【「やるべきでない」ことを教えるのは、教師として最下策】〜演奏家インタビュー/ナイジェル・ダウニング(Hr)第二回~

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先日、翻訳を完了し秋に出版予定のナイジェル・ダウニング著“Singing on the Wind〜Aspects of Horn Playing~”。直訳すると「息に乗せて歌う」

そのダウニングさんへのインタビューです。
前回はこちら→『音大を出ていないからこそ、良い先生になれた!?』

【「やるべきでない」ことを教えるのは、教師として最下策】
〜演奏家インタビュー/ナイジェル・ダウニング(Hr)第二回~

バジル
『ダルムシュタットのオーケストラに入ったのはいくつのときですか?』

ナイジェル
『22歳。

さっきも言ったように、演奏法を教えてくれる先生、自分が何をしていまこうして吹けているのかを理解させてくれる先生が欲しかったんだけれど、ないままオーケストラに入った。そのため、水に突き落とされて溺れないようにすることで泳ぎ方を覚えさせられるような状況だったんだ。だからオーケストラに入ってから、調子が悪くなってしまった。

ただ幸いにもそこで、ダルムシュタットのオーケストラのチューバ奏者から、「ジャック・メレデスに連絡してみろ」と言われてメレデス先生に会うことになった。

ジャック・メレデスは、アメリカのメリーランド州出身でバイエルン放送響の首席ホルン奏者だった。彼はまさに…..1960年代の化身だったね、手に入りうる限りの種類の大麻を吸うような(笑)

まあ深くは語れないことは置いておいて(笑)、

彼は本当に素晴らしい教師だった、ぼくにとって。彼はホルンの演奏法を教えてくれただけでなく、教え方も教えてくれた。まさにぼくが必要としていたような先生だった。

メレデスは、ぼくの演奏している様子をよく観察した。実際、彼がレッスンの中でホルンを吹くようなことがあったのは、彼にレッスンを受け始めてから1年以上経ってからだったように思う。

彼は、「吹いて見せる」ようなことは滅多になかったし、それでもいざそういうことがあると驚かされることばかりだった。彼は、多くの教師が好んで教えたがるような、外から全然動いているように見えないポーカーフェイスなアンブシュアの持ち主だったから。

何にせよ、彼はレッスンでぼくの吹き方を観察し、そのなかの「良いところ」を説明してくれて、その良いところをどうやってさらに改善し、どういった方向に進んでいくべきかを説いてくれたんだ。

それは、ぼくにとって最も大事なことのひとつとなった。彼は、「やるべきでないこと」を教えたり意識させたりするようなことは全くしなかったんだ。

教え方という点で言えば、「やるべきでないこと」を生徒に話すというのは、教師として最下策だ。やるべきでないことを教えると、生徒は、「それをやらないようにすること」をまず第一にしようとしてしまう。あたかも、謝罪しながら演奏しているかのように。やるべきことを考える必要があるのに、やってはいけないことについて考えているばかりになってしまう。

生徒のやっていることを観察して、教師はなんらかの解決策を考え出す必要がある。そして、自分が提示した解決策がどのように効果を持つかをまた観察する。ジャック・メレデスがやってくれたこともそういうことだった。レッスンがおわるとすぐビアガーデンに行き、言われたことを全部メモに書き記し、次のレッスンで「前回こう言われたと理解しているんだけれど、あなたの考えを正しく受け取っているか?」と確認するんだ。そういうことを何時間も続けて、3ヶ月くらいで調子はまた元に戻り、さらに先へと積み重ねていった。素晴らしい教師だったよ。』

バジル
『そういう教師って、いまだにかなり稀だと思います。』

ナイジェル
『ぼくもそういう印象を持つね。

ぼくがラドヴァン(ヴラトコヴィッチ)と仲良くやれるのは、そういうとことかもしれない。彼もぼくも、演奏だけでなく教えることに関しても柔軟性を大事にしているんだ。

ホルン仲間たちを批判するためにいうわけではないけれど、あらゆる生徒に同じひとつのやり方を当てはめようとす考え方に至ってしまう教師は多いように感じるね。また、自分のやり方を生徒もやるべきだという考え方も多い。

