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和氣愛仁さん(トランペット歴40年/大学教員)
10歳になる前からずっとトランペットを吹いていますが、そのキャリアの大半は小編成のアンサンブルでの活動が占めています(ほかに吹奏楽6年、オーケストラ5年ほど)。
それほど大きな困難を感じることもなく活動を続けてきたのですが、40歳手前あたりから、少しずつ、なにかがおかしくなり始めました。
とにかくすんなり音が出ない。とりわけ中音域がまともに鳴らなくなり、高音域と低音域が完全に分断されてしまいました。
そのうち比較的得意だったはずの高音域もなにかが狂ってしまい、次第に楽器の吹き方そのものがよくわからなくなってしまいました。
しかしそういう状況の中でもアンサンブルでは割合に厳しいことを要求されるので、なんとかしようとジタバタするのですが、結局本番ではまともに演奏することができず、終演後には否定的な自己評価でぼろぼろになって、もはや楽器を吹くこと自体がつらくて仕方ないという状況になってしまいました。
【「そうだよね!」「そうだったのか!」と夢中で記事を読んだ】
2014年の3月、金管四重奏の演奏会を1週間後に控えたある晩のこと。つらい、怖い、でも自分で好きで始めたことだからなんとかしたい。そのためのヒントがほしくて、ふらふらとネットをさまよい、そしてバジルさんのブログに行き当たりました。
衝撃的でした。論理的に考えれば当然のことなのに、それに反する非論理的なことが、いかに多く既成事実としてひとり歩きしていることか。ブログは、そういったひとつひとつのことについて、バジルさん自身の体験をふまえつつ、丁寧に真摯に説明しようとしている。
私はひとり興奮し、「そうだよね!」と「そうだったのか!」を何度も繰り返しながら、夢中で記事を読みあさりました。そして、演奏会を迎えるにあたって、とにかくいまの自分にできることをやろうと決めたのです。それは、
・演奏会までの1週間の間に、恐怖の実態を分析し、それを理解すること
・演奏中は自分の演奏に対する評価を一切やめて、とにかく次の音を生み出すことに専念し続けること
のふたつでした。
【本番を楽しめた】
結果的に、本番はとても楽しく終えることができ、お客からも好意的な感想をいただくことができました。
実は演奏自体は(技術的には)それほど以前と変わっていなかったのかもしれません。けれども、自分自身に対する否定的評価で自滅することなく最後まで演奏でき、終わったあとのあのつらい気分からも解放された、そのことが何よりもうれしかった。
そして、メンタル面でもこれだけの効果があったのだから、技術的な面でも何か不調を乗り越えるためのヒントが得られるのではないかと思い、体験レッスンを受けてみることにしたのです。
【1回目からヒント満載のレッスン】
実際のレッスンは、初回からヒント満載でした。
過去の経験による呪縛や思い込みから解放されて、新しく効果的なプランをどんどん試していける、そのクリエイティブな作業の現場に立ち会えることが、これまでになく私をわくわくさせました。
中でも特に私にとって重要だったことは、
・アレクサンダー・テクニークが、主観的あるいは感覚的表現でなく、可能な限り客観的で正確な事実観察・言語表現を志向していること
・様々なバックグラウンドを持つ人たちとのグループレッスンであること
のふたつでした。
【落ちこぼれが生まれない。気持ちをよくわかってもらえる】
一般的な音楽のレッスンの最中に受け取る表現(とりわけ姿勢や奏法に関するそれ)が感覚的でいまひとつよく理解できないということはしばしば生じるものですが、アレクサンダー・テクニークのレッスンでは、そういった「謎」になりがちな部分についても、曖昧な言葉遣いを極力排除し、極めて綿密な観察に基づいた、正確な(あるいは正確であろうとする知的努力を経た)言葉でヒントをもらえるので、非常にすっきりと納得することができます。
レッスンで使われる言葉、レッスンの内容、レッスンの結果が、「わかる人にはわかる=わかる人にしかわからない」のではなく、全員が理解・共有できるものであるということが、1回1回のレッスンを非常に充実したものにしてくれます。
もちろん、主知的であることは心情を理解しないということではありません。
楽器演奏における失敗がどれだけ大きな心の傷をもたらすかは、音楽をしている人ならば誰でも理解できることでしょう。
バジルさん自身がそのような大きな傷を負う経験をしてきたことに対して真摯に向き合っているからこそ、レッスンが暖かみのあるものになるのでしょうし、レッスンを受けるものたちも、講師の経験が率直に語られることによって逆に勇気づけられる。
そういう、知と情が理想的に両立した環境がそこにはあります。
【一緒にレッスンを受けるひとたちの大きな支え】
後者のグループレッスンであることについては、他の人のレッスンを見ることが非常に参考になるということももちろんなのですが、もうひとつ私にとって重要だったのは、それが本番のシミュレーションになるということでした。
レッスンを受け始めてすぐ気づいたことのひとつに、私は演奏中、聴衆の存在を無視しようとしていたということがあります。
その理由は、ごく簡単にいってしまえば、聴衆に評価されることが怖い、ということでしょう。
けれどもやはり、演奏という行為は聴衆の存在なしには成立し得ません。演奏者たる自分自身と、聴衆・演奏空間とをどのように結びつけるのかということについて、毎回のレッスンで参加者の皆さんの力を借りてトレーニングできるのは、私にとって非常に大きなことでした。
しかも、その聴衆は、これ以上考えられないほどに理想的な聴衆です。
同じ悩み・苦しみを共有し、同じ目標に向かってともに歩んでいる、優しく理解のある聴衆です。
すべての聴衆は自分の味方であるということを身をもって体験することで、実際の演奏会でも、ひとりひとりのお客の顔を見ることができるようになりました。
【新しい自分にゼロから成長し直したような感覚】
いま私は、楽器を吹くことが楽しくて仕方ありません。抱えていた技術的課題も少しずつ解決されてきていますが、それは、また以前のように吹けるようになったということではなく、新しい自分にゼロから成長し直したような感覚です。
練習の組み立て方も変わりました。
一日の練習が、どんなに短い時間でも、無意味な音出しだけで終わることはなくなりましたし、明日はどんな練習をしようかと楽しみに考えるようになりました。また、レッスンを続けるうちに、悲劇的に調子が悪いと感じることがなくなりました。
自分の演奏に対する評価の仕方が変わったということもあるでしょうし、常に変動している自分の状態に対して、そのときどきに応じて取ることのできる対処法が増えたということもあるでしょう。
【毎回必ず解決やヒントがある】
アレクサンダーテクニークのレッスンでは、毎回のレッスンで、必ず問題が解決する、または解決に結びつくヒントが見つかります。
次のステップへの課題を必ず持って帰れます。参加者全員がそうなれるように、講師がとにかく頑張ってくれます。
これは、普通のレッスンでは実はあまりないことかもしれません。
私にも、レッスン途中でめげそうになったときにバジルさんががんばってくれて、なんとかヒントを見つけられた経験があります。その日どういう気分で帰途につけるかは非常に重要な問題です。そのことについて講師陣は真剣に向き合ってくれます。
重要なことは、「自分はなにをしたいか」を明確にすることで、それはどんなメソッド/レッスンでも共通だろうと思います。
ただし、メンタル・フィジカル両面で、様々な人間の様々な状態に対して、これほどまでに効果的に自律的・主体的動作を引き出すための手助けとなり得るという点において、アレクサンダー・テクニークは驚異的とさえ言えるかもしれません。
悩んでいる人、迷っている人は、ぜひ一度レッスンを見学してみることをおすすめします。1回目のレッスンから、解決のためのヒントがきっと見つかります。