教え方のスタイル

自分が受けたアレクサンダーテクニーク教師養成トレーニングは、とにかく多様なモデルや考え方に接することができた。世界数千にいるアレクサンダーテクニーク教師の中で世界的に有名で経験豊富な先生たちが毎年何人も招聘されて、そういう先生方ほどやり方がそれぞれ全く異なる。

スクールとして、校長が採用している特定のスタイル、哲学、流派みたいなのはあるのだけど、校長自身が二つの流派を修めたから、異なる流派の大先生たちも招聘してくれて訓練生はそれに接することができる。あまりにも意見、哲学、スタイルが先生ごとに異なり、かつそれぞれがハイレベル。正解がない!

しかし、そのあまりな多様性や差異から、むしろ教えている内容の共通性が理解できてくる。教え方と、教えている内容の原理の区別ができてくるのだ。これが教え方をいつでも柔軟に変えられる余裕を作り、自分のスタイルややり方にプライドが絡まって意固地にならなくて済む。

わたしはスクールで学び始めて二年くらいした頃からどの大先生方の教え方をモデルにしたいか、はっきりした。校長のジェレミー・チャンス先生とキャシー・マデン先生。

しかし、その大先生ふたりの間にもだいぶ「ちがい」があるのが分かり始めたのは、正直言えば教師資格を取得してからのことだった。そして、キャシー先生の影響を受けつつも、自分の理解やスタイルの構築の大部分は、相当ジェレミー先生の影響が大きいということを感じている。

キャシー先生は、言うなれば「論理貫徹」。もう完璧であり隙がない。ジェレミー先生は、経歴的にももっと「清濁合わせ呑む」。もっとキャシー先生みたいに完璧になりたいが、誰か他人と同じにはなれない。だから自分は自分の中の「ミックス」でハッピーでいようと思う。これからも変わるのだから。

キャシー先生は、言うなれば「理論貫徹」。もう完璧であり隙がない。ジェレミー先生は、経歴的にももっと「清濁合わせ呑む」。もっとキャシー先生みたいに完璧になりたいが、誰か他人と同じにはなれない。だから自分は自分の中の「ミックス」でハッピーでいようと思う。これからも変わるのだから。

「いつか、BodyChance を卒業していく先生たちの特徴が、BodyChance っぽさではなくて、どこの卒業生かが分からないことであってほしい」と。流派、スクールの「型」や「癖」(もちろん、わたしも多分にそれを持ち合わせている)でなく「その人」の個性が表出してほしいと。

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