もう何度もそこかしこで言ったり書いたりしていますが、わたしのあがり症との付き合いは中学2年のころから、もう16年にもなります。
わたしにとって、あがり症というのは本当に本当に不思議な現象です。
わたしは人前で話す、演じる、あるいはピアノを演奏する時、あがり症に呑まれてダメになっちゃうことはありません。緊張や恐怖を感じはしますが、その波に呑まれず、むしろその波に乗ってより遠くまで「行く」ことができます。
でも、ホルンの演奏に関しては、中学2年で出場したアンサンブルコンテストの舞台であがってしまってまともに吹けなくなってしまったことをきっかけに、悪質なあがり症問題を抱えることになりました。
しかし、ホルンに関しても、音大入試やコンチェルトのソリストとしての本番のときなど、人生の節目となるような場や、プレッシャーが極端に高いはずの場では、あがり症に呑まれず、むしろ真逆にベストの演奏ができています。
一方で、音大時代のクラス発表会や、いじめてくる共演者がいるときなどでは、ガチガチになりガタガタ震えてダメなことが多かったのです。
いつもいつも同じようにあがり症に呑まれてしまうのではなかったからこそ、その対応や乗り越え方には苦慮してきました。
もう治った、と思ったら再発したり、今回はやばいぞと思っていたら、ステージに立った瞬間に全てが良い方向に進んでいったり….。
不思議なで不思議でなりません。
いまでも、常に「あがり症」というものについて考え続けています。
自分自身が「完治」しているとは思えないからです。
しかしそのおかげで、この現象を、単純化せずに多角的に観察する機会をたくさんもらえています。それにしたがって、とりもなおさず、「音楽を聴衆と共有する=演奏する」行為の本質や性質をより深く理解し言語化するプロセスが毎日少しづつ進んでいます。
あがり症は、気持ちの問題でも、身体の問題でも、人間関係の問題でも、どれかひとつに落としこむことはできないなと感じています。
わたしにとって自分が抱える「あがり症」という試練は、人生、そして音楽をもっと深く、ありのままに受け止め見えるようにしていく過程そのものです。
だから、あがり症は実はヒジョーに面白く、楽しいテーマだと思えるようになってきました。
この2年間のあいだに、何度かあがり症をテーマとしたセミナーを行いました。すると、参加者の方々から、場合によっては何ヶ月もしてから、
「こないだ大事な本番があったのだけれど、自分らしい演奏ができて、ハッピーな気持ちでいられました!」
というメッセージを頂くことが何度もありました。
その度にわたしは
「えーいいなー!」
という羨望と
「おー、セミナーで共有した観察やアイデアが、ほんとうに何か大事なことに触れていたんだな」
という驚きを感じます。
今年も2度、あがり症をテーマにしたセミナーを行います。直前になると、いつも定員を越えますので、どうぞお早めにお申し込みください。
一緒にこの「あがり症問題」を観察し、考察し、ヒントをつかんで、次のハッピーな演奏につなげていきましょう!
お会いできることを楽しみにしております。
演奏に際してあがるということは、むしろ大切なことではないかと私は思っています。あがっていることを上手に演奏のテンションに結びつけることができるからです。そういう経験をしたことがあります。
しかし、私は最近はあがることはまずありません。むしろ冷めているということの方が多いです。これは冷静に演奏ができるという点ではいいのかもしれませんが、演奏していてもどこか意識が別にあるような感じがします。演奏にのめり込めないというべきでしょうか。
あがっていて演奏をしくじったらよくないですが、あがっている状態をうまく演奏の集中に持ち込むことができればいいなと思うことはよくあります。ある意味真剣味が足らないのかもしれません。
かいちょさん
そういうときはコミットしてる活動のレベルを上げ流とよいかもしれませんね。
より高いレベルの活動をしたり、より責任が大きい演奏を引き受ければ、ドキドキできます(笑)