音楽、とくにクラシック音楽や吹奏楽、ジャズといった「アナログ楽器による生演奏」に関連したことを仕事にしたり、それに従事することで生計を立てていくこと。
これはわたしが初めて本気でチャレンジした「将来の夢」でした。
中学、高校、大学までの一貫私立学校に在学していたのが、その夢に向かわせたのだと思います。
その一貫校の中学時代から、「とりあえずこのまま大学までいける」ということははっきりしていました。成績は悪くなかったし、学校のなかでも中学生の時点で大学進学に向けたガイダンスが積極的に行われていたからでした。
ふつうであれば、そのまま(良いイメージのある)大学に進めるわけですから、そうすることを念頭に置いて進路も形作っていくのだと思います。
しかし、学校側が中学生にも進路の話をよくしてくれていたからこそ、「大学行ったら何を勉強したいだろう?」と考えることが 多かった結果、「この大学には勉強したい学部がない….」ということにうっすら気付きはじめました。
なんとなく、心理学、教育学、あるいは歴史を勉強したいと思っていたのですが、そういったことを本格的にやる学部がなかったのです。
そのため、
「このまま同じ学校の大学に行っても意味がないな…かといって外部受験をわざわざするのかな?大変だな…どうしようかな…」
と悩むことが中学生のうちから増えていきました。
そんな時期、クラブ活動でやっていた吹奏楽、ホルンの演奏にはどんどん真剣になっていきました。
つてを頼って(そのころはインターネットがそれほどなかったので)プロのホルン奏者にレッスンを受け始めるなど、音楽の世界により深く触れていくようになりました。
そうして高校に進んでから、たぶん高校1年の秋頃にははっきりと、仕事=人生の大きな部分の時間とエネルギーを使うものとして、「音楽に関わること」をやりたいと決心し、音大に進むことを決めたように思います。
確実に進学できる、それも良いとされている大学への進学を選ばなかったこと。
いわゆる「安定した仕事」とか「良い仕事」というイメージからは遠い、「音楽の仕事」を目指すことにしたこと。
これが冒頭で述べた自分の人生での、「本気のチャレンジ」でした。
それから紆余曲折を経て、いまは幸いにも
「音楽を演奏するひとを専門にするアレクサンダーテクニークの教師」
として、音楽に関わる仕事をして生計を立てることができています。
この仕事が将来的にも安泰なのか、まったくわかりませんが、すくなくともこの3年間は生計を立てることができています。そして次の3年もきっと大丈夫だろうとは思います。
演奏上の悩みの解決を助けたり、技術や自信の向上をサポートする仕事ですから、音楽の生成の非常に深いところに毎日ダイレクトに関わることができていることが、わたしにとってはとても満足感と充実感があります。
曲をまるごとではないのですが、仕事で音楽を、それも生で、それもその発展段階のところでずっと聴く事ができるし、しかもその音楽がより良いものになることに自分自身の貢献が大きく関係しているのですから。
とりあえず、3年仕事ができた。そして次の3年もたぶんできる。
年齢も30歳になり、「これからどうしていきたいのかな?」ということを自分に問うようになってきています。
すると、その問いに対しておぼろげながら浮かび上がってくることがあります。
それは、
「この世の中に、音楽の仕事がもっと増えることに尽力したい」
ということです
音楽、それも「アナログ楽器による生演奏」に関連した市場の中で、わたしはアレクサンダーテクニークの教師として生計を立てることがとりあえずできています。
これがどれぐらい、運に依存しているのか、わたしの特殊性に依存しているのか、先駆けてやったことに依存しているのか、正直よく分かりません。
しかし、わたしの主観としては、アレクサンダーテクニークというサービスを知ってもらい、気に入ってもらい、買ってもらうようにする(=仕事にする)ことを実現するために、マーケティングとビジネスの(ごくごく基礎的なこと)を学び自分なりに実践したからこそ実現できたのだと思っています。
わたしの運、特殊性、タイミングなどがなければ再現性がないことの可能性はもちろんあります。
しかし、再現性はないと断定する根拠としては明確なものはありません。
むしろ、「アレクサンダーテクニーク」という売りづらいものをサービスとしてある程度成り立たせられているのであれば、
・コンサート
・音楽のレッスン
・音楽に関係するイベント
・音楽に関連するその他の商品
を仕事にすることは、マーケティングとビジネスの原理を実践していればアレクサンダーテクニークよりもっと簡単なのではないかと思うのです。
「アナログ楽器による生演奏」に関連した市場の現状を見ると、これもわたしの主観である可能性はありますが、そこに注がれている人々の努力、熱意、関心に比して不自然なくらい、お金になっていないなあと感じます。
他の市場に比べると、演奏家たちが演奏にかける努力と持ち合わせている技術はものすごく大きいと思います。つまり、コンサートという商品が潜在的に持っている力が巨大だということです。
また、聴衆の音楽に対する思い入れも特殊なほどに強いです。つまりニーズも潜在的には巨大です。しかも音楽への欲求というものはもはや生物学的なものである可能性もありますから、ニーズはおそらく永続的に継続する可能性がるのです。
なのに、仕事として成り立ちづらい現状がある。あるいはそういうイメージがある。
芸事に関わるなら親の死に目には会えない、だの
芸術家は貧乏だ、だの
音楽家なんて霞を食べて生きるものだ、だの
そんな言説をけっこう信じ込まされている面や、どうしてもそう思ってしまう面が、わたしたち音楽家にはかなりあるのではないかと思います。
しかし、人のためになるとは限らない、むしろ場合によっては有害なものを売ることで大儲けしている業界だって普通にたくさんあるのです。
賭け事、たばこ、お酒….
