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対人関係や仕事、勉強をことなどで気になることがあり、歌や楽器の練習をしてるとそれが浮かんできて邪魔になるときってありますよね。
きょうまさに、そういうことがありました。
尊敬していたひとに、誤解されたかな?という懸念。
ホルンの練習をしていたら、そのひとの顔が浮かんできてちょっと嫌な気分に…。
最近、どんな思考や気持ちでもそれをなんらかのストーリーにし、演奏の技術的関心事項や課題に結びつけて、そのストーリーを奏でるということをやっています。
そこで、きょうも同じようにやってみました。
その人に対しては
「ちゃんと読めよ…」
「なんでそんなに国語力低いんだ!」
みたいな怒りがありました。
『どんなストーリーにして演奏しようかな?』
と考え始めたら、自分でも驚いたのですが、
「顔を付き合わせ丁寧に話し合い、握手する」
というシーンが浮かびました。
二オクターブ半の音階を、アンブシュアのセッティングとモーションの精密さを大事にしながらやるという課題と、その
「顔を付き合わせ丁寧に話し合い、手を繋ぐ」
というストーリーはうまく符号し、誤解されたかもという怒りや緊張感は集中力になりました。
やってみるととても質の高いテクニックを行使でき、また過去最高かもしれないくらい集中できました。
やり終えるとスッキリ。
残ったのは、『やっぱり変わらず尊敬しているよ』という気持ち。
尊敬している理由は変わらず、一方、別の部分での期待は持たなくなった。
楽器演奏であれレッスン活動であれ、
あるいはひとによってはランニングや料理とかかもしれないけれど
自分にとって大切な『やること』に、そのとき経験している・感じていることを全人的に含めると、こうしてその『やること』にも、一見無関係な悩み事や問題の前進にも寄与するんですね…
了
P.S.ここで述べている、「ストーリーにする」「ストーリーを語る」ということのより詳しいことについては、この本をぜひご覧ください。