前回「ソロコンテスト京都大会〜自己否定方式を見直すそ2〜」の続きです
【劣等感を感じながら関西大会へ】
中3の冬で出場した、ソロコンテスト京都府大会。同じ中高一貫校の吹奏楽部の、高校生の先輩2名も高校の部で出場していました。
ひとつ年上の先輩が落選したことは先に述べた通りですが、もうひとり、3歳年上の先輩は見事、京都府代表に選ばれました。
この先輩の演奏もまた、本当に見事に美しいものでした。
3人で出場するということで、一緒に学内発表会などもしていました。その発表会でのこの先輩の演奏に鳥肌が立つほど感動しましたし、よく練習を盗み聞きしてひとりでゾクゾクしていました。
そんな先輩と一緒に、京都府代表として(わたしは中学の部、先輩は高校の部ですが)関西大会に出場できるとなったわけです。
しかし、いま思い出してもわたしにはなんとなく「申し訳ない気持ち」の印象しか残っていません。先輩はこんなにこんなに上手で、素敵な本当の演奏ができる。でも自分は音を外しまくって、まだまだ荒っぽい….。
せっかく自分も代表に選ばれたにも関わらず、感じていたのは劣等感ばかりでした。
こうやって振り返ってみると、この劣等感は実に理不尽なものです。大人になったいまは、自分の演奏やポテンシャルを多くのひとが評価してくれていたことが分かるのですが、当時はそれを全く信じられていませんでした。
劣等感とそれに基づく自己否定が支配していました。
なぜなのだろう?
振り返ってみてもいまだによく分かりません。どうしてここまで劣等感を感じているのか。
きっと生い立ちなどが関係しているのでしょうが、現時点で明確な因果関係は分かりません。
しかし、ここで思い出したことがあります。
それはわたしのピアノ伴奏をしてくれていたのは、やはり3つ年上の、とても上手なホルンの先輩だったということです。
その先輩もまた、ずっと憧れでした。
確か、この先輩も本当はソロコンテストの出場を考えていたはずだったのですが、気胸になってしまって数ヶ月間ホルンはお休みせざるを得なくなったのです。そこで、後輩のわたしのために伴奏をしてくれることになったのです。
その先輩のためにも、最高の演奏をしなければ、と気負っていた面もあったように思えます。
落選してしまった先輩。
出場したかったけれど伴奏に回ってくれた先輩。
そこに対する罪悪感もあったように思えます。
こういった、劣等感や罪悪感といったものは、心理学的にはもっと幼児期からのことが根っこにあるのかもしれませんが、いずれにせよこういった感情が自己否定方式への強力な推進役になってしまったように思えます。
【目の前で先輩が全国大会へ….】
さてさて、ソロコンテスト関西大会本番。
数週間前の京都大会の反省を活かして臨み、結果的には、とくに音楽表現の面において自分なりにそれなりに満足できる演奏ができました。
中学の部と高校の部は同じ日に開催されていたので、午後の先輩の演奏を生で聴く事ができました。その演奏は本当に素晴らしいものでした。
この先輩は本当にエゴや欲が無く、「とにかく誠実に良い演奏をしよう」とだけ心がけていらっしゃいました。
…全てが終わって、結果発表。
わたしは特に賞は頂かず、関西大会止まりとなりました。
一方で、高校生の先輩は見事、高校の部関西代表として全国大会への出場を決めました。
すごい!
かっこいい!!
そんな興奮が駆け巡ったあと、わたしの中に芽生えたのは
「努力の差が出てしまった….」
「自分は出来る限りの努力をしたのだろうか…..」
「すごい、うらやましい、自分はなんてみじめなんだろう….」
そういう想いでした。
せっかく自らの演奏に一度自分なりに Good と思えたにも関わらず、「結果」や「評価」の差を見て、自分のそれまでの努力やその日の演奏、そして能力そのものもまるごと自己否定を始めてしまったのです。
このときにわたしは、
「自分には、あの先輩たちのような才能がない」
「自分は劣っている」
「自分は努力する姿勢が足りていないダメなヤツだ」
という自己イメージを強固に作り上げたように思います。
そしてこの自己イメージが、わたしの楽器演奏への取り組み方のあらゆる面に影響力を持つようになりました。
【自分を不調に導いた自己否定】
もっと規則的に正しい練習を重ねなければ…..
