よく世間では教育の事が「褒めるか」vs「叱るか」の二項対立的に語られます。
つい最近、ある保守的な新聞で「最近は褒める事ばかり推奨されて、きちんと叱られて育っていない若者が多く、軟弱だ!もっときつく叱らせろ!」という趣旨の事をオブラートに包んで(笑)書かれていました。
日本の場合は、戦前の「教育」を原体験として、そのような時代の教育が「基準」となって教育が語られることが多いのでしょうか?それで上記のような変な話が出てきてしまうのかもしれません。その教育モデルは個々人の自己実現を促すどころか抑圧していますね。
前置きが長くなりましたが、今回、私が考察したいのは 「現実」に着目する というアイデアです。
バンドを指導し、中高生を指導者が牽引するとき、バンドの個々のメンバーの実力や、合奏力を伸ばすのが目的ですよね?
その目的にフィットする指導法は何なのか?と考えて来て見えてきたことがあり、それがまさに「現実」に着目するというアイデアなのです。
具体的に言いますと、
「伸ばす」ことが目的なら、「伸びた」ところに着目する
ことを意味します。
私も日本の中学高校で吹奏楽部員としてコンクールをはじめ濃密なクラブ生活を経験しました。
すると、もはや無意識的ですが、「どこがまだできていないか」「いかに目標が達成されていないか」にばかり着目するように、徹底して訓練されていたのに気がつきました。
この思考方式のまま、中高生の指導をするとどうなるか?
口から出てくる言葉が、どれだけ取り繕っても結局は「あれができてない」「まだここが足りない」ということを言うものばかりになってしまったのです!自分自身にもそう接しているわけですから、当然他人にも同じ態度になります。
すると中高生はどうなると思いますか?
・少し緊張する
・そして疲れる
・そして集中力をなくす
・そしてつまらなさそうになる
・そして演奏の質が下がる
そんな流れになってしまいます。これって、指導者としては「向上」のための力になりたいのに、引き起こす結果は真逆ですよね?
では、どうしたらいいのか?
合奏やパート練習の指導中、面倒かもしれませんが一回一回丁寧に、
「どこがどう伸びたか・どう向上したか」
に着目するとよいのです。
目指していることが、「伸ばす」こと「向上を促す」ことであれば、それにつながる情報やヒントは、演奏者にとっても指導者にとっても等しく、「どこがどう伸びたか・どう向上したか」にあります。
100点の演奏や音、ハーモニー、リズムを目指したとして、たったいま鳴らした音が50点だったとします。
ついつい、「100点じゃない!」とか「100点に全然足りない!」ということに気持ちも目も耳も言葉も向きがちです。
しかし、「100点じゃない」ことの中には、「100点に向けて点を積み重ねる」要素はありません。
「50点」の中にこそ、次の1点を積み重ねる情報があります。
もう一度演奏してもらって、次が「65点」だったとします。ということは、「15点」向上したのです。
このとき、ついつい「100点じゃない」ことに気持ちも目も耳も言葉も向きがちです。
しかし、「100点じゃない」ことの中には、「100点に向けて点を積み重ねる」要素はありません。
「15点伸びた」ことにこそ、「次の1点の伸び」を示してくれる情報、方向性、可能性が含まれています。
なので指導中、指導者が 「どこがどう良くなったか」を具体的に行ってあげる のがとても大切です。
これは「褒めている」のではなくて、「現実」をきちんと教えてあげているのです。
「100点じゃない」ことは誰にでも分かります。しかし、「どこがどう良くなったか」は、意外なくらい見落としやすいですし、演奏している本人たちは確信が掴めないことも多いです。
そこに指導者が具体的に明快に「どこがどう良くなったか」を教えてあげると、演奏している本人たちは
「そのときどうやって演奏していたか」と「どう良くなったか」を結びつける
ことができるようになります。
すると、「良くなる方法」がおぼろげながら見えてくるのです。そうすれば、どんな人でも当然もっと伸びたいし向上したいわけですから、その方法を取り入れようとします。これが更なる成長につながり、向上を加速させる力になる、というわけです。
「100点じゃない!」と叱るのは簡単です。
しかし、「どこがどう良くなったか」を具体的に明快に伝えることには、指導者の努力が必要になります。これは単純に「褒めている」のではなく、現実を認識しているだけ、とも言えるのです。
現実は意外に優しいのかもしれません。私たちが想像しているより、自分たちは「良い」のかも知れません。だから、その「現実」を伝えることが「褒める」ように聞こえるだけ、と考えられるのではないでしょうか?
何はともあれ、向上するためには、「いま実際に伸びたところ」に着目するのが早道であり、王道です。
『現実は意外に優しいのかもしれません。私たちが想像しているより、自分たちは「良い」のかも知れません。だから、その「現実」を伝えることが「褒める」ように聞こえるだけ、と考えられるのではないでしょうか?
何はともあれ、向上するためには、「いま実際に伸びたところ」に着目するのが早道であり、王道です。』
素晴らしい文ですね。普段私がもやもや考えている事を言語化して下さる能力はすごい思います。
ほめる=現実の認識、まさにそうです。もし達成されてないときは、「いいね」と言います。出来たとき、上手く言った時は「素晴らしい」と使い分けています。「良いね」は生徒が頑張っている姿勢が良いと思って言うようにします。「素晴らしい」はその言葉の通りです。生徒はこの違いが分かります。3歳の子どもでも分かります。「違うよ」と言う言葉は禁句だそうです。いつも素晴らしい文章ありがとうございます。
阿部眞美さま
その「いいね」と「素晴らしい」の使い分け、いいアイデアですね!私もぜひ使わせてください (^^)/
3歳の子供に通じるなら、これは本物だ。