信頼から始めよう

昨日、アレクサンダー・テクニークの教師養成クラスに出席しました。先生は、私が学びながら働いてもいるスクール BODY CHANCE の校長であり社長でもある、ジェレミー・チャンス先生

この日の授業は、参加者の質問や持って来た興味関心から、『信頼』というテーマが浮上しました。私も久々にホルン演奏への応用をレッスンしてもらいました。

私はここ最近、自分の「音楽的イメージ」と「技術的イメージ」にどうも不自然な分離があることに気が付いていました。技術的なことを考えると音楽を何だかあえて無味乾燥なものにしようとする、つまりあえて音楽的にならないようにしている自分があり、そして音楽に取り組もうとするとなぜか技術的なことは考えないようにする自分があることに気が付いていたのです。

どちらも不自然ですし、本来、音楽と技術は一切相反するものではありません。芸術は高められた技術によってこそ完成されますし、技術を磨くという行為そのものも芸術的です。

でも、自分がそれを分離させており、また分離させる過程において身体を緊張させていることにも気が付いていました。それで、「分離することをやめる」ということをテーマに授業に参加したのです。

この下にそのレッスンの動画を貼ってあるのでそれを視聴すると分かりますが、私がこのことを先生に言うと、いくつか質問をされました。

そのやり取りのなかでまず分かったのは、それまでの自分が「技術的イメージ」のつもりでやっていたは、実態としては「音が外れたり失敗したりするのがイヤだから、技術的に考えて確実さを増そうとする」というものだったこと、つまりホントの原動力は「技術的不信」にあったということでした。

これはもちろん、緊張を生みます。音楽を演奏しようとすれば、そもそもそれを支える技術に「不信」を抱いているわけですから、音楽に集中していません。音楽と技術的な不信事項にマインドが分散しているので、ここに乖離があるわけです。これは心身を同時に二つの方向に行かせるわけですから、葛藤が生まれ身体は緊張します。

そして技術的に取り組むにしても、「不信」を背景にした取り組みであるうちは、怖れていることを避ける、ダメな自分を改善する、という自己否定が原動力になっています。文化的あるいは言語的にはもちろん自己否定というものは存在し意義在るものですが、もっともっと原始的で生物界の法則から成り立っている身体は、「否定」を理解できません。身体はただ現実としてそこに在りますから、その身体に対して「ダメ=在ってはならない」というメッセージを送ると、身体システムはそれをうまく理解出来ず緊張します。

これが私が気が付いていた乖離感あるいは緊張の正体でした。私は「不信」を基に身体を動かし音を出すという無意識的なクセを持っていたのです。

ここで、まず現実を確認します。演奏をする。音楽をする。それはコミュニケーションすること/伝えることです。音を出す目的は、届けること/話しかけること/伝えること/共有することにあります。それを成し遂げ具現化するのが「技術」です。

ということは、演奏をするときは、そのために磨いてきた技術を信頼する必要があります。その技術がやりたいことをその通りにやれるレベルに達していてもいなくても、関係なくそのとき持てる技術を信頼するのです。

何かうまくいかなくなっているときに、修正し軌道に戻してくれるものが培ってきた技術ですから、うまくいかなくなったときに技術に立ち戻ればいい。そしてその技術があるからこそ音楽の本来の目的に専念できるのです。ということは、技術的レベルに関係なく、そのときの自分の技術を信頼することが必要です。言い換えると、「不信」とそれに付随する緊張を自ら手放し、「信頼」に置き換えることが必要なのです。

この日のレッスンでは、「不信」に動かされているときに頭と首から背中の中部にかけてちょっと動きを止めるという身体的に「やっていること」の結びつきを特定しました。

そして「信頼する」という新しいメンタルなプロセスと、先生の手のサポートを借りて固めるパターンを「やめる」ということを結びつけて吹いてみました。変化のためには思考と身体、両方同時に「新たな使い方」をやってみて、クセを置き換えるという実体験が必要なのです。

こうしてみると、楽器を持ち上げ息を吸うというところまで、すごく楽でスムーズに感じました。余計な不信と緊張をやめると、現実にこういう変化と感覚を体験するわけです。

しかしマウスピースが目の前の視界に入り、アンブシュアの準備に入ったとたん、またさっきと同種の緊張する動作を起こしてしまったことに気が付きました。メンタル的にも「音をハズす」ことにまつわるような意識が生まれした。

つまり、私にとってはマウスピースとの接触そしてアンブシュアの準備決定的瞬間(The Critical Moment)だったのです。

これで学んだことは三つ。

その1
決定的瞬間に、さらに意識的に「信頼する」&「固めない」という選択をし直す

その2
信頼を基盤にアンブシュアをセットすることができる。

その3
技術的イメージも信頼に基づいてできる。

この学びから、もう一度

・いまの技術を信頼する
・固めないという選択をする

ということをより強く意図しました。

すると、やっぱり発音する直前の一瞬、固めてしまいはしましたが、楽器を持ち上げ発音し音階を奏でるという一連の流れの中で、身体を固めている時間はずいぶん減り、スムーズでラクに吹ける時間が増えました。

オマケ的に、「不信/固める」のときは目をぼやけさせていること、「信頼/固めない/伝える」のときには視界と焦点が明確になっていることにも気付きました。自分がいつ不信モードに入っており固めているのかを知らせてくれるパラメーターになりますね。

良くなったことを気付いたとおりに先生に言うと、先生は一言。

「そう、良くなったね。ということは、技術も含めて、改善できるし良くなれるという『信頼』も持てるのだよ。プランを変え意識を変えると、身体もちゃんと変わってくれる。身体は必ずプランしている通りのことをやってくれると『信頼』できる。そう思ってもいいんじゃないのかな?」

なるほど….

ここにも『信頼』がありました。

まとめ

1:習慣的反応・クセ = 無意識的だけれど使っている『プラン』
 メンタル面=技術への不信
 フィジカル面=頭・首から背中にかけて固める

2:意識的で建設的な新しいプラン
 =技術を信頼し、コミュニケーションを意図する。

3:新しい心身の使い方(結果)
 メンタル面=音楽への専念。解放感。明確さ
 フィジカル面=固めない。視野が明確になる。もっとラクにスムーズに吹ける

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