自己肯定していては成長できない、と不安な方々へ

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当ブログのコメント欄に、ホルンをされている B さんから、質問があり、そこからコーチングセッションへと発展しました。

自分の考え方が、自分の願いや成長にどれぐらい役立っているか。
あるいはブレーキになってはいないか。
そのあたり注意深く掘り下げ、観察しました。

【Bさん】

こんばんは。

自分は大学の部活動でホルンを吹いている B というものです。

最近、このブログで読みはしても実行に移してこなかったことを積極的に行うようになりました。

すると練習がスムーズになり、疲労が少なく、自分の体への気づきが増え、何より日々の練習が楽しくてたまらないものになりました。

そして自分の心にも敏感になりました。

今までは気付かなかった、自分の心がどんなことを考えているかということにも気づけるようになりました。その中の一つに極端に言うと「自分の一番汚い音が自分の実力である」というものがあります。もう少しソフトに言えば「不調の時が自分の実力」ということになるでしょうか。

そんな中バジル先生のtwiiterを眺めていたときあるツイートが目にとまりました。「楽に演奏できた時はまぐれなどではなく実力だ」という旨のツイートです。

この考えがすんなり自分に入ってくればもっと練習が楽しいものになりそうな予感がしています。ですが自分だけではこの考えを取り込めそうにありません。

もしよろしければそのお手伝いをしていただければ幸いです。そうでなくても何かお返事を頂けただけでもう感無量です。
よろしくお願いいたします。

【バジル】

コメントありがとうございます。

この考え方を「したい」けれども、「させてくれない」思考があるわけですね。

どんな思考、ノイズが頭に浮かんできますか?

【Bさん】

こんにちは。

バジル先生、回答していただきありがとうございます。

ノイズとして思い浮かぶのは

「どんなにいい音が鳴ったとしてもそれはマグレで、自分の能力の範疇を超えたものである」というもの、
「自己否定を続けていないと上達には結びつかない」というもの、

一つ目の思考と関連して

「『マグレ』を自分の実力と『勘違い』したら周りに調子に乗っていると思われてしまう」

の3つが、いま思いつく限りでは、あるのではないかと思います。

【バジル】

なるほど。

「自己否定を続けていないと上達には結びつかない」

これが根幹ですね。

では尋ねます。

「自己否定を続けていないと上達には結びつかない」

これは本当ですか?

本心、感情の答えを言って下さい。Yesでもかまいません。

【Bさん】

アレクサンダーテクニークに接するようになってからいくらか自分に肯定的に接するようになれたので、YESと言い切ることはないですがNOといいきることもできません。

もし仮に「自己を肯定さえしていれば上達できるか?」という問いがあったとしたら、100%自分はNOと答えます。

上達するために大なり小なり自己否定のエネルギーは必要不可欠ではないかと感じます。

【バジル】

正直な返答をありがとうございます。

では問いかけてみます。

「自己否定を続けていないと上達には結びつかない」

これは 絶対・100%・揺るぎなく 真実だと思いますか?

【Bさん】

100%真実ということはないと思います。現に自分を肯定するようになってからできるようになったことが増えた気がしますから。

ただ自分の長所に注目して練習していると、ふと「これでいいのか」と何か大事な忘れ物をしてしまったんじゃないかと不安なときのような感覚に襲われることがあります。

自己否定は上達に必要不可欠ということをそう考えたくないのにもかかわらず頭のどこかで考えていることもまた事実です。

もしかしたら本当は考えたくないことを考えてしまっているということにも問題があるのかもしれません。

もしかすると「上達には自己否定が不可欠」という思考は自分が上達するために必要だった思考の技術=癖なのかもしれません。

もしそうならばその癖に直接向き合うのでなく、また別の思考の技術が必要になるのでしょうか。

【バジル】

OK, では目を閉じて、

「自己否定を続けていないと上達には結びつかない」

と考えてみてください。

そのとき

・身体はどうなりますか?
・身体はどんな感じがしますか?
・どんな気分になりますか?
・どんな感情が湧きますか?

それらの状態のとき、

・自分はどんな振る舞いをしますか?
・自分はどんな行動をとることが多いですか?
・人付き合いはどうなっていますか?
・他者との関係はどうなっていますか?

【Bさん】

いつの間にか眉間にしわが寄っていました。顔がこわばる感じがします。

心臓を誰かに軽く握られているかのような感覚になります。

目をつぶっているのも相まってか孤独感を強く感じます。終わりの見えない課題に追われているような途方もなさも感じます。

うまく表現できないので簡潔に言うと義務感と恐怖を感じます。

それらの状態の時、
何事にも関心がないような振る舞いをすると思います。

何もしたくなくなってただ時間が過ぎるのを待つようになると思います。

自分の殻に閉じこもろうとしてしまうので人付き合いをしたくなくなると思います。

自分は周りの人にとって価値の薄い人間と思うようになると思います。

【バジル】

すばらしい。ここまで「自分の状態」に考察を深められたのは、非常に意義深い事です。

では、この状態は、好きですか?

