【楽器奏法・身体運用の決定権】その2

前の記事で述べたように、この記事では私自身の経験を傍証としながら金管楽器奏法の「選択肢」と、選択の自己決定の重要性を主張したいと思います。

私はホルンを演奏していますが、ホルンの奏法・ホルン演奏時の身体運用について5つの側面で象徴的な体験をしています。

それは

・「顎を張ること」について
・「唇を横に引かないこと」について
・「マウスピースの位置」について
・「呼吸法」について
・「姿勢」について

です。

この記事では、まず最初に「顎を張ること」に関して述べます。

***

【顎を張ることについて】

私は中学3年生のときに初めてちゃんとしたホルンの個人レッスンを受けることになりました。

師事した先生からまず言われたことが「顎を張りなさい」というものでした。

金管楽器をやっている方の多く、なかでもホルンをされている方の多くはこの教えに触れたことがある方はかなり多いでしょう。

この「顎を張る」という教えがどういうものなのか、ということについては、教え手によって定義や内容が異なることがありますが、最大公約数的な意味を抽出すると、

『唇(を構成する口輪筋)の周りにあるいくつかの表情筋に一定程度、力を入れること』

というようなものになります。

それを推奨する教え手は、

・そうしたほうがうまく演奏できる
あるいは
・そうしないとうまく演奏できない

と考えて教えます。

当然、私が教わった先生もそうだったのでしょうが、教わったことをやると、ホルンを吹くことが大変困難になりました。

どうしてそのようなことになったのか、についてはある程度解剖学的に推測できていまして、2013年に書いたこちらの記事

顎を張れなくて悩んでいるひとへ

に述べていますので、詳しく知りたいということであればお読み下さい。

いずれにせよ、当時の私にとっては何度言われてもうまくできない、あるいは良い結果に結びつかない、もっと言えば演奏に対して逆効果でした。

この「顎を張る」という教えについては、絶対視している奏者・教え手が相当数いると思われます。そういう方からすると、この事態は単に私の我慢が足りなかっただけ、ということになったり、あるいは導入の手ほどきがなく悪い癖をつけたのであってその癖を打ち破る才能や根気や努力が足りなかったのだということになったりするかもしれません。

それはもしかしたら正しいのかもしれません。私が一流の奏者ではないので、何を言っても説得力が無く信じてもらえないかもしれません。

しかし、実のところこの教えはドイツや日本では一般的ですが、イギリスやアメリカではそうでもありません。

大学で師事したイギリス人のフランク・ロイド氏はアンブシュアはフレキシブルであるべきで、力をいれたままにするという教えはおかしいと言っていました。本人の演奏映像からも、表情筋の柔軟な動きが見て取れます。

フランク・ロイド

アメリカのホルン奏者で多くの有名な奏者を門下から輩出しているウィリアム・ヴァーミューレンは「一音一音に対して、音の芯と音の響きのバランスがほどよく良い音で鳴るのに、ちょうど必要な最低限で最大限効率的な力の入れ具合を探す」ということを述べています。

こちらの動画の22’00頃から

また、スウェーデンの高名なホルン教師であるフロイディス・リー・ヴェクレはその著書「ホルンがもっとうまくなるーウォーミング・アップと練習を考えるー」(音楽之友社)の42ページと43ページで次のように書いている。

〈・・・シカゴ交響楽団の首席ホルン奏者クレヴェンジャーは言葉を借りると、「音を出すために必要なことだけをしなさい」と説明される「ゴム表情(伸び縮み) 概念」 と呼ばれるこの理論・・・〉

このゴム表情伸び縮み概念というのはホルンだけでなくいずれの金管楽器の教師にも見られます。

このように、世界の奏者・教師を見渡すと、「顎を張る」という奏法ではない例、そういう発想を持たない例、そういう教え方をしない例が少なからずあるのです。一流の世界の中にも、です。

それを知ったうえで、また多数の生徒に「顎を張る」の教え方もそうでない教え方も両方試して結果を見極めたうえで、「顎を張る」という教え方・意識の仕方が絶対正しいのだと主張している人は今のところ私は知りません。

(アンブシュアの捉え方・考え方の多様性ついてはもう少し詳しくは、こちらの記事をご覧下さい→『金管楽器奏法立体マトリックス』

ただ、このあたりのことは長い年数をかけて私も相対化できたことです。

中学3年当時は、どうやって「顎を張る」という意識で服と演奏不能になるという困難から脱したかというと、ひとつにはそのとき師事した先生が、「それだと吹けない」という私の訴えを少し消極的にではありますが受け止めてくれたことがあります。無理強いはされなかったし、どうにもその教えに納得できないというわたしの考えを叱らずに聞いてディスカッションして下さったのです。

ただそれでも、常に「本当は顎を張ったほうがよい」というスタンスは保ったまま私に接しておられたので、「自分のアンブシュアはダメなんだ・・・」という不安に苦しむようにはなりました。

それでもそちらに呑み込まれずにいられたのは、実は当時テレビで偶然視聴した天才的なホルン奏者の映像が、なんと「全然張っているようには見えない」ものだったからです。当時のその先生が言っていた、「顎が梅干しになってはいけない」という教えとは真逆で、梅干しがはっきり見て取れる。それが、それまで聴いたことがあったどの奏者の録音よりもさらに上をゆく技術的水準かつ素晴らしい音色で演奏する奏者だったのです。

ラデク・バボラク

このラデク・バボラクのリサイタル映像を、私は当時ビデオに録画して、何百回と再生して見ていました。そうすることで、「顎を張る」という教えを中和して悩まされないようにしていたのでした。

今現在のわたしは、顎を張ろうと意識することはありません。また、顎を張りなさい、と教えることもありません。ただ、他のアプローチをしていった結果、

・顎が張られていなかった状態の生徒さんが

・顎を張ろうと意識することはなく別の意識や工夫をして

・演奏が改善したり問題が解決して

・そのとき見てみると顎が張られた状態になっている

ということが起きたときに、『顎を張りなさいと教える先生もいるのですが、その教えがいま実現できていらっしゃいますよ』とちょっとコメントする場合はあります。

また、この「顎を張る」ということは、先述したように

『唇(を構成する口輪筋)の周りにあるいくつかの表情筋に一定程度、力を入れること』

であると考え言語化すれば、もしかしたら中学3年のときの私もすんなり受け入れ実行できた可能性が相当あったのではないかと考えています。

実際には、そのように捉えたほうがおそらく正確で解像度が高いからです。

ただし、情報や描写として正確なことでも、それを意識したら良い作用があるとは限りません。悪い作用があることもいくらでもあります。

教えの「正しさ」は、

・その教えの歴史や伝統などの権威にはなく
・その教えの統計的な有効性にもなく
・その教えの正確性や詳細さにもなく

◇教えた相手の上達に寄与したこと
◇教えた相手の上達を阻害しなかったこと

によってこそ担保されるのだ、と私は定義したいです。

その場合、どのような教えでも、誰からの教えでも、その教えを取り入れるか入れないかの判断は実行者本人の自由と責任に委ねられるもの、という価値観をここに示したいと思います。

次の記事では、「唇を横に引かないこと」について述べていきます。

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