オケで吹いていても…… 統合された気付き・注意

あるオケのリハーサルでのこと。

フルタイムのプロオケで独立したパートをもらって仕事をするのは初めてなので、エッライ緊張していました。

ある曲で、1stと2ndホルンとで一緒に長い準ソロを吹きます。

とにかく1stに合わせなきゃ!自分だけが動くところはヘマしないようにしなきゃ!

まあどうしてもそう考えてビビって緊張して大変になってしまいました。

なんとかゴマかせたものの、もちろん良い出来ではありませんでした。

そこで休憩時間中に、 1st の方に少し教えてもらいながら何回か吹いてみました。

その中で分かったのは、自分で聴いても1stの方が聴いても明らかに「いい感じ」なときの、「自分の注意の在り方」です。

「いい感じのとき」はフレーズ全体、吹いている空間全体、オケ全体に注意が向けられています。

そして自分自身もそこに含まれています。

対して、「ギリギリのとき」は、何を考えているかというと…

「目の前の譜面!!!」「一個一個の音を確実に吹く事!!!」

なんですよね……

オケのパートというのは、全体の中での細分化された仕事ではあります。
でも、それだけ単体で完成していても意味は無い。

結局、

「自分だけ」→「目の前の譜面だけ」→「音を一個一個当てる事」→「とにかく失敗は嫌だ」

というように注意が狭められていくにつれて、身体の緊張は積み重なり、全体として機能が悪くなって行きます。

だから、オケである一つのパートを吹いていても、それは音楽全体・オーケストラの全員と全体・いま在る空間全体とのつながりでやっていることなのです。

それが事実であり実体である以上、注意は初めから全体に向けられていく必要があります。

アレクサンダー・テクニークの創始者である F.M.アレクサンダーは、そういった注意の持ち方を「注意の統一場」あるいは「統合された気付き」と言っています。

このときのオケの仕事では、それを強く実感しました。

これは多くの優れた音楽家が指摘し、そして実践している事でもあります。

こういった全体的な注意や気付きは、わざわざフォーカスを狭めていく事をしなければ、元から存在しているもののようです。

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オケで吹いていても…… 統合された気付き・注意」への6件のフィードバック

  1. こんにちは。
    名フィルでお仕事ですか!凄いですね(^^)

    今回の記事、思い当たります。
    緊張している時は、確かに注意を狭めています。
    ただ、ちょっと、あれ?と思ったのですが、

    フォーカスを狭める

    ことと、

    自己を観察する

    こととは別なんですよね??
    緊張状態から集中状態に持って行くために、自己の観察をし、余計なことをしないように注意すること、は、フォーカスを自己に狭めてしまっているようにも思えるのですが・・・。いいんですよね??

  2. massy さん、こんばんは!

    名古屋から帰って来ました (^_^)/

    きょうのコンサートは、とても勉強になりましたよ!

    このコラムで書いた通り、今日の本番でも「自分の出来不出来」に意識が狭められていったとたんに、アタックが不正確になったり、雑念が湧き出たり、音楽が楽しめなくなったりしました。

    逆に、ホール全体、オケ全体、音楽全体を感じてその一部になろうと思うと、とたんに幸福感が出てくるし、肝心なところがいい感じで吹けたりしました。

    自分としては、細かい傷が少し気になっていたのですが、ずーっと「全体」に意識を広げていき、その場その瞬間の音楽を楽しむ事を今日の課題としてやっていたからか、一緒に吹いた方達には好印象を持ってもらえて、嬉しかったです (^_^)

    さて、ご質問の件です。
    とても良い鋭い質問ですね!

    仰る通り、フォーカスが狭まることと自己観察は異なることです。

    ただし、初めから「余計な事」を「見つけよう」として観察するのは、それは実は「余計な事」にフォーカスを狭めている事になります。

    自己観察の対象は、自分の身体とか自分の考えとか、それに限定されるわけではありません。

    視覚・聴覚・触覚・温度など五感を通して「自分にやってくる情報」も自己の一部なのです。

    そういう意味で、特に音楽ではオーケストラやホール、聴衆全てが自己と区別される必要はありません。
    野球選手の脳は、バットも手の延長として認識しています。
    音楽家にとっては、楽器もそうだし、実は共演者や演奏空間に含まれる全てが自己の延長と捉えることもできるのだと思います。

    もし、「自分がしている余計な事」に意識が向いているとすればそれはフォーカスを狭めているとも言えるかもしれません。

    ですので、代わりに「望む事」を考えていけば良いのです。

    そうすれば、「余計な事」は自動的に分かって来ます。探そうとせうずとも。

    どうでしょう??

  3. 今回は、ちょっと難しいですね…(苦笑)

    一人で練習してるときも、レッスンを受けているときも、オケで吹いているときも、自分は自分。
    本番でも同じ自分でいることが大事。
    そう思っていても、本番ではドキドキしてしまう…。
    なんでだろう、と思っていたのですが、そもそも、自分が違うということなんですね?
    一人で吹いているときと、オケで吹いているときの自分は、違うもの(人)になっていることに気づけば、そこから良い状態に持って行ける、という感じでしょうか?

    フォーカスを広げるよう、心がけてみます。

  4. バジル君の考えが、伝わります。
    指揮者が、求めるすること。
    全体の奏者に、求める音(ねいろ)が指揮者には分かるんですね。

    ただ単に、演奏会で聴いている方がいいかな!!
    音楽家(バジル君)の文章を読んでいると「生まれいずる悩み」を、
    思い出しました。(私が、文学青年であったころ)

    無から有に、もっていく奏者の苦悩が垣間見えます。
    ブログを、読んでますよ。

  5. さっさん

    音楽家は、演奏会ごとに本当に濃密な体験を良くも悪くもしますね・・・。

    本当は、それは素晴らしいことですが、経験の濃密さ、強烈さ故に、思い悩むことがありますよね。

    それだけに、生きてる実感も得られるのが芸術の凄さです。

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