もし好きでなければ、目を閉じて想像して下さい。

練習、あるいは本番の前に楽器を手にしている自分を想像します。

これから練習に向かおうというときに、もし仮に「自己否定を続けていないと上達には結びつかない」という思考が、なぜだかチラリともよぎらなかったとすれば、どんな感じがするでしょうか?

その思考を消す、ということは不可能ですから、ただ想像するだけでよいのです。

もし仮に「自己否定を続けていないと上達には結びつかない」という思考が、なぜだかチラリともよぎらなかったとすれば、どんな感じがするでしょうか?

そのとき

・身体はどうなりますか?
・身体はどんな感じがしますか?
・どんな気分になりますか?
・どんな感情が湧きますか?

それらの状態のとき、

・自分はどんな振る舞いをしますか?
・自分はどんな行動をとることが多いですか?
・人付き合いはどうなっていますか?
・他者との関係はどうなっていますか?

【Bさん】

楽器が軽いだろうと思います。

自然体でいられるような気がします。

変な言い方ですがこの環境の中で自分がここにいるということがはっきりとするような感じがします。周りの色々なものが見えるような、視界が開けた感じがします。

ホルンを使っていろんなことがしたくなるような気がします。

そんな時、練習もしくは本番の中で笑顔が出ることがあるかもしれません。

好奇心が旺盛になっていろいろ見たり聞いたり触ったりしたくなると思います。

ゆとりのあるというか、心が開けた感じになると思います。

自分も相手も尊重できるような感じ?がします。

【バジル】

すばらしいですね。

これが「自己否定を続けていないと上達には結びつかない」という「絶対真実ではない」思考が、存在しなかったとしたら、あるいは信じ込んでいいなかったとしたら見えてくる、自分本来の自然な状態です。

では、

「(自分は)自己否定を続けていないと(自分は)上達には結びつかない」

という文章をいろいろと変えていきます。

①文中に2カ所ある否定形の、最初を肯定形にして書いてみてください。
→・その思考(文章)はどんな感じがしますか?
・その思考(文章)が本当である可能性はありますか?
・可能性があれば、3つ例を考えてみてください。

②文中に2カ所ある否定形の、うしろを肯定形にして書いてみてください。
→・その思考(文章)はどんな感じがしますか?
・その思考(文章)が本当である可能性はありますか?
・可能性があれば、3つ例を考えてみてください。

③文中に2カ所ある否定形の、両方を肯定形にして書いてみてください。
→・その思考(文章)はどんな感じがしますか?
・その思考(文章)が本当である可能性はありますか?
・可能性があれば、3つ例を考えてみてください。

④文中に2カ所ある(自分は)を、(ひとは)にして書いてみてください。
→・その思考(文章)はどんな感じがしますか?
・その思考(文章)が本当である可能性はありますか?
・可能性があれば、3つ例を考えてみてください。

【Bさん】

「自己否定を続けていると上達に結びつかない」

ここに打ち込むと、なにか核心をついている文章のような感じがします。
可能性があると思います。
自己否定を続けていった果てにはきっとボロボロになってしまうから。
自己否定をしていても上達した実感があまりわかないから。
自己否定による萎縮や緊張は楽器を自分らしくふけるときの自由さを妨げるから。

「自己否定を続けていないと上達に結びつく」

そんな方法もあるのか、といった感じです。
可能性もあると思います。
自分が小さいころ、自転車に乗る練習をしていたとき「1メートル進めたけど結局転んでしまった。それはまだハンドルの握り方がダメだからだ」なんてことは考えていなかったから。それでも自転車には乗れるようになったから。
自己否定をしなくても上達のアイデアが見つかるという実体験があるから。
自己否定をしなかったらきっとありのままの、自然体の吹き方ができるから。

「自己否定を続けていると上達に結びつく」

まずそうな薬をあなたのためだから飲みなさいと言われている感じです。
可能性はあると思います。
実際ホルンを始めて自己否定を続けてきて、始めた頃よりは上達しているのがわかるから。
上達には反省も必要だと感じるから。
自己否定を続けて上達してきたのだろうという、楽器のうまい先輩や友人がいるから。

「人は自己否定を続けていないと人は上達に結びつかない」

そこまで言い切れるかなーといった感じです。
可能性がないと言ってしまってもいいと思います。

【バジル】

すばらしい。

Bさんにとって「自己否定を続けていると上達に結びつかない」というのが、新たな真実として深く響いているようですね。

これからは、どんなことを意識的に「思う」ようにしながら練習すると良い気がしますか?

