進むべき方向

変化すること。上達すること。それには抽象的ではありますが、共通した構造があります。前回は『行動・実験・実行』という段階について解説しました。

その次の段階が、様々な試行錯誤を経て、自らが進むべき方向や取るべき手立てがもはや明確になった段階です。ここからが「変化」あるいは「上達」のサイクルの後半に入る、とも言えます。ここまではいわば「下準備」であり、ここからは「あとはやるだけ」というところなのです。

いくつか異なるレベルから、この段階に当てはまる具体例を述べると分かりやすいので、そうします。

技術的なレベル

いったん音楽から離れて、野球選手を例にしてみます。野球という競技は非常に技術的なもので、正確な動作とタイミングが要求されること、そして道具を使うという事において楽器演奏と似ています。真剣に競技に打ち込む野球選手たちは、バッターもピッチャーも「フォーム」に取り組む時期を迎えることが多いようです。

特にプロ野球選手であれば、元々素晴らしい身体能力と技術的センスを備えています。そのためあるレベルまで一定の成果をそれまで作り上げた技術を使って出します。

そんな彼らも、あるとき行き詰まりを迎えたり、変化への欲求を覚えたりします。

・相手チームに弱点を研究されて
・出せる成果に限界を覚えて
・それまでの打ち方・投げ方が原因で怪我をし、より無理のないやり方をする必要に迫られて
・野球選手として更なる高みを目指すため

そこで彼らは、ビデオで研究したり、コーチからのアドバイスを参考にしたりして試行錯誤を始めます。
これが変化のサイクルの「前半」に当たる部分です。

それを経て彼らは「こうしたらいいんだ」という技術的な答えを見つけます。

・バットの正しい軌道を見つけた
・新しい握り方を見つけた
・肘に負担をかけない投げ方を編み出した

などなど。

あとはそれを実践し、現場で使うのみ。もうはっきりしているのです、これからどうすればいいのかが。この段階に来ると、迷いはありません。迷うのは、まだ前半にいるときです。

この迷いの無さ、明確さが『進むべき方向』が見出されたこの新しい段階の特徴です。

しかしもう一つの特徴があります。それは何が起るか分からない怖さです。この怖さを乗り越えるためには、変化に必要な3つのエネルギーのうちまだ紹介していない『信頼』のエネルギーが必要です。この『信頼』のエネルギーについては、次の項で取り上げます。ここではもうひとつ具体例を挙げます。

精神面や生き方のレベル

次に私自身の経験した『進むべき方向』がはっきり見えた段階の体験を具体例として述べます。私はそドイツの芸大で5年間学んでいましたが、その学びの意味や展開がはっきりしたのは3年半を過ぎたころでした。

その頃には技術的進歩や、これからも上手になっていける手応えは感じていました。しかしどうしても繰り返しあがり症に見舞われていました。

すでにアレクサンダー・テクニークのレッスンは本格的に受けていました。そのおかげで耐え難かった背中の痛みや体の疲れからは解放され、演奏技術が伸びていました。でも、あがり症だけはなかなか、改善の糸口が掴めていなかったのです。

そんなある日、当時通っていたエッセン・フォルクヴァング芸術大学の学生食堂で通路の壁に貼ってあった小さなチラシを見つけました。そこには「Mental Training ~ fur Buhnen-Angst”」と書いてありました。舞台恐怖症のためのメンタル・トレーニング。私はそれを見て「そういえば、メンタル・トレーニングはちゃんとやってみたことが無いな」と思って、行ってみることにしました。『サポート』を受けることにしたわけです。

メンタル・トレーニングを指導していたのは、Petra Kessler (ペトラ・ケースラー)さんというフルーティストでした。彼女からは本番に備えるためのテクニックもいくつかとても有効なものを教わりましたが、何回目かのセッションで最も本質的なターニングポイントが訪れました。

セッションに通っていたにも関らず、ある本番であがってしまって失敗しました。その後日にセッションに行ったときのこと。私のあがり症や不安が、ペトラ先生の想定していた以上に悪質だったらしく、彼女は今までとは異なることを問いかけてきました。

ペトラ
「あなた、楽器以外で好きな事あるの?」

わたし
「え?ありますよ。どうしてですか?」

ペトラ
「ひょっとして、『自分はホルン奏者として成功する以外に生き方は無い』って思っていない?」

わたし
「….. たぶん思っています…..」

ペトラ
「ああ…. それでだわ、あなたがアガリ症で大変になってしまうのは。演奏以外にも道を作っておかないと、誰でもプレッシャーに押しつぶされてしまうのよ、絶対に」