だったら、人のためになる音楽や芸術ばかりが、何か悪いことをしているかのような、 何か「役に立たないことをしている」かのような?言われようをされる筋合いはありません。他の業界が堂々とお金を動かせているのならば!
なので、音楽が役に立たないから、あるいは人のためにならないから、無駄だから、ただの贅沢品だから、仕事にならないとかお金にならないということではないはずなのです。
うまくいかないのは、難しいのは、わたしたち音楽家がマーケティングやビジネスの理解やスキルを持っていないから、あるいは仕事として成り立っていくために必要なことをやれていないからではないか、と思うのです。
わたしは、マーケティングの専門家でも、ビジネスの専門家でも、経済の専門家でもありません。
ですから、ここまで記した仮定の話はもしかしたら間違っているのかもしれません。
しかしながら、音楽に関連し音楽に貢献することを仕事にしたいと強く願い、またそれはできるのだろうかととても不安に思いながらもこの3年はひとまず生きていくことができたわたしの経験は、まちがいなくマーケティングの勉強、理解、実践に支えられていたと思います。
わたしは、音楽がもっともっと多くのひとに触れ、愛され、生活の中心に入り込んでいってほしいと思っています。
そうすれば、この世界はもっと素敵なものになると思うからです。
現在の世の中の仕組みでは、より多くの音楽家や音楽に関連する仕事をしている人が、その仕事でしっかり生きていけること、無理をせずとも地に足をつけ家族を養っていけるような生計を立てていけることがもっとできるようになることでこそ、それは可能なのです。
いまの世の中は、お金のエネルギーの循環によって社会が支えられているからです。そのエネルギーが音楽の市場にもっと回ってくることは、社会に音楽がもっと届いていることとほぼ同義なのです。
ですので、いまのところ音楽の市場においてアレクサンダーテクニーク教師として生計を立てることができている(会社員・従業員という形で、ですが)その経験から、
「アナログ楽器による生演奏」に関連したことを仕事にしたり、それに従事することで生計を立てていく
ことを望むひとたちのちからになることが、ほんの少しでもできればいいなと願って、この「仕事論」シリーズを時々書いていきたいと思います。
どうぞ引き続き、よろしくお願い致します。
私は、音楽(情操教育)と体(身体の使い方)を組み合わせたり、生き方の授業としてアレクサンダーテクニックが導入されるように願っています。
日本の公教育に組みことで良いことにお金が回っていく流れになるのでは?と思います。日本の教育は、道徳教育をはじめ、ゆきずまっています。是非日本の公教育に組み込まれていくようにお願いします。小学生からのテキストや、指導者の養成には膨大な年月とエネルギーを必要としますが、将来的に可能性が出て来るのでは?と思います。
河村様
激励のコメントありがとうございます。
公教育にきちんと組み入れられるようになるには、生徒さんの健康や幸福指数などに良い影響があることを、
しっかりしたエビデンスが得られてからになるでしょう。
そのエビデンスのためには調査が必要で、調査にはお金が必要ですね。
そういった流れになっていくためにも、地道に活動を続けて、
より多くのひとに貢献していくことをしっかりやっていかねばなりません。
ぜひ、これからも応援よろしくお願いいたします。
Basil