あまり根拠や自信は無いのですが、40代か50代くらいからぜひやりたいと思っていることが、
『音大生や音楽家にビジネスとマーケティングの教育をする』
という活動です。
【音楽家が食っていける世の中に】
自分はマーケティングやビジネスに関して、世間一般の感覚でいえば大成功しているわけでは全然ないですし、BodyChanceという会社の一員ですからビジネスオーナーですらありません。
アレクサンダー・テクニーク教師としての仕事を思考錯誤しながら作って、広めて、確率していこうと地道な努力をしている段階です。その金銭的規模や認知度もまた、世間一般的な感覚でいえばごく小規模です。
そんな自分ではありますから何も偉そうなことが言えないのですが、アレクサンダー・テクニークの仕事がこれから10年か20年先に一定の節目や規模に達したら、クラシック音楽やジャズ音楽の演奏者がもっと「食っていける」ような状況に、わずかでも世の中がなっていくように力を使いたい、というイメージを持っています。
【仕事は自分で作る】
アレクサンダー・テクニークのレッスンをするには資格が必要なので、実際にレッスンを提供するようになったのは3年半ほど前からなのですが、資格を取得してデビューしたら仕事がちゃんとあるようにするための準備はそれより前、いまから6年ほど前から始めていました。
当時、アレクサンダー・テクニークに対する知名度も、レッスンを受けたいという需要もいまよりかなり少なかったと思います。
単純に、現状だけを見ると、「仕事がない」「仕事にならない」「需要がない」「これでお金は取れない」というふうに思ってしまえるような状態でした。
アレクサンダー・テクニーク界でも、あまり仕事とかお金を能動的に得ていこうという雰囲気は無かったように思いますし、たぶんクラシック音楽や吹奏楽の世界でも、「将来有望な分野」とは誰も思っていなかったのではないでしょうか。
しかし、わたしが現在所属する BodyChance の社長で校長のジェレミー・チャンスさんはそうは考えておらず、いつもこう言っていました。
「アレクサンダー・テクニークがお金にならないわけがない。いろんなニーズに、非常に効果的に応えられるものなんだから、サービス・製品としては信じられないほど強い。それが売れていない、知られていない、というのは単純に誰もマーケティングしていないからだ。誰もビジネス感覚を持っていないからだ。アレクサンダー・テクニーク界の怠慢が生み出している現状だ」
わたしは、はじめはこの意味がよく分からなかったし、本当のところはどうなのかも判断がつかなかったのですが、20代半ばにこれからさしかかろうとしていて、自立・自活したいし(いまの奥さんと)結婚もしたいし、と自分の人生を真剣に考えていくなかで段々とジェレミーさんの言っていることが呑み込めるようになっていきました。
それで、ジェレミーさんに教えてもらいながら、徐々に自分でも勉強しながら、資格を取ったときにレッスンに人が来てくれるよう、ブログを書いたり雑誌社に記事を送ったりするというところからマーケティングに取り組むようになりました。
そして、様々な幸運に大いに助けられた(管楽器専門誌にすぐに記事を採用してもらったり、大学の非常勤講師就任の打診を資格取得前に頂いたり)のは確かですが、ある程度生徒さんが来てくれるようになり、また講座依頼なども頂けるようになっていったのです。
資格取得後も、マーケティングとビジネスに関しては少しづつ勉強を続けながら絶えず実践を続けていて、徐々に仕事が増えたり、単価を上げることができるようになっています。
こうした、小規模でささやかなものではありますが、「仕事を得る」という成功体験、仕事を生み出すという実際の体験を通じて、
『仕事というものは自分で作ったり、生み出したり、引き寄せたりすることができる』
と感じるようになりました。
【競争の勝者なのに悪条件の被雇用者になる?】
わたしの両親は学者でして、もし音楽の道に進んでいなかったらわたしもたぶん学問をやっていたと思います。
大学の先生とか、そういう「安定っぽい」感じのする道を歩まずに、「非常にリスキーな気がする」音楽の道に進んだ時点からわたしが常に、「将来食っていけるだろうか….」ということが不安で仕方がなくなりました。
わたしのイメージしていた演奏家の世界って、ほんとに腕一本でやっていく(わたしは自分の腕にたいしてまず自信がなく不安)ものだし、オーケストラ団員など定職のポジションは非常に少なく競争が恐ろしく激しい(その勝者になれる気もせず不安)ものだったからです。
なので、アレクサンダー・テクニークを教える仕事を通してですが、ちょっと「あれ?」いう気持ちになっています。
仕事って、用意されたイスを競争で取り合って勝者と敗者に分かれるものとは限らなくて、自分で創出もできるものなんだ….って。
管楽器奏者にとってのキャリア上の大きな目標は、一般的にはプロオーケストラの団員になることです。団員のレベルはプロならばほとんどどこの国でも非常に高く、そのイスを得るための競争(倍率)は実に熾烈です。
凄まじい努力、高額の教育費、素晴らしい才能、恵まれた運の掛け算で選び抜かれたほんの一握りのひとだけが辿り着くポジション。
なのに….