わたし
「え!そうなんですか!ひとうに絞ってそれに全てを賭けるのが正しいんだと思っていました」

ペトラ
「そんな訳ないでしょう。それは人間的とは言えないわ。あなた、ホルン奏者以外に興味ある職業ある?」

この問いかけが、私には衝撃的でした。それまで私は、ホルン奏者になるために全てを犠牲にして頑張る事が正しいんだ、とどこかで思っていたのです。だから「他の道」というのは私のなかでは「あってはならないこと」「負け」という感じで捉えていたのです。

しかし、しつこく何年も私を苦しめてきたアガリ症。これの根っこがその上述の考え方にあるのだと言われ、そして「他の道」というものに目を向けさせられたとき、私の思考が全てひっくり返り、視界が開けるのを感じました。本当に、重荷がスーッと胸から煙のように蒸発していった感じがしました。

わたし
「……」

ペトラ
「何もないの?本当に?」

わたし
「….. あ!あります!いま気付きました、すっごく興味がある事、あります」

ペトラ
「それは何?」

わたし
「アレクサンダー・テクニークの教師になりたいです。」

ペトラ
「それなら、今日からあなたはホルン奏者とアレクサンダー・テクニーク教師の『両方』を追求するようにしなさい。それで初めて、メンタル・トレーニングのテクニックが使えるわ」

このときのセッションが、私の人生の次の方向性がはっきり見えた転換点でした。不思議とそのセッションの帰り、とても胸が躍りました。そして、なぜか初めてホルンのレッスンを受けた中学3年生のときのことを思い出したのです。すでに京都市交響楽団を定年退職されていたホルン奏者・逢坂知訓先生のレッスンでした。

初めてプロの先生に本格的に習ったその日、私は「レッスン」というものの面白さに興奮していました。そして逢坂先生に「ホルンの先生になるにはどうしたらいいのですか?」と尋ねて、先生を戸惑わせたのを覚えています。まさかそんなことを聞かれるとはね(笑)

先生は「う?ん…. やっぱりまずは音大かな?」と答えました。そういえば私はまさにその瞬間から、音大に進学することを考え始め、4年後エッセン芸大に入学していたのです。

このように、私は方向性の選択肢を思い出すとともに、よりはっきりと自分本来の方向性を回復しました。すると、その1週間後にあったソロの本番で、私は数年ぶりに良い演奏ができたのです、クラスメートもびっくりしていましたが、私も驚きました。

アレクサンダー・テクニーク教師になるためにはどうしたらいいのか、色々な資料を集めたり、休みの期間には実際に養成学校に見学に行ったり。残された2年弱の学生生活の時間を、私は「アレクサンダー・テクニーク教師養成学校に進むための準備期間」と考えるようになり、それからソロの本番も割合としてうまくいくことが増えて行きました。

これが『進むべき方向性』が明確になる意味です。

私のこのときの場合、『進むべき方向性』が見えたそのときに、その方向に進み始めました。しかし、方向性が見えることと、そちらに進む事のあいだには、先ほども少し言及した『信頼のエネルギー』が必要になります。次項、『信頼のエネルギー』について詳述します。

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進むべき方向」への3件のフィードバック

  1. 変わるための構造

    ひとが変化し成長するということには、ある決まった流れあるいは構造のようなものがあります。アレクサンダー・テクニークのレッスンで、教師はその構造を理解したうえで、受講者がどういう段階にあるかを把握しながら進めています。この構造は、「苦手だったフレーズができるようになる」という小さなレベルから、「プロの音楽家になる」という大きなレベルまで、様々な大きさや長さの「変化」を説明するモデルです。 そのモデルについて、すでに一通り書いていますが、また改めてこのテーマについて書き進めていこうと思います。 今回は、 ・バジル自身がいま辿っている「生き方」レベルでの変化 ・楽器演奏の上達を考えるときに役立つ基本的なモデル の両方を織り交ぜながら進めていきます。 変化には 1:夢 2:現実 3:思考 4:行動 5:見通し 6:結果 1(7):新たな夢 という循環構造の6つの段階と 段階を進んでいくのに必要な A:自分のエネルギー B:サポート(他者・外部)のエネルギー C:信頼というエネルギー という三つのエネルギーがあります。 これから数週間かけて、 1→A→2→3→B→4→5→C→6→1(7) という順番でそれぞれ見ていきます。 どうぞお楽しみに。

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