2011年のこと。
わたしのアレクサンダー・テクニークの先生であるキャシー・マデン先生が来日していた3週間の間、私のホルンの演奏を見てもらったときに限らず、他の多くの生徒さんに色々な形で繰り返し言っておられたことがありました。
それは
「何かを変えたい時あるいは何かを止めたい時、『何か別のことを考える/実行する』必要がある」
ということ。
これは
「〜を止めよう、と考えていても、止めたい事は止まらないし変わらない」
ということと表裏一体です。
理由は簡単です言語のうえの否定形は、演奏とは相性が悪いから。
言語には否定形があり、脳の言語を担当する言語野はもちろん否定形を認識します。
でも身体運動においてはあまり使い勝手がよくないのです。
運動は筋肉を用いて身体を動かすこと。脳からの運動命令は運動をイメージすることで発令されています。
例えば「動かない」と言語上否定形で考えられることも、運動イメージではそれは「静止している」イメージになります。つまり、「バランスを一定の範囲内で保つ運動」をイメージしているのです。
絶対静止はありえないですから、事実としては動いています。ある範囲を保った「動き」をやるわけです。
しかしそこで言語にこだわって「動かないようにする」ことに必死になるとどうなると思いますか?
一定の方向の動きを強くやり(静止する、という運動を強くやることになりますから)、そして動きの範囲を「静止」に見える範囲に留めるべく、反対の方向の動きも強くやります。
筋肉レベルで見ると、「動かないように」と考えれば考えるほど、むしろ動きは強まっています。力は大きいほど安定は損なわれ、グラつくのでそれを止めるべくもっと力を使い、そしてもっと不安定になり…と悪循環になります。
これが「否定形」で運動を考える(身体の動きをイメージする)ことの難点なのです。
楽器を演奏するとき、例えば肩を後ろに引っ張る癖があるとしますね。
この癖を変えたいときに、「肩を引かないように」と考えてもあまり効果がありません。
なぜなら、「肩を引く」という運動が起きるのはそれを引き起こす運動命令が脳から出ているから。
「肩を引かない」というイメージはすでに「肩を引く」動作を含んでいますから、脳からはきっちり肩を引く命令が出ます。それは癖というより、訓練されたパターンなのです。
ではどうしたらいいのか?
やりたいことは「新しい運動パターンを作り上げる」こと。
「肩を引く」こととは別の新しいより効率のよい運動命令を考え、それを練習して新しい運動パターンを強化させたいわけです。
そのためには、自分の望む事を実現するような動きは何なのかを探し見つける必要があります。
見つかれば、その新しい、そして望みを実現する動きを「イメージ」する必要があるのです。
「肩を引かない」とはつまりどういうことでしょう?
腕は身体の前面にある鎖骨と胸骨の関節(首の根元あたり)が付け根です。
つまり明らかに胴体の前側に位置づけられています。
そして腕は物を動かしたり操作したりするという目的においては後ろに引っ張るより、身体の前面で動かした方が効率が良い設計になっています。
呼吸も後ろに引っ張ると制限を受けますが、前面で動いていればより自由なままでいられる、そういう設計になっています。
このことから考えると、イメージしたい動きは「腕が身体の前側で動いている」というもの。
「腕が身体の前についていて、身体の前側で動き、楽器を身体の前側で動かして口元に持ってくる」というような新しく具体的な動きのイメージ。
これを考えるといいのです。
こう考え実行すると、新しい動きですから、その動きを実行するための神経回路のパターンが作られます。
これを少しづつ、「肩を引く」動きの回路よりたくさん使い、強化していけばよいのです。
こう書くと時間がかかるイメージですが、もちろんゆっくりと時間がかかるケースもあれば、
新しいイメージと新しい動きが一回ですぐに定着することもあります。
この新しいイメージを持っていれば、「肩を引かないように」気をつける必要はなくなります。
なぜなら、新しい明確な意図を持っているから、それと違うことが起きれば、必ず気が付くからです。
気が付けば、それで充分です。
気が付かなかったら、新しいイメージがうまく行っていることを意味します。
新しいイメージを実践しているときに「肩が引く」動きに気が付いたら、きっと「あ!引かないようにしなきゃ!」ととっさに思うでしょうが、これも必要ありません。
なぜなら「引かないようにする」ことは「引く」動作を脳の中ではさほど変えていないから。
筋肉レベルでは拮抗する動きが出て効率のロスになります。
代わりに、望ましくないこと気が付く度に「新しいイメージを明確に思い直すチャンス」と捉えればよいでしょう。
楽器のような高度で精密な身体動作をトレーニングする際、運動の効率はとても大事です。
だからこそ、運動を効率のよいものにする「言葉の使い方/思い方」を選択したいものです。
Basil Kritzer