『心身は統合された一つのものである』 F.M.アレクサンダー著 「自分の使い方」より第一章「テクニークの進化」?管楽器演奏で考えるとこうなる?その2

F.M.アレクサンダーは、テクニークの成り立ちや内容を述べる前に、
そもそもテクニーク自体が、

「人間のどんな活動においても、メンタルに行っていること(思考)とフィジカルに行っていること(身体)を分けることはできない」

という事実を前提に基づいていると明言しています。

そして、これは単なる理論ではなく、自分自身と自分の行ってきたレッスン(彼は「実験」と呼びます)の経験から結論せざるを得なかったと。

自分がそう思うとしているのではなく、経験と観察を見ているとそうとしか説明できないという、事実を見せつけられたというニュアンスです。

実は心身は一体であるという考え方、受け入れる人は多くても、活動のなかでそれが実際にはどうあてはまるのかはほとんどの人にとって理解が難しいとも述べています。

管楽器演奏の場合でも、同じ事を多くのひとは感じているのではないでしょうか。気持ちの持っていきようや精神状態に応じて演奏の質や、さらにはフィジカルなものであるはずの演奏技術も確実に影響を受けているのは分かるが、じゃあなぜそうなのか、そしてどうやったら「心身一体である自分」をうまく使えるのかは皆、悩んでいるところなのです。

私たち管楽器奏者は、たとえば姿勢や呼吸など「身体の使い方」はよく意識しています。また練習のときに落ち着いた精神状態を作ったり、本番に照準を合わせて集中力を高めたりと、「心の使い方」も工夫しコントロールしているのが普通です。

しかし、アレクサンダーによると「心身は統合された一つのもの」であり、分けて使う事なんてできません。

アレクサンダーが