その8:アレクサンダー・テクニークとは
キャシー先生が来日していた間に出席した10数クラスで、私が学んだ様々なこと。なかでも印象的だったのが、キャシー先生がアレクサンダー・テクニークをどう定義していたか、ということでした。
アレクサンダー・テクニークとは、活動においての協調作用を最大限に機能させるための手段。より正確に言うと、本来人間が備えている最高度の協調作用にそのときある干渉を取り除く手段。
では協調作用って何なんだろう。私はこれまで「望む動きを力学的に効率よく、必要な分の力だけで実現できるような頭と脊椎の動きのバランス」というふうに身体的な側面から考えてきました。これは間違っていませんが、キャシー先生の考えはより包括的で興味深いものでした。
キャシー先生の協調作用の定義は、「アイデアを産み出すことができて(望みを持つことができて)、そのアイデアを望み通りに実現/遂行できること」だというのです。ピンと来ませんか?楽器演奏であてはめると実はとても分かり易い定義です。つまり、協調作用とは「奏でたい音をイメージできて、そしてそれをその通りに現実の音として奏でられる能力」ということなのです。
これを読んでいるあなたも、きっと「身体の使い方がよくなる」「バランスがよくなる」と言われるより、『奏でたい音が奏でられるようになる』と言われた方がアレクサンダー・テクニークのレッスンを受けてみたくなりますよね。
そう、
アレクサンダー・テクニーク=望み通りに演奏できるようになるメソッド
なのです。
それの仕組みや過程を見ると、もちろん頭と脊椎だとか、そういう身体的な話もたくさん出てきます。その一方で、「望み通りに」というのも重要。「望むことができる」というのは協調作用の能力だとキャシー先生は言うわけですね。ということは、アレクサンダー・テクニークはフィジカルでもありメンタルでもあるのです。
協調作用が損なわれている原因は、身体の使い方=ボディマップにあるケースもあれば、一般的には「メンタル/精神的/感情的」と見られていることが原因であるケースもあります。何かしら思っていること、あるいは持っている信念が結果的に協調作用本来の能力を損ねている場合がある。
だからアレクサンダー・テクニークのレッスンを体験すると、ある人は本当にテクニカルなレッスン(腕の使い方、呼吸の仕組み etc…)を経験すると思えば、別の人はさながらカウンセリングのように見える心理的/感情的なところのコーチングを経験します。
それは、そのときレッスンを受けている人の「協調作用」への干渉を取り除き、最大限機能できることを目指してレッスンを教師が行っているからです。協調作用の回復という目標が共通であり、レッスンのアプローチや表面的な対象が「フィジカルなのかメンタルなのか」がアレクサンダー・テクニークの定義ではありません。
これは「心身統合性」というアレクサンダー・テクニークの原理に基づくものです。
キャシー先生が別の場面で言っていたことで、この話に深く関わることがありました。それはキャシー先生曰く「アレクサンダー・テクニークはあなたにとって大事でケアしたいもののために使うのよ」ということ。
何気ない一言ですが、重要な示唆があります。それはアレクサンダー・テクニークは「一日中ちゃんと意識して使ってなきゃいけない」ものではないということ。アレクサンダー・テクニークがなんだか正しい姿勢や身体の使い方のレッスンだと思っていると一日中意識して姿勢を正さなきゃいけないものというイメージになります。
しかし、そんなのはあまりに不自然であり、どうせしんどくなるだけで役に立ちません。
アレクサンダー・テクニークは、あなたが大事にしているもののために使うのです。私の場合は、何と言っても楽器の演奏。奏でたい音がある。ホルンの音が魂に響く。だからこそ、ホルンを吹くときは、自分の全身全霊を傾けたい。全身全霊で取り組み、自分の能力を最大限に発揮したい。それを阻害されたくない。だからアレクサンダー・テクニークを使う。
「大事なもの」は何でもいい。大事さの度合いも様々あってよいのです。ただ散歩をするというのも、あなたにとって大切なことかもしれません。そういうときにもアレクサンダー・テクニークが使えます。
あるいは、話しづらい内容を、面と向かって誰かに伝えならなきゃならない、そんな状況でもアレクサンダー・テクニークは使えます。それは、なるべく率直に誠実に心地よくないことでもしっかり伝える事が「大事」だから。
大事なこと。毎日のちょっとしたことだけれど大切な活動。中途半端に投げやりにやりたくないときが、アレクサンダー・テクニークの出番なのですね。
今年もキャシー先生には多くを学ばせて頂きました。
来年が楽しみです。何より、これからもキャシー先生がBODYCHANCE に来て下さる事、そしてこれから10年20年と自分が素晴らしいメンターから学び教わり成長できるであろうということが嬉しいです。何年たっても、ずーっと先を進んでくれて成長してくれているすごい先生がいる。これは大きな希望になります。
まだアレクサンダー・テクニーク教師としての正式なスタートラインにも立っていない自分でも、これだけ学ぶことがあった。来年4月に新米教師として歩み始めてから、もっともっと学べるのだと思うと、楽しみで仕方がありません。
了