楽器の演奏が上達するということは、変化しているということです。そして、変化するためには、いまこのときの現実をより良く知ることが大切です。
しかし、現実を知ろうとすると、ある種の恐怖や抵抗を感じることがあります。それは、敢えて現実を見ようとする行為自体が、それまでの自分の世界観やパターンを破ろうとしているからです。
これまで信じてきた事や守ってきた世界観は、これまで自分を生き残らせてくれたとても価値の高いものです。それを自ら破ろうとするわけですから、本能的に恐怖を感じるのはむしろ健全な反応です。
ただ、変化を望んでいるということは、何かが行き詰まっているということの裏返しでもありますね。いままでのまま物事を続けていても、良くならない―。そうどこかで分かっているのです。だからこそ、見たいものを見たいように見続けるのはやめて、現実を直視しようという何らかのモチベーションが生まれています。
確かに怖いのですが、良い報せがあります。現実はその通りに見えれば見えるほど、解決策やヒントがざくざく出てきます。行き詰まりが、解消されてきます。
これから私自身の変化の例を挙げますので、自分なりに当てはめて考える材料にして頂ければ幸いです。
うまくなること。そしてアンブシュアのこと。
私はいつ頃でしょうか、おそらく中学生のときぐらいから、「自分はアンブシュアが悪いのではないか」という恐怖感を抱え込むようになりました。アンブシュアが悪いと全てうまくいかない?。そういうニュアンスで書かれている権威ある教則本は多いですし、そのような指導もまたごく普通です。すると、頭の中では「アンブシュアが悪いから、何をやっても無駄」「このまま自分は一生うまくならない…」そういう思考が練習をしている間にもこびりつくようになってしまいました。
かといって、単純にアンブシュアを変える、といってももちろん演奏能力が一旦大きく落ちますから、非常に怖くツラいわけです。すると、練習をしてもアンブシュアが悪いからダメ&アンブシュアを変えてもうまくなるかどうかは分からない、という大きな矛盾に苛まれます。
後で分かった事ですが、これは「正しいフォームでないと正しい演奏はできない」という考え方が基礎になっています。これをあまりに本気にしてしまうと、練習の目的がフォームを良くすることになり、音を奏でることと切り離されてきます。すると、音を出すための演奏能力がうまく育たないという現象も起きていました。
もちろん、フォームや見た目の形から理解できる事はあります。しかし、脳は望む音を出すために身体を動かすという事実がある以上、見た目やフォームから奏法をコントロールすることには、必ず限界があります。
その方式でうまくいくのは、才能や強さがある人に限られているかもしれません。いすれにせよ私はそれではうまくいかなかったという否定できない現実がありましたし、また同じ問題に苦しむ人も大勢います。
そこで、私は現実を見る必要がありました。
自分がアンブシュアの形を『正しく』しようとしているとき、実際に演奏能力は培われているだろうか?
自分がうまくなれる方法とは一体何だろうか?
演奏は、生理学や脳科学から見て、どのようになっているのだろうか?
人間の身体や脳の実際の仕組みに沿った吹き方や練習の仕方はどんなものだろうか?
こういった問いを持ち、自ら考える作業を私は大学の3年目になって本気で始めました。もはやあらゆる頑張りや努力が実らず、このままやっても卒業試験すらまとめに吹き通せないし、ホルン演奏家としての最低限の力量も身につけられずに終わってしまうのが分かっていたからです。
これらの問いを本気で模索することは、大きな覚悟が必要でした。なぜなら、有名な教則本や、いろんなプロの演奏家のひとたち、先生たちが言っていることと異なる理解を持とうとしていることを意味したからです。それまでの自分が受け入れていた世界観から出てゆこうという決意です。当然、怖かったです。
しかし先ほど書いたように、一旦ちゃんと現実を探る作業を始めると、そこからは色々な発見がありました。そこから段々と演奏能力も培われていくようになりました。何より、練習の成果が見えるようになったのです。
これは特に心理的に非常に大切なことでした。それまではいくら練習しても、具体的な成果にはつながっておらず、身体を痛めるばかりだったからです。大学の最初の二年は本当に暗黒でした。
また、現実に目を向けると、「正しいフォーム」論以外の信頼できる情報も目に入ってくるようになりました。
例えば、故アーノルド・ジェイコブス氏(シカゴ交響楽団チューバ奏者)のレクチャーCDと著書は、まさに宝の山でした。彼は生理学的見地や脳科学的知見から演奏のことを深く考察したプレイヤーで、「身体は音のイメージという指令を受けて動く」ということを説いていました。これは正しいフォームを身に付けようにもうまくいかない自分にとっては、アンブシュアを始め演奏の諸側面を機能させたいという望みへの力強い励ましでした。
また、故デニス・ブレイン(世界的ホルン奏者)の映像もとても心の支えになっていました。なぜなら、現代ホルンのソリストの源流とも言えるこの偉大な奏者は、「フォーム論」から言えばまさに「誤った」アンブシュアで吹いていたからです。これはアンブシュアの見た目の形と演奏能力は比例していないことを示していました。非常に勇気づけられました。しかも、彼は天才だから例外、ということは全くなくて、少し探してみると有名で世界的なプレイヤーにはいくらでも「正しくない」アンブシュアの持ち主がいるのです。そうして私は、アンブシュアが良い吹き方と高い演奏能力の決定要因ではなく、音のイメージとそれを実現すべく機能する身体全体の動きが、その人の構造に見合ったアンブシュアを自ずと形成してくれるのだということを理解していきました。
