、「うまくいっているのに、結局不信に負けてしまう」というパターンは、振り返ってみるとその後もところどころ象徴的に出現しました。
なかでも極めつけは、大学に入学してすぐのころのこと。
2回目のレッスンのときに師事していたホルンの先生に、
「きみのそのアンブシュアでは、決定的に低音に弱点を抱えるだろうね。大きい音も苦手かもしれない。でも、高音奏者としては素晴らしいものになれるチャンスがある」
と言われました。
わたしにはそれが「最後通告」のように聞こえました。「きみのその吹き方では未来は無い」と言われているようにしか思えなかったのです。
しかし、何度思い出しても先生はそうとは言っていませんでした。
「アンブシュアを変えるのもそのままでいくのも、きみの決断」
と言われていたのです。
でもわたしには
「そのままでは未来は無い」
としか受け取れるなかったのです。
果たしてわたしは、アンブシュアを変えることを選びました。
新しく変えたアンブシュアでは、低音の問題は解決され、音色も豊かになりました。
しかし、高い音は全く鳴らせませんでした。チューニングBbの上のEbくらいが最初は精一杯でした。
「前のアンブシュアでは未来が無い」
と思い込んだが故の変更でしたから、
「じゃあ新しいアンブシュアでどうしていけばいいか」
ということは分かりませんでした。
結局わたしは、それまでできていたことができなくなり、一からやり直し、という状況に陥ったのです。
数年分の後戻りだったと思います。
いまになって考えると、「アンブシュアのせい」と考えていたその頃の限界や問題は、もしアンブシュアを変えようとしなくても、アレクサンダー・テクニークを取り入れていけば大きく変わり突破できていたことでしょう。
そして、いまでこそ分かることですが、アンブシュアも自然と変化していったことでしょう。アンブシュアは、独立したものではなく、身体全体と関係していますから、「アンブシュア『を』変える」という発想そのものがおかしいのです。
音大に入っていたのに、演奏能力がいったん初心者レベルに戻るというのは大変ショッキングな体験でした。わたしはそれにより、自信を失い、引け目を感じ、人前で演奏することが「とてもじゃないけれどひとに聴かせられるようなものじゃない」と感じて、できなくなっていきました。
そういった心の傷は、いまでも完全に癒えたわけではありません。もしこの出来事がなかったとしたら、わたしの演奏者としての成長はもっともっとスムーズに進んでいたことでしょう。
しかし、それを引き起こしたのは、わたしでした。「うまくいっているのに、結局不信に負けてしまう」このパターンでやってしまったのです。
わたしの演奏家としての未来を損ねたのは、わたし自身でした。
【前進をさせてくれたのは、希望の部分】
わたしのなかの強烈な自己否定と自己不信。それに基づく自己否定方式によるものごとのやり方。
しかしわたしはそれに身を預けきりはしませんでした。
なにかがおかしい。
こんなはずはない。
自分にはもっと能力があるはずだ。
演奏家になっていくという過程は、もっと希望や喜びがあっていいはずだ。
幸運なことなのか不思議なことなのか分かりませんが、わたしの中にはそういう強い気持ちもありました。
その気持ちが、わたしに理性的で建設的で論理的な練習のやり方を模索させてくれました。
いまわたしが多くの人の伝えているアレクサンダー・テクニーク、楽器の練習方法、物事の考え方は、その模索の中から見出していったものです。
よく、「ポジティブシンキングですか?」と聞かれることがあります。
しかし、わたしは自分のやっていることが「ポジティブシンキング」であるとは考えていません。
破滅的で自分を損ねる一方の自己否定方式に対し、
・理性的
・建設的
・論理的
なやり方を試し、洗練させ、提案しているだけなのです。
これはポジティブシンキングではなく、
「やりたいことをやれるようになっていくための方法」
なのです。
そしてそれは、ごくごく自然なものごとのやり方なのです。
その「自然なこと」が、自己否定方式に慣れているひとからすると、
「ポジティブ」
「自己肯定的」
「前向き」
という形容詞で言い表したくなるのだと思います。
つまり気の持ちようだとか、自己暗示だとかそういう類いのものではなく、
「破滅的な自己否定方式から、もっと自然で、自分を育てていけるようなものごとの考え方・やり方へと変えていく」
ことを練習し訓練して自分自身に少しづつ定着させていくものなのです。ある種のスキルだとも言えます。スキル(=技術/技能)は、反復練習を通じて培われていきます。
多くのひとにとって不慣れに感じるであろう自己肯定方式も、そうなのです。
このシリーズでは今後、楽器演奏の練習や本番におけるさまざまな側面に関して、自己肯定方式がいったいどのようなものになり、どのように使い、どのように反復練習するかを提案していきたいと思います。
【次回予告】
次回は練習という行為そのものについて、自己肯定方式の原理を当てはめられるか、考えていきます。
高校2年のユーフォ吹きですが、私はバジルさんとは逆で後輩の方が綺麗な音がでているとまわりに言われ、自分の音がすごく嫌いになってしまいました。それからはどんどん吹けなくなってきている気がします。どうやったら前に進めますか?
ひかりさん
「後輩の方が綺麗な音がでている」
「自分の音は汚い音だ」
それを信じているから、不調になります。
「後輩の方が綺麗な音がでている」
⇨絶対100%真実ですか?
「自分の音は汚い音だ」
⇨絶対100%真実ですか?
雑音の入った音と言われることが多いです。唇が上手く振動していないのでしょうか?
ひかりさん
ひかりさんの不調の「原因」を探るなら、まずはそれふぁ始まったときの思考がポイントです。
人が何を言うか、はあまりあてになりません。
「後輩の方が綺麗な音がでている」
⇨絶対100%真実ですか?
「自分の音は汚い音だ」
⇨絶対100%真実ですか?