【Bさん】

あれこれと考えた結果今の自分に一番フィットしそうなのは「上達のためには自己否定だけではなく、様々なアプローチがある」という考え方です。

積極的に自分を肯定してあげるもよし、ホルンに息を入れると音が鳴るということをただただ楽しむもよし、今回バジル先生にアドバイスを求めたように誰かの助けを借りるもよし。

多様なアプローチをいろいろと試してみたいと思います。

あと上達のハードルをもう少し下げてみようと思います。

先生、自分の思考の整理に付き合っていただきありがとうございました。おかげで、たくさんの実のある発見がありました。

感謝しております。

【バジル】

わたしの方こそ、推移を見ていて非常に勉強になっています。ありがとうございました。

Basil Kritzer

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自己肯定していては成長できない、と不安な方々へ」への13件のフィードバック

  1. バジル先生はじめまして!
    いつもblogにTwitterにFacebookに、と拝見し勉強させていただいてます。
    おかげさまで、以前よりはずいぶんよく響く吹き方ができているのではないか、と思います。

    私は、以前から口がバテやすいことで悩んでいます。
    それこそバジル先生の教えや、実際に指導してくださる師匠の教えで幾分かはマシになって、吹奏楽で2番や3番を吹くぐらいなら1ステージもつようにはなりました。
    しかし、首席を担当したり、またオケやアンサンブル、金管バンドといった吹奏楽以上に耐久力を必要とする演奏形態だと普通にバテてしまうし、練習でもコプラッシュのエチュードなんかはバテやすくてとてもじゃないけど吹けません。(エチュードは嫌いだからやりたくないんですが、上手くなりたいので…)
    たまにはもちますが、ステージとなると、リハーサルやゲネプロでも吹くわけですし、知り合いには「全部をがんばりすぎなのでは?」と言われたりしますが、どうも他の人が力配分をしてる感じはしないし、譜面にある音を本番のときに出せない、休まざるを得ないというのはつらいです。

    口への負担をもっと軽減するにはどんなことを意識してあげればいいのでしょうか?

    • 入江さん

      コメントありがとうございます!

      ひょっとしたら、「プレスを避ける」意識が働いているかも?
      プレスを避けようとしても、実はプレスって減らせないんです。
      結果的には、頭(顔)がマウスピースの方に向かって押し付けられます。

      頭(顔)→ マウスピース 方向のプレスは、バテます。
      マウスピース→頭(顔) 方向のプレスは、意外にバテません。けっこうグイグイプレスしても大丈夫です。

      なので、マウスピースを顔に向かってしっかりプレスしてみてください。

      • ありがとうございます!
        確かに「押し付けてはいけない」という概念にとらわれてました。
        思いきって自分にプレスしてみます。

        あともう一件よろしいでしょうか?

        私は、高校から楽器をはじめ、3年生の先輩は入部当時から補習や進路で忙しく、2年生の先輩はすでに辞めておられ、ほぼ独学でホルンを勉強、練習しました。

        もちろん限界があり、そのせいもあって、
        ・音色はホルンなのに粗っぽい
        ・多少はわかるけど、オケや著名なホルン奏者に詳しくない
        ・スケールは全部覚えてない
        ・コプラッシュをはじめエチュードは全然できない
        ・ソルフェージュは自分が思う以上にとれない
        ・リップトリルなんてもってのほか、リップスラーでさえも100%上手くいかない
        と、上記の通り、まったくいいとこがありません
        これらができなくても楽しくやるのが、一番いい音がする方法だと信じてやまないのですが、どうも実力あるホルン奏者はソルフェージュやエチュード、スケール、リップトリルなどができて当たり前という風潮が感じられ、非常につらいです
        辞めてしまおうか、とも考えました。

        愚痴のようになってしまいましたが、まとめると実力がないがゆえに自分の理想の考えが信じられません
        仕事しながらで時間がないなか無理にでも高度な技術を身に付けようとするべきなんでしょうか?
        それとも自分の理想を信念に変えて、自分の中で突き通すべきなんでしょうか?

        • このコメントを拝見するだけで、

          「オケや著名なホルン奏者に詳しくないと、ホルンをやる価値がない」
          「音色が粗い自分は、ホルンをやってはならない」
          「スケールは全部覚えてない、ホルンをやってはならない」
          「エチュードが全然できない自分は、ホルンをやってはならない」
          etc….

          自分を苦しめている信念がたくさんあるのが分かりますね。

          「自分はホルンをやる価値がない」

          というのがベースにあるようですね。

          それの毒抜きは、試しましたか?

