〜しておかないと系の問題点

音楽の演奏や練習に真剣に取り組んで行くなかで、だんだんとわたしたちは「失敗」に詳しくなっていきます(もちろん、成功にも)。

演奏や練習のときに、思っていたことや望んでいたことと異なることが起きたとき(ここではそれを失敗の定義とします)、あとで振り返ってなぜそのような結果になったのかを考えますよね。

・息が足りなくなってしまったから、最後までフレーズの伸ばせなかった。
・ポジションチェンジが間に合わなかったから、音がひっくり返ってしまった。
・指揮の合図を見てくれなかったから、アインザッツが揃わなかった

などなど。

ここまでは、まっとうな分析と言えます。

しかし、ここからわたしたちは論理を飛躍させてしまいます。

・以前、息が足りなくなってしまって困ったから、いっぱい吸っておこう
・以前、ポジションチェンジが間に合わなかったら、もっと速く動かすようにしよう
・以前、アインザッツが揃わなかったから、必ず指揮を見させるようにしよう

などなど。

これ、正解に思えますよね?

しかし、検証しないとほんとうにこの「対策」が「現在において」有効かどうかは分かりません。

にも関わらず、わたしたちは過去の一回もしくは限られた数の「失敗」を、現在において予防しようとすることに意識を向けすぎるあまり、いま有効かどうか分からないこの「対策」にエネルギーを注いでしまいます。

その結果どうなるか?

・息の吸い過ぎで演奏に問題が起きています。
・ポジションチェンジの際に焦って動いているので、手や腕が硬くなっています。
・指揮を見なくても揃う状況になっているのに、無理やり見させて合奏の質を損ねています。

などなど。

失敗は、過ぎたことです。

過ぎたから忘れろ、という意味ではなく、現在とは状況が異なるので、過去から導き出した対策は現在において不適切または不必要な可能性がいつもあるのです。

なのにわたしたちは、いつもいつも、同じ「対策」を打っておくことに神経を使い過ぎになりがちです。

どうしてこういう飛躍や固執に気付かず、わたしたちは自分自身を苦しめ続けるのでしょうか?

おそらく、

演奏すること に意識が向いておらず、
音楽を奏でること にコミットしていないからではないでしょうか。

かわりに何を意識し、何にコミットしているかというと、

・失敗が嫌だということに意識が向き
・失敗を予防するアクションにコミットしている

のではないでしょうか?

これでは、演奏中に「失敗の回避」という「別の作業」を同時進行でやってしまっていることになります。

これが心身の葛藤・緊張を引き起こし、演奏に不自由や機能不全をもたらしている可能性があります。

では、どうしたらいいのでしょう?

これはいつも書いたり言っていることですが、

音楽を成り立たせること に意識を向け、
音楽を奏でること にコミット

しましょう。

具体的な意識の向け先は

①演奏者(自分自身、共演者)
②聴衆
③演奏空間
④作品(音階やロングトーンなどの基礎練習の場合、そのメッセージ性)

です。

そして演奏にコミットするとは、これらを意識しながら、演奏のみを行おうとする(まだ起きるかどうか定かでない失敗の予防や回避のアクションにエネルギーを割かない)ということです。

(*演奏を職業にしている方の場合は、少しだけ例外があります。演奏が、「生きる手段」になっているため、「これからも生きて行く」ための失敗の回避や予防を行おうとすることは、真っ当なことだからです。ただし、音楽性、芸術性との間で葛藤を感じるでしょう。しかしながら、より大きい視点に立てば、その葛藤もまた芸術性を高めて行く栄養になっていることもあるかもしれません。)

① 頭が動いて身体全体がついていくと思いながら(演奏者)
② 音楽を共有しようとその場に存在してくれている共演者や聴衆に気付き(共演者、聴衆)
③ 自分、共演者、聴衆を包んでくれているその音響空間に気付き(演奏空間)
④ いま奏でようとしている音楽のメッセージ、ストーリー、機微に想いを馳せながらこの瞬間に音楽を生み出す作業に没頭する

これが、演奏にコミットするということです。

「〜しておかないと系」の思考は、それが問題になっている可能性があることに、④においてもっとも頻繁に気付かされるでしょう。

本当にその音楽の中身を紡ぎ出そうとした際、音楽が現時点での自分の息の「持ち」より長く持たせることを要求している場合、「あとで持つように、ここで息を吸っておこう」という選択は矛盾してしまいます。

また、ごく穏やかにフレーズが始まるというのに、水泳の息継ぎのようにアスレチックな息の吸い方をしていれば、それは紡ぎ出そうしている音楽と整合性がありません。

どうすればいいのか?