もっと基礎的な練習をいっぱいしなければ….
もっと本番に強くならなければ…..
自分の悪いところを直して排除しなければ….
そういう声が自分の心の中にこだまするようになりました。
ここからわたしは、自分の演奏能力への自信を失いました。
そして、ホルンがそれまでよりもっともっと難しいものに感じられるようになり、吹いていると力みや強い不快感を感じるようになっていったのです。
ホルンへの苦手意識や、嫌な力みの感覚は、実はいまでも払拭できていません。
おそらく払拭できるものではないのでしょう。いちど深く自分の心に刻んでしまったものは、忘れたくても忘れられないのかもしれません。
【褒められたことを記憶から消していた】
ですから、中学時代より、このソロコンテストの後に続いた高校時代の方が、ホルンを自由に扱えないような気持ちがしていました。
先日、高校時代の先輩たちと呑む機会がありました。
そのとき先輩のひとりに、
「おまえ、高校のときほんとにうまかったよなあ」
と言われました。
わたしは心底驚きました。
「え?そんなことないでしょう。全然吹けてなかったですもん」
すると先輩は
「はあ?なにいうてんの?おまえ他の学校のひとらからもよく知られてたやんけ、立命館(わたしが通っていた学校)にめっちゃうまいホルンのやつがいる、って」
「え!そうなんですか!….全然知らなかったです…..」
何気ないやりとりでしたが、とても印象に残りました。
まず、なんだかとても嬉しかったこと。高校時代の自分に言ってもらったような気がして、高校時代の自分がそれを受け取っている感じがしました。
そして、そんなことを全く知らなかったということにも衝撃を受けました。
…..あんなに強く自己否定しながら、みじめな想いを感じる時間が長かった高校時代の演奏生活。それと、そのとき受けていた評価とのギャップ。一体どういうことなんだろう?
するとうっすらと、そういえば確かに高校時代に色々な人から褒められたり評価されたことを思い出しました。
でも、高校時代のわたしはそれを
「嘘だ」
と本気で思っていたのです。
「褒められたけれども、まだあそこが足りない、ここが足りない」
「褒められたけれども、音大に行けるかどうか分からない。もっと頑張らなきゃ」
「褒められたけれども、それで調子に乗ってはいけない。自分にもっと厳しくしなきゃ」
そう考えて、「褒めてもらえた」「評価された」ということを、一生懸命打ち消して、自分の中に染み渡らないように拒んでいたのです。
それぐらい、
「自分はダメだ。だからいろんなものを犠牲にして頑張らなければいけない」
という自己否定の自己イメージが、見るもの聞くものをすべてねじ曲げたり、はねつけたりしていたのだと思います。
もしあの頃、自分に届いていた「きみはホルンが上手なんだよ」というメッセージを、もっとそのまま受け取り、受け入れられていたとしたら、わたしはホルン演奏に関してもっともっと自信を育んでいたことでしょう。
そしてその自信が、様々な困難や壁があろうとも、打ちのめされずに前を向き、自分のペースで努力を重ねる推進力になっていたはずです。
それこそが、順調に健全にうまくなっていく道筋ですよね。
代わりにわたしは、自らが選んだ自己否定的な自己イメージに基づき、苦手意識、緊張、不調、自信のなさにエネルギーを注いでいくようになってしまったのです。
【次回予告:自己肯定と自己否定のせめぎ合い】
次回は、中3のソロコンテストのときに決定的になった自己否定方式に対し、もっとちがうやり方があるはずだと考えるようになったこと、それでも自己否定の声にどうしても呑み込まれてしまうこと、その経緯を振り返っていきます。
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