          「自分はホルンをやる価値がない」

          これは絶対100%真実ですか?

  2. 試しました。
    6/2にちょうど本番があり、その直前に最後の宣伝もかねてFacebookを開けたら、まさにこの記事が飛び込んできました。
    その本番では全部の曲で首席を任され、Soloも吹くという大役で、すごく緊張と不安で襲われていました。
    が、この記事通り、毒抜きをすることでなんとか大きなミスなく、終演しました。

    ただ他のソリストがよかった、と言われる中、やはりいつも通り言及はなく、自分ではよくなかったのかな、と思ってしまいました。

    また、最近は師匠の紹介でホルンアンサンブルをしたりするのですが、周りは元プロや音大生ばかりで、先程のコメントのような風潮がひしひしと伝わり、自分が劣っているのもわかるので、やっぱりそういう状態でないと感動してもらえる演奏はできないのではないか、と思ってしまい、今に至ります。

    ボク自身としては高度なことやエチュードができなくても、毎日誰でもできる基礎練習や渡された譜面を楽しくやり、その中でこうするのが聞き手としてはおもしろいかな、というのを試行錯誤しながらやっていますし、そう楽しむことが技術向上の近道だと思っています。
    楽しんでかつ上手くなる、これがボクの理想で信念です。

      • あります。
        やる価値がない、というよりは、ステージに乗る資格がない、というか、楽しむ資格がない、というような感じでしょうか。
        そんな感じの感覚があるときは、だいたい上記のような上級者の風潮を意識してしまいます。

          • してないかもしれないです。
            そしてここまで相談しておきながら、自分、そこまで悪くないんじゃないか、って思ってきてしまいました。

            • うん、そういう気分がよいときこそ、一応毒抜きをしておくと、今後に活きますよ♪

  3. ピンバック: 「いい音じゃなくてもいい、自分を許してあげる」と思うようにすると、今まで出せなかった音が出せるようになった! | バジル・クリッツァーのブログ

  4. 初めまして!
    高校2年で吹奏楽をしているMです。
    中学3年までトランペットを吹いていた為アンブシュアが顎が前に出ていて顔の角度が下向きの状態の吹き方でした。
    3ヶ月前ほどにアンブシュアを変えて以前のトランペットの様なスピードのある音とは一変してホルンの音に近ずいたと褒められるのですが、やはり私的には前のアンブシュアのほうがダントツで高音もなり、リップスラーもでき、音もなりやすく、大きな音が自慢でした。
    今はそれが全てなくなり、音が出にくく高音は出ず、リップスラーもできず、ですが音色は今の方が良いと言われて、変えて正解だったよ、と言われます。
    私自身も褒められるのはすごく嬉しいですが今後どのような練習をすればもっと良くなれますか?
    ここ数ヶ月調子が悪く、曲を吹くときは前のアンブシュアで無理やり吹いていて、前のアンブシュアにも戻れず今のアンブシュアも作れずの状態で困っています。
    私のbandは全国大会にも出ていて周りの技術が極めて高く、それに比べて私はリップスラーもできないのでどうしても上手くなりたいです。
    いきなりコメントすみません、お願いします。

    • Mさん

      まず、Mさん自身がどっちの吹き方で吹きたいか、はっきりご自身の意志で選ぶことが大切かと思います。
      いったりきたりでは、混乱が大きく、辛いかと思います。

      次に大事なのは、音色がよいというフィードバックをあなた自身が理解できるか、感じているか、ということです。

      音楽と音色をよく理解した、信頼おける先生からのご指導であれば、そのフィードバックはきっと正しいのでしょうが、
      それでもあなた自身が実感できていないと、なかなか根気よく新しい奏法に取り組めないですよね。

      録音して聴き比べてみるのはどうでしょうか?

      最後に、アンブシュアを変えたのは、ここに書いてある「角度」だけですか?それとも「位置(高さ)」もでしょうか?

      わたしの考えと経験では、「マウスピースを唇に当てる位置」は、トランペットとホルンとでちがっているのは間違っていないと思います(しかし、ひとによっては全く同じでもどちらも良い奏法で演奏できるケースがきっとあると思います)。

      しかし、「角度」は、「位置」が変わったのでなければ、他人が変えさせるのはあまり得策でない場合が多いと思います。「角度」は、変える場合、基本的には変えた瞬間に吹きやすくなるはずで、吹きにくくなるものではないケースの方が多いはずだと思うのです(正しい指導の場合)

      位置を変えたのであれば、それに伴って角度も自然と変わることはあり得ます。

      もし位置を変えたのであれば、その新しい位置で、以前と同じ角度にしてみるとどうなるでしょうか?

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