「息が途中で持たなくなったとしてもOK」ということにして、音楽/自分の音楽性 が要求する通りに奏でてみるのです。

その結果、最後にすごく息が苦しくなったり、お腹が大変になったり、フレーズを伸ばしきれなかったとしたら?

よいではありませんか!

だって、練習というのは、そういう「まだできない」ことにチャレンジしていくなかで自分のキャパシティの最前線を使って行くことで、段々と能力を拡げ、ものにしていく作業なのですから。

もし、本番までに 音楽/自分の音楽性 が要求する通りに演奏することに演奏能力が追い付く段階まで達しなかったとすれば?

そのときは、あなたには選択肢があります。

A:その時点での自分の演奏能力の「範囲内」での演奏をする。音楽/自分の音楽性の要求通りでなくともよしとする。

B:舞台上でも、 音楽/自分の音楽性に従い、自分の演奏能力の範囲を越えてでも奏でてみようとする。その際、粗さや失敗が目立ってもよしとする。

どちらも真っ当な選択だと思います。

しかしながら、少なくとも練習段階であれば、少しづつ「〜しておかないと系」の発想に気付き、ひとつづつ手放してみませんか?

きっともっと自由で、自分らしい状態で音楽に触れられると思います。

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〜しておかないと系の問題点」への4件のフィードバック

  1. 私は中学でホルンを吹いています。
    相談なのですが、私は高い音が苦手です。
    力んだり、口をしめすぎたり、マウスピースを口に押し付けてしまいます。直さないといけないのはわかっているのですが、どうしても直りません。
    マウスピースを押し付けすぎて上唇が痛む時があります。どうすれば直るのかわからないので、辛いし、嫌になります。もっと楽しく吹きたいです。
    なにかアドバイスをください!お願いします。

    • はつさん

      ・力を使うこと
      ・口を閉じること
      ・マウスピースを口にしっかりくっ付けること

      これ、ぜんぶ大切で、必要で、重要な基本なんです。
      だから、これらを「やらないように」とか「減らす」とか「直す」とかは考えると迷宮にはまってしまう可能性が高いです。

      これらが「やり過ぎ」になったり、「しんどく」なるということは、

      ・練習時間が長過ぎる、練習量が多すぎる
      ・練習内容が難しすぎる
      ・自分に厳しすぎる

      のどれか、もしくは全部になっている可能性があります。

      もしかしたら、休養が必要なのかもしれません。

      あるいは、自分に厳しすぎるのかもしれません。

      あるいは、ほんとうはいまの吹き方で問題なのに、「わたしはダメな吹き方をしている」と思い込んでしまっているのかもしれません。

      もっとハッピーに楽器と時間を過ごせるために、休むこと、もっと自分に優しくすること、無意味に厳しくしないこと。
      そういったことが大事になっている気がします。

  2. 答えてくださって、ありがとうございます( ; ; )!
    もしかしたら自分に厳しいのかもしれません。というか自分に厳しくないといけないと思っていました。練習も沢山やって、練習内容も厳しくないと上手くなれないんだと思っていました。もっと自分に優しくしてみます!

    練習中の休憩も少ない気がします。練習中の休憩はどれくらいとればいいですか?
    それと、力む、口を閉めすぎる、マウスピースを押し付けてしまう、は減らすとか考えずに、今のままいいですか?

    またまた質問してすみません!
    お願いしますm(_ _)m

    • 練習中の休憩ですが、

      ・なんとなく「つかれたなあ」と感じたら
      ・なんとなく「飽きたなあ」と感じたら

      休憩が必要、もしくは練習の題材チェンジのタイミングです。

      ・口が明らかに「痛い」と感じたら
      ・身体が明らかに疲れたり痛かったりしたら
      ・練習が正直嫌で、無理している感じになったら

      休憩もしくはその日は終わり、というタイミングです。

      休憩の長さは、「よし、また練習しようかな」と感じるくらいがよいでしょう。

      >>力む、口を閉めすぎる、マウスピースを押し付けてしまう、は減らすとか考えずに、今のままいいですか?

      はい、とりあえず心配しなくてよいと思います。

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