そして最も大きかったのは、当然ながらアレクサンダー・テクニークです。練習と上達はどのようにつながるのか、呼吸とは本当のところどうなっているのか、身体全体はどのように機能が発揮されるのか。その「現実」を知り、身体化していくことが変化の決定打となりました。
このように私は、現実を知り、現実に沿っていく事で2年に及ぶ負のスパイラルから脱出できました。いまではアンブシュアの形や、ちょっとした機能不全に見えることでも気にならずに練習に集中できます。それは、形は自ずと形成されること、そして一見「アンブシュアのせい」に見える機能不全(切り替えがついていかない、ほおがふくらむ etc… )も、実際には遥かに広範な、呼吸を含む身体全体の動きから作られていることも知っているからです。そういった「問題」も、身体全体をどう使っているかな、という観点から自分で観察し、時間をかけて自然と改善されていきます。
以上は、あくまで私個人の「変化」の例です。しかし、「現実を知る」ということが大切なピースであったことが象徴的でもある例でした。
この事は、抽象的な事から日常的な事まで、様々な「変化」を考えることができるモデルです。ぜひあなたの例も教えて下さい。
さすが長年かけた命題の記事ですね。
変化は、時間がかかることもあるし、ひょいとわかってしまうこともある。ひょいと見えても、常に改善へ意識が向いているからこそ起こるんでしょうね。
今日の私は1時間弱のレッスンで目から鱗でした。まだまだ発見があります!!
kaorinさん
この記事、実は今回のシリーズの要素全てが入ってます。次どうやって書こうかな、困った(笑)
思考あるいは洞察
このシリーズの更新は2ヶ月ぶりとなりましたが。変化と上達のプロセスには最も抽象的なレベルではどのような仕組みがあるのかを探る今回のシリーズ。ここまでは 夢あるいは悪夢 『自分』のエネルギー 現実 ということを見てきました。上記をクリックしたらそれぞれの記事が読めるのでぜひご参照下さい。 今回は「思考あるいは洞察」というものを考察します。 変化し上達するためには現実を知ることが不可欠なのですが、私たちはその現実から得られる情報をもとに「思考」を作り上げています。物事が変わっていく時、私たちは思考が変わったり、新たな洞察を持ったりします。 私たちは、厳密に言うと現実をそのまま知ることはできません。実際には現実から得られるいろいろな情報をもとに、現実について「こういうことなのではないだろうか」という推測あるいはモデルみたいなものを「思考」という形で作り上げ、保持しているのです。 そのため、変化や上達は「現実」が変わるというよりは、私たちの思考が変わることに伴って起きていると言えます。楽器の演奏能力が向上するその瞬間。たとえば今まで出せなかった高音が初めて出せるようになったとき。確かに今までは出来なかったことが出来るようになったのですから、現実が変わったとも言えなくはないのですが、実はあなたはずっと以前からその音を出す「能力」あるいは「インフラ」は備えていたのです。ということは、試行錯誤を経てあなたは、自らが本来備えている能力の「発見」に至ったのです。 逆に行き詰まっている時やなかなか上達が起きないときは、あなたの「思考」が現実とマッチしていないまま保持されていることを意味します。「これでいいはずだ」と思って続けている練習法や奏法が、実はあなたの能力を発揮することにはつながらない行き止まりの道かもしれないのです。 ここで強調したいとのは、不調時や行き詰まりに苦しんでいるとき、それはあなたの「能力」の問題ではなく、そのとき当たり前に採用している「思考」が原因になっているということです。言葉で説明していると微妙な違いにしか感じないですが、実際には大きなポイントです。 自分に疑いを持つのか 自分の思考を疑ってみるのか こう表現すると、その違いは歴然とします。前者は自己不信の類いです。対して後者は、自分への信頼がベースにあった上で、自分の思考や捉え方を変えてみる勇気や柔軟性を示唆します。 私の個人的な…
変わるための構造
ひとが変化し成長するということには、ある決まった流れあるいは構造のようなものがあります。アレクサンダー・テクニークのレッスンで、教師はその構造を理解したうえで、受講者がどういう段階にあるかを把握しながら進めています。この構造は、「苦手だったフレーズができるようになる」という小さなレベルから、「プロの音楽家になる」という大きなレベルまで、様々な大きさや長さの「変化」を説明するモデルです。 そのモデルについて、すでに一通り書いていますが、また改めてこのテーマについて書き進めていこうと思います。 今回は、 ・バジル自身がいま辿っている「生き方」レベルでの変化 ・楽器演奏の上達を考えるときに役立つ基本的なモデル の両方を織り交ぜながら進めていきます。 変化には 1:夢 2:現実 3:思考 4:行動 5:見通し 6:結果 1(7):新たな夢 という循環構造の6つの段階と 段階を進んでいくのに必要な A:自分のエネルギー B:サポート(他者・外部)のエネルギー C:信頼というエネルギー という三つのエネルギーがあります。 これから数週間かけて、 1→A→2→3→B→4→5→C→6→1(7) という順番でそれぞれ見ていきます。 どうぞお楽しみに。