すべての出発点

先月、先輩アレクサンダーテクニーク教師の真田由佳さんと一緒にスカイプでキャシー・マデン先生のレッスンを受けましたが、昨日2回目のセッションがありました。

この数日間で気が付いていたことがありました。それは、ホルンを練習しているときにある種どうしても解消できない鈍い緊張が背景にあること。そして、その原因が「自分は下手くそでダメなホルン奏者だ」という自分の思考にあることです。

これは、振り返れば中学生のときに端を発しています。

先輩に天才的に上手なチューバの方がいました。その先輩とは仲が良かったので、いつも楽器の話をしたりしていました。刺激を受けて段々私も楽器に夢中になっていきました。しかし、それと同時にその天才的な先輩と自分を比べて劣等感を感じるようになっていました。

いつの間にか、「自分は下手くそだ」という重いが支配的になっていきました。

先輩のように自由にかっこよく吹きたい。でもうまく吹けなくてかっこわるいし何よりすごく悔しい。よし、もうこんな悔しい思いはしたくない。自分は下手くそだからもっと頑張って練習しなきゃ。そうやって自分を練習に追い立てていきました。

これがその後長きにわたって(そして今でも私を動かす)「練習の出発点」になったのです。

もう3年もアレクサンダーテクニークを専門的に学び、身体の使い方や技術的な改善がたくさんあり、毎日成長しているにも関わらず、何か奥の方に横たわる緊張。身体も何かしらの緊張パターンにあるのが分かっていました。

それの正体が、
「自分はホルン奏者としてダメだ。」
というひとつの思考につながることが分かったのです。

そこで、ノートとペンを用意して「自分はホルン奏者としてダメだ」と書いてみました。
そしてそれを眺めながら問いかけてみました。

本当に?
本当に絶対100%自分はダメなのか?
あらゆる基準に照らし合わせても自分はダメなのだろうか?
絶対に真実だと言えるのだろうか?

こう問いかけると、段々元々の思い込みが怪しく思えて来ます。
すこし揺らぐのです。

そこで、反対に「自分は良いホルン奏者なんだ」と思ってみます。
そしてそれに合致する証拠を探してみます。

・ちゃんと教育を受けて学んでいる
・プロのオケに行った事もある
・コンチェルトも演奏会で数百人の前で吹いた事がある
・色々の人から、認めてもらえるようなコメントを頂いてる。

すると、「自分は良いホルン奏者だ」と自然に思えそうな気がしてきます。

そこで比べてみました。

「自分はダメなホルン奏者だ」と考えると、泣きたくなってきます。息が詰まり、背中や首が縮こまってきて、どこにも希望がないような気分になってきます。

「自分は良いホルン奏者だ」と思うと、スッと息が通りました。身体が軽くなって来て、希望が感じられて、楽しく練習したくなるような気持ちになります。自分を許せる。受け入れられる。そんな感覚が出てきました。

次に、実際にホルンを吹く時にこの二つを比べてみました。
驚きでした

前者だと、いつも通りちょっと硬い感じ。

それが「自分は良いホルン奏者なんだ」「だから大丈夫なんだ」と意図的に自分に言葉をかけてあげながら練習すると、吹く時に必ず必要だと感じられた緊張が解け、とくに発音がとてもスムーズになるのです。吹くという行為自体が、身体的に気持ちがいい。背中がリラックスして、息が流れていきます。練習の効率もよいし、自然な満足感が伴うのです。理想としている吹き方に、結局はこちらの方がよっぽど近いんです。

ただの気休めで自分に甘い言葉をかけるのとは、意味が違うんだな、と思いました。
実質的に、後者の方が能力が発揮されるのですから。

アレクサンダー・テクニーク的にも、頭が繊細に動き身体全体が呼応してついていってくれる。

それ以来この数日、意図的に自分に言葉かけをしています。
「自分は良いホルン奏者だよ」、と。

こういったことをキャシー先生に報告しました。
そして前者の考えで吹き真似をし、後者の考えでも吹き真似をしてもらいました。

するとキャシー先生は答えました。

「あなたは良いホルン奏者だ、って考えると心も身体も全てよくなるというのは、ニューエイジでもオカルトでもなくて、それがより現実に近いからなのよ。身体は、身体についてであれ自分についてであれ、思考が現実に沿っているときに本来の機能を果たせるのだから」

「自分がダメって思ってるときの吹き方は、『外れそうな音をなんとか軌道修正する緊急対応的な吹き方』ね。そして自分は良いホルン奏者と思って吹いているときの吹き方は『理想的にこう音を出したいというプランに基づいて実行された吹き方』なっているね」

と。

なるほど!

ですね。

結局、吹き方がちがってしまうのです。

前者はある意味その場しのぎの吹き方。
現場では絶対必要な技術ですが、あくまでいざというとき、緊急のときのもの。
普段から使う必要のある吹き方でもないし、理想的な吹き方でもない。

対して後者は望ましい吹き方により近いなのです。
そして、自分の身体に合って自分の特性にフィットした吹き方が現れてくる。

自分がダメだから練習するのか?

否。

こう吹きたいと思うものがあるから、そのためのスキルを獲得すべく練習をするのですね。

出発点は、吹き方と音と不可分なのです。

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すべての出発点」への4件のフィードバック

  1. 僕はね、自分がぜんぜんイケテナイ初心者だ、と考えるとからだが楽になります。真実に近いんでしょうね(笑)でもこれを採用できたお陰でとっても助かってるのさ。

  2. カズさん

    キャシーも言っていたよ。

    「自分は良いプレイヤーだ」と思った『から』ラクになったのではなくて、「自分はダメな奏者だ」という考えが現実にマッチしておらず、良いプレイヤーだという考えの方が真実に近い。だからラクになるんだよって。

    カズさんのケースなら、何かそれでいらないものが抑制されるんだろうね。そして、初心に戻れるんだろうね。自分のステータスとか経歴とか云々から離れて、初心という真実に戻れるってことかな。

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