そういう教師に対して異論を述べるというのは、かなりしっかりした性格でないと難しい。

ぼくの実体験から、エーリッヒ・ペンツェルの例を出そう。

ペンツェル氏に対してはとても大きな敬意を持っている。ドイツでこんなにもたくさんの、素晴らしい奏者たちを輩出しているから。

しかし、そんなペンツェル氏は、トレーニングのやり方というか、そのメソッドがドグマティックになるきらいのあるものだった。

ぼくは実際彼にレッスンを受けたことがある。もうダルムシュタットで演奏して3〜4年経っていて、かなりドイツでの演奏を確立していたし、もっとレベルの高いオーディションへの準備などのためにレッスンを受けることにしたんだ。

ペンツェル氏に電話してレッスンを受けたいと伝えると、彼は「どんな問題を抱えているんだい?」と応えたんだ。ぼくは「困っていることはないんだけれど、オーディションの準備のためにレッスンを受けたい」と伝えた。そうすると「わかった、じゃあ今度の月曜においで」と。そういうわけで、レッスンに行った。

レッスンではリヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第1番を吹いたのだけれど、ペンツェル氏はこう言った。

「ふむ。わたしたちドイツ人はもっとこういうふうに演奏するもんだ」

と。

どういうふうに演奏するか説明された後、ぼくはたぶん怪訝な表情を浮かべていたんだろうね。彼は

「‥‥何か問題でも?」

と尋ねた。

ぼくは

「正直言うと、その演奏のやり方はあまり好きじゃない。自分の好きなやり方で演奏したい」

と答えた。

ここで、レッスン室を追い出されてしまってもおかしくないところではあった。でも彼はそうせず、こう言った。

「構わない。提案にすぎないのだから」

と。

そのときぼくは、「よし、この人とならやっていける」と思った。実際、その後有意義なレッスンになったし、とても尊敬しているよ。

ただ、何事も、初代に比べて2世代目や3世代目の師範たちってドグマティックになりがちだと思う。また、ぼくも実際に経験したことだけれど、そうやって何かの流派に属する教師たちが、ドグマティックになるあまり、自分たちの流派以外のものには狂信的なまでに敵対的になりがちだ。』

バジル
『その通りだと思います。』

ナイジェル
『これって、演奏世界でも指導の世界でも、どこでも起こることにちがいないね』

バジル
『そうですね。アレクサンダーテクニークの世界でもそのまま、そういうことが起きています。』

ナイジェル
『そうだよね。ぼくはシュタイナー教育の人々と関わることが実際にあったんだけれども、そのときもそういう状況に直面した。ルドルフ・シュタイナーの考え方は彼の生きていた当時はそのまま実質的な価値があったけれど、時代が流れるにつれて変化する世界に合わせて妥協や適応が欠かせないはずだ。そうしないと教理教条に囚われてしまう。アーミッシュの人々みたいになってしまうというか….。ペンツェル派も含めた、いろんな教師の教え方の残念ながらネガティブな側面はそういうような部分だね。

生徒が自分で考え自分で決める強さを持っていないと、そういう教え方は問題になってしまうし、現実には生徒の多くはそんな生徒は持っていないわけだ。だからうまくいっていないのに無理やり型や枠に押し込められてうまくいかないままになってします。

ぼく自身が接してきた生徒たちの中にも、そういうメソッドに凝り固まってガチガチになっていたのが、体をリラックスしてもらって楽器演奏が自然に起きるに任せるようになんとか促すと予想外にうまくいって生徒がハッと悟る、というようなことが何度もあった。「正しくあろう」ということにかかりきりになってしまっていて、ホルン演奏において必要でやるべきことに気が向いていないんだ。