日本に限らず、給与は決して高くありません。一般的な感覚でいえばとても低いオーケストラもたくさん存在しています。
競争の勝者の得るポストが、悪条件の被雇用者という立場なのです。
これってなんか変なんじゃないか….??
変、というのはオーケストラやあるいは社会に対しての批判や恨み言として言っているのではありません。なにか盲点があるんじゃないか、ということです。
その盲点というのが、「音楽家だって、自分で仕事を創出できる」ということだと思えるのです。
【もうそろそろ音楽家だって稼いでいいじゃないか】
わたしが思うに、たぶんわたしたち音楽家や音楽家を目指すひとたちは、
「芸術は金にならない」
「音楽の仕事はない」
「音楽家の人生はリスキーで不安定だ」
といったことを刷り込まれてしまっていると思うのです。その刷り込みを信じて、その前提で発想し、そういう世界観のなかの競争に全力で参加する。
いやいや、実際お金にならないじゃないか、仕事がないじゃないか、という意見もあるでしょう。それは、その通りとも言える。でもそれは「いま目の前の状況」はそうなっているというだけ。
「いま現在、芸術をお金にしているひとが少ない、仕事をくれるひとが少ない、不安定な生活をしているひとが多い」という状況を、当たり前で自然でこれから先もずっとそうだと思い込んでいるだけなのではないか。
わたしは、音楽の仕事をもっと増やし、音楽で経済的に安定して生活していくことは、音楽家自身がもっとマーケティングやビジネスを理解することで可能である、と信じています。
そして、わたしは音楽家が貧乏であるべき、儲けちゃいけないなどとは思いません。
昔から芸術家は経済的に苦労するもんだ、音楽家がお金について主体的に考えたら芸術がおろそかになる、という反論があるかもしれません。でも、わたしはそれには同意しません。
昔、ヨーロッパでは子供がビールを飲んでいました。それって正しいですか?伝統だからそれを続けるべきですか?いいえ。健康に悪影響があり社会にとってよくないことがはっきりしたから、一定年齢に達しないと飲酒はしてはいけないということになりました。
音楽家は、これまで経済的に苦労してきました。これから先も、それが続くべきですか?続いた方がいいですか?
いいえ!
音楽家が食っていけない社会より、音楽家が稼いでいる社会の方が、社会はよっぽど健全で素敵です!
なぜか?
それは、社会のお金が、何かの代わりに音楽に流れているから。
不健康な嗜好品やギャンブル、楽しいかもしれないけれど目や健康には悪いテレビゲームなどより音楽にお金を使う方が遥かに健康で意味があるでしょう?
また、行政の助成なども、お金をしっかり生み出している分野に対しての方が積極的に為されます。だから、個々の音楽家が、自分で仕事を作り出してお金を稼げるようになっていけばなっていくほど、オーケストラなどに対する助成金もきっとたくさん出してもらえるようになるのではないか、と思うのです。
【音楽が多い世界ほどいい場所だ】
なぜわたしは、これほど音楽家に稼いでほしいのでしょうか(笑)
それは、音楽家というものがちゃんと生活していける職業であり、過酷な競争に晒されなくとも自分で仕事を生み出していけば食べていける職業であるということになっていけば、もっと音楽家を志すひとも増え、そして世の中で活動する音楽家も増えるからです。
なぜ増えてほしいかというと、それは簡単。
世の中にもっとたくさんの、もっと素敵な音楽が存在することになるから。生きていてそういう世の中は楽しいし、絶対世界はもっと健全になる。
芸術家は、問答無用で、世界をよりよくする存在です。
アレクサンダー・テクニークは、個々の潜在能力をめいっぱい引き出し、そのひとが本来できることやできるようになれるはずのことを、できるようにしていくものです。
そうすることで、ほんとうならば可能性が満ち溢れた音楽家(プロアマ関係なく)が勉強や競争や日常のなかで潰れていってしまうことを防いだり、潰れかけても回復させたり、潰れてもやり直せるようにします。
そうすると、世の中にもっとたくさんのもっと素敵な音楽家が増えるでしょう?
わたしがアレクサンダー・テクニーク教師を仕事にするうえで抱いている理想はそれです。
だから、いつかは次のステップとして、その音楽家たちが今度は自分で仕事を作り、生み出していけるようにもしたい、というわけです。
バックナンバー
仕事論 vol.1 『音楽の世界にもっとお金のエネルギーが流れてきますように』
仕事論 vol.2『音楽によって価値を提供する』
仕事論 vol.3『罪悪感は仕事をスケールダウンさせる』