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【夢にケチをつけるな!】
先の記事「きみはいま、何がしたい?の練習法」でわたしが受講生に対して提案した練習方法。
もちろん、わたし自身も前からやっていました。
しかし、「いま、自分は何したい?」の問いを、「自分の人生で何したい?」という問いとあまりしっかり結びつけてこなかったな、と受講生に説明しているその説明を自分で聴いていて、自分に対して気付きました。
レッスン活動、あるいは「教える」ことから生み出す音楽への貢献。
その活動に関しては、「人生で何したいか?」という観点や「むこう5年で何を実現したいか?」という自分への問いかけを本気でやり、それに関連づけて「じゃあいま何しようかな?」と考えることをちゃんとやってきていました。
夢とか、大きなビジョンとか、目標とか、そういったものを持つことにあまり抵抗や恥ずかしさを感じずにやってきました。感じたとしても、それがまさに行動や流れをせき止めていることが自覚できたので、卑下せずにやれることはやってみる、ということを続けてこれました。
でも、ホルンの方はどうだろう?
ほんとうに「夢」に向かって一日一日のアクションをしてきたかな?
…….. いつからか、「ほどほど」のことしかやっていないなあ…いや、むしろ最初から「自分には無理」「そんなのできっこない」「そんなこと夢見るのは恥ずかしい」という「声」の言うことを聞きがちだったかもしれない。
先の記事に登場する受講生は、自分の夢(海外で活動する)ことに対して、本気中の本気でした。そりゃもちろん、「自分にほんとうにできるかな」といった不安や怖れを感じることもあるでしょうが、だからといって本気で「じゃあやめとこうかな….」という方向に気持ちも行動も引きずられていくようなところは微塵もありませんでした。
どうも、彼の目の奥の本気度、自分のやりたいことはとりあえず絶対やるぞ、という意味での「自分を信じる」決意。それに直面して、わたしの心の殻にひびが入ったのかもしれません。
中学や高校のときは、天才的に上手な先輩たち(プロになって大活躍しているひともいる)と自分を比較して、「自分には無理だなあ…」
大学入ってからも、クラスメイトや学生一般のレベルと自分を比較して「自分には目指せないなあ…」
卒業後、フリーランスの活動をしていた間も、仕事で一緒になる方々と自分を比較して、「このひとたちみたいな度胸と体力が自分にはないなあ….向いてないかなあ….」
そんなことばっかり、そういえば考え続けているし、もっと悪いことにその考えを、「本気にして」採用してきたなあ、と思います。
そのくせ、ホルンは大好き(笑)それに、ホルンの練習を、ずーっと続けている。いつまでも、上達を願っているし、上達に興味を持っているし、上達のための工夫をいつも新たにこらしている。
これってなんだか変だ(笑)
そこで、ホルンの練習をするときに、改めて問いかけてみました。
「ホルンに関しては、人生で何したい? もし何でも実現されることになるとしたら、何したい?」
そうやって素直に、自分の夢や理想を呼び起こしてみたことはいままでどれぐらいあったかな….
すると…
突拍子もない答えが出てきました。
「ベルリンフィルのひとたちと吹きたい」
おいおい(笑)
しかし、問いてかけみたら出てきちゃったんだから仕方が無い(笑)
それに、夢を描く権利は誰にだってある。非合法でも非倫理的でもない。自分も、他人も、何も傷付けない。だから、これがダメな理由は何一つない。
どうせホルンに取り組み続けているってことは、どうせやる気があるし、どうせ夢があるから。だから、勝手に描いた夢に勝手に卑下や自己否定で反応して打ち消すなんていう余計な作業を加える義務はない。
ホルンに関する夢を描いたら現れたこのビジョンを、「きょう、なにを、どう奏でたいか」につなげて練習してみることにしました。
ベルリンフィルハーモニーホールにいることにしちゃおう。
リハーサル前の、ウォーミングアップの時間。
横にはあの人やこの人….!!!
さあ、音出しだ。どんな音を奏でようかな。どんな音型を使おうかな。
そうやって音出しをし、練習を進めていくと…..
悪いことは何一つありませんでした。むしろいいことづくめ。
・音がスルスル〜っとつながる。具体的イメージのおかげでソルフェージュが正確かつ、立体的(空間のイメージもあるので)なったからかな。
・音を外しても、ビクッと硬くなって余計にミスする悪循環に入っていかない。だってミスっても、ベルリンフィルの人と吹いてるんでっせ?(笑)
・「そーゆー立場」(笑)にいるから、思い切った演奏や解釈の実験にチャレンジしやすい。「そーゆー立場」のひとの演奏に、あまり他人は文句付けないから(笑)
これらを「損」してたのだとすると、こうやって夢に対して素直になり、それを「きょう、いま、ここ」のモチベーションとして迎え入れずにいた間は、損していた分、「悪いこと」が起きていたのですね。
こんな損は、もったいなさすぎる。もうやめにしたい。
今度は、サンフランシスコ交響楽団のメンバーになっちゃおう。そして、ベイサイドの素敵なホールに、親族たちも聴きにきてくれている。そんな「設定」でやってみよう。
これも「夢」のひとつだから。
夢は、エネルギー、動力です。だから、その形や表れは日々変わっていい。大事なのは、夢に蓋せず否定せず、「きょう、いま、ここ」を良くすることを助けてもらうことなんですね。
Basil Kritzer
いつも色々なところで記事や動画等拝見しております。
以前にもこちらやTwitterの方で質問をさせて頂き、実際に役立つアイディアを与えて下さったことを大変感謝しております。
今回の記事、ものすごく納得させられました。と言いますか、頷かずにはおれませんでした。
僕は10歳でトランペットを始めてから1年も経たないうちに、僕のヒーローはウィーンフィルになりました。そして、いつか首席奏者になりたいと思ったものです。
また、中学生の頃には、パユがいる間にベルリンフィルの首席になって一緒に演奏してやる!と夢を描いておりました。
しかし、だんだんと世の中の現実、環境、自分の実力等を知るうちに、「今こんな事をしてるようではダメなんだ。これを思うことは恥ずかしいことなんだ。」と思うようになりました。
それから少しずつ、演奏時に身体をうまく使えないようになっていきました。
10代の半ばから少しずつ悪化していき、去年、ついに音が出せなくなりました。
今は、耳を患っていることもあり、トランペットからより耳に負担の少ないツィンクに転向しましたが、おそらく、自分の希望と考えがマッチしなかったために、身体にまで影響が出てしまったのでは、とこの記事を読んで思いました。
出来ないと思いながら夢を追うことほど辛いことはありません。
ツィンクに転向してからも、相変わらず大きな夢を抱いております。
その夢を恥じず、肯定し歩んでいこうと思います。
やりたいことをやろうとして悪いことなんてあるはずないですもんね!
すごい力になりました!ありがとうございます!
森山さま
森山さまのその体験、すごくよく分かります。わたしも、自分の音が響いたりひとより鳴らせたりするのが中学生のときに怖くなったときからホルンが難しくなりました。
お話をブログで紹介したいのですが
いかがでしょうか?
お返事ありがとうございます!
バジルさんもそうだったんですね。
やはり、色々な人がこういう経験をしているのでしょうね。
紹介していただけるとのこと、嬉しく思います。
拙い文ですが、何かのお役に立てるのならご自由にお使い下さい。
森山さま
ありがとうございます!