ジャック・メレデスがやっていたように、ぼくもまずは生徒がどんなふうに演奏していてどんな能力を持っているかをじっくり見る。教えている大学に入学する前にレッスンに来てもらうようにして、自分の教え方や教える内容がその生徒にとって有意義で効果的かどうか、また、生徒は生徒でぼくの教え方を気にいるかどうか確認するんだ。入学したら3年くらい一緒に取り組んでいるんだから、ソリが合わないなら別のところに行ってくれたほうがよっぽどお互いの為だからね(笑)

レッスンでは、ぼくなりの考え方に基づいたホルンの鳴り方や音色・奏法のコンセプトに基づき呼吸やアンブシュア、音の飛び、音楽性といったポイントをおさえていく。それらひとつひとつに関して、一歩一歩順番に何がうまくいくかを探っていく。生徒によって飲み込みや習得のスピードは異なるしね。』

バジル
『あなたの、「まず第一に生徒を観察する」というメソッドですが、これはジャック・メレデスに触発されたものなのか、それともそういう観察するという態度や観察眼の素養はそれ以前から持っていたのでしょうか?』

ナイジェル
『全く以って、ジャックのおかげだね。ジャックと会う前は、一体何を観察すればいいのかさっぱりわかっていなかったから。』

バジル
『でも、何かを観察しようという努力はしていたのでしょうか?』

ナイジェル
『‥‥いや、していないね。そもそも何を観察しようとしているのかが無いわけだから。それ以前にやっていたことというのは、例えばオーディションの準備をするときなんかだと、オーディション曲のレコードをかけて、ベルリンフィルの演奏をそのままコピーしたりなんかしていた。要は、肉体感覚で覚えるだけだったんだ。肉体感覚だけでオーディションは勝ち取れたし、それまで演奏していたようなものを演奏するだけだったらなんとかなっていた。いつもセクションの中で、ある意味埋没して演奏するだけだったから。19歳とか20歳ぐらいまでね。あまりプレッシャーはなかった。

でも、オーディションに受かった後は、オーケストラの首席だ。しょっちゅう目立つ箇所を演奏する。しかも、最初は試用期間だからまったく異質のプレッシャーがかかってくる。

オーディションを受けるだけならプレッシャーは大したことない。うまくいけばラッキーだし、もしダメな演奏だったらオーディションに落ちるだけでまた次回頑張ればいいだけだろう?それに対して、試用期間となると契約がかかっているわけだから大変なプレッシャーとなるんだ。

そのプレッシャーを感じるようになって、考えることを始めた。そして考えるようになると気付いたんだ、自分が何をどうやって演奏しているのか何も理解していないとね。

気付いた瞬間のことを、いまだに覚えているよ(苦笑) そのときの指揮者も、ぼくの表情で分かっていたんじゃないかな。怖ろしかったよ。モーツァルトの作品でね、難しくもなかったんだけれどね。』

バジル
『ジャック・メレデスに会う前に習った教師たちからは、技術的な指導を受けることはありましたか?』

ナイジェル
『いや、無かった。イギリスでは「とりあえずマウスピースを口にくっつけて息を吹き込めばいいんだ」としか教えないんだ。それでうまくなるやつは、良かったね。うまくならないやつは、諦めて別のことをすればよろしい。そういう文化だったんだ。どれだけたくさん練習するか、その規律を持っているかだけの話で終わっていた。呼吸やアンブシュアの働き方についての説明などは一切無かった。』

バジル
『分析は存在しなかったわけですね。』

ナイジェル
『そう。だからぼくはジュリアン・ベイカーに習いたかったんだ。彼が唯一の、「考えるホルン吹き」だったんだ。当時ぼくが習っていた先生はジョナサン・グッドールで、とても若くぼくより4〜5歳上なだけだった。マンチェスターのBBC交響楽団のポジションを獲ったばかりの神童だった。だからぼくはそんな彼をそのまんまコピーしていた。みんなに、「少年版グッドールみたいだ」と言われたものさ。グッドール自身、天才だったから「できてしまう」のであって、どうやって演奏しているのか理解なんか当然していなかった。』

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第三回『音色とアンブシュアの柔軟性』へ続く
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