グレッグ・ホールダウェイさんというアレクサンダー・テクニークの先生が毎年BodyChanceに教えにきてくださっています。
ホールダウェイ氏は大学で解剖学の講師をしていて、最近バイオメカニクス(運動生理学系生体力学)の学士号を取得した方です。身体運動を専門的に研究しています。
このホールダウェイさんのクラスを通訳していて印象に残ったことがありました。
ホールダウェイ氏が
「楽器が身体の一部になる」
という現象について解説しました。
まず、内感覚/固有感覚(Proprioception)という重要な感覚を人間は持っています。
これは主に筋肉と関節の運動感覚で、自分の身体が空間の中でどこにどのようにあるかを感知します。
手を身体の後ろ側に持っていって、指を複雑な形にすると、見えてなくても自分の手がどこでどのようになっているか、分りますよね?これは固有感覚のおかげです。
固有感覚が機能しないと、歩くことも到底不可能です。脚が見えていなくて、脚の状況を把握し動きを把握するのは固有感覚ですからね。
また、固有感覚は、環境と自己の関係を把握するにも重要な感覚です。
椅子を自分の後ろに置いたあと、椅子を見なくても椅子を倒さずに座れるのはこの固有感覚が椅子と自分の距離感を身体感覚的にマップしてくれているからです。
つまり固有感覚は、接触したり関係を持つ物/対象も自分の一部としてマップするのです。
お箸を操れるのは、固有感覚が指先からお箸の先端までを「自分」としてマップしてくれるからなのです。脳の中では、お箸を「身体の一部」と認識しているのです。
車を運転していて、慣れるとスレスレの道をこすらずに通れるのも同じ現象です。
なんと、車をまるごと「自分の一部/延長」として固有感覚は取り込んでいきます。
楽器もまったく同じです!
楽器を手に取って操るとき、脳は楽器全体を「自分」としてマップしています。
楽器は身体の一部になっているのです。
しかし、現実には楽器と自分が一体に感じることは少ないですよね。
調子の良いときだけだったり。
それは、「身体のマップ」と「固有感覚」が鈍くなり不正確になっているから。
つまり、自分の身体イメージが不正確だったり、理解・意識されず気付かれなくなった身体の緊張を抱えていたりすると、固有感覚の情報が正確に脳のマップに反映されなくなるのです。
このあたりが、アレクサンダー・テクニークが楽器演奏に非常に役立つ所以です。
アレクサンダー・テクニークでは、「自分の頭の動きと、頭と全身の協調作用」に注意を払う技術を訓練します。(なぜ、頭なのかはこちらを参照→『頭と脊椎』)
頭は全身の動きの協調性にプライマリーで重大な関わりを持つので、「いま、そのとき」の頭の空間的な場所(固定的ではない)や動きに注意を払い認識をアップデートかつ洗練させることで、全身の固有感覚が正確になっていきます。
そういう状態で楽器を持つと、まず持っている身体の固有感覚の機能が正確かつ洗練されていますから、対象物である楽器もはるかに正確に「自分の一部」として固有感覚に取り込まれていきます。
楽器を身体の一部のように流れるように操る名人たちは、「いま、ここ」への気付きが高く保たれ、古い習慣や癖、不合理な緊張パターンに支配されずに済んでいるのですね。
アレクサンダー・テクニークは、誰にでも内に秘めている「名人になる才能」を抑圧しているものを解き放つメソッドだと言えるでしょう。
Basil Kritzer
興味深いシェアリングありがとうございます。
私自身は、ある生理学の本を引用して、固有感覚(自己受容感覚)を位置の感覚・速さの感覚・力の感覚の3要素からなる感覚だと教えています。そしてバジルさんが書いていらっしゃる通り、ともに体性感覚である触覚とも密接に働きますね。
そして楽器が脳の中の「からだ」の地図に含まれるというのは、脳科学(認知科学)のペリ・パーソナル・スペース(身体近傍空間)のお話ですね。
ブレイクスルーさんの「脳のなかの体の地図」はお読みになりましたか?
ブレイクスルーさんの本はフォーカルジストニアに関する記述に基本的な誤謬がありますが(ゴルファーのイップスと混同している)、それ以外はとても面白い本です。
お世話になっております。
川島大和です。
非常に興味深いお話でした。
私は介護現場で身体介助をするときに
介助する相手といかに一体になるかを考えていきたいと思います。
介助する相手も一緒にマップできたら
相手も私も快適な介助ができると思いました。
今後の研究課題ができました。
感謝です!
いつも良きインスピレーションをありがとうございます。
ひろひこさん
その本、1年以上まえに買ったんですが、まだちゃんと読んでないです
(>_<) 読むべきリスト上位には入れてあるんですが????!
川島大和さん
まさに介護では重要な事柄かもしれません。
うまく研究され、活用されれば、介護をする側もされる側も随分と苦痛が軽減される余地があるのかもしれませんね!