音楽をする人を苦しめる「身体の力み」「無駄な緊張」。これの原因は、ほとんどの場合、何らかの「恐怖」であるように思える。
緊張の原因を私は広義に考えると二つに分かれるように今は思える。ひとつめ「できないことをやろうとする」こと。ふたつめ「できることをできないと思い込む」こと。
動かないところを動くと思い込む。逆に、動くところを動かないと思い込む。いずれも緊張につながる。いわゆるボディマッピングはこれを修正するので、アレクサンダーテクニーク教師の多くは取り入れている。
一見、からだの話であり、恐怖なんて関係ないようだが、そもそも身体の誤解を持つに至ったきっかけや、誤解が保持される理由に恐怖が深く関係しているかもしれない ‥‥。
また、「できないことをやろうとする」のも「できることをできないと思い込む」のも、「自分の思っていることと現実がずれている」というところで共通している。
「現実と思っていることをずらす」力は何だろう?やはり恐怖が関係しているように思えてならない。
アレクサンダーテクニークのレッスンで起きることは、恒常化または習慣化した身体の恐怖反射が軽減または解消されることである。
そのアレクサンダーテクニークのレッスンでは、ほぼいつも「こんなにラクに音がならせるなんて‥‥!」という発見を目の当たりにする。
それは自分が、自分で思っていた以上に自然で確かな演奏能力、音色、音楽性を持っていた「現実」に触れるからだ。
そのとき、必ず何らかの「恐怖の解放」がある。背景だけではあっても必ず何らかの意味を持っている。
ときには、何らかの恐怖を原動力に続けていた無理=できないことをやろうとするけと、これを手放すことがアレクサンダーテクニークのレッスンで起きる。やはり恐怖の解放を意味する。
いずれも。「現実」に触れ、調和している。
恐怖の霧の向こうの「現実」は、触れると意外なほど優しいのかもしれない。恐怖反射を解放するアレクサンダーテクニークのレッスンで感じるものは「希望」や「安心」だからだ。
思っていた以上の可能性に気付く。やらなくてよいことに気付く。どちらも「現実」に触れることであり、何故か「癒し」でもある。
音楽をする人の多くは、傷付いている。だから音楽に癒される。でも音楽をする中で傷付いてもいく。それをケアするのも、アレクサンダーテクニーク教師てのわたしの仕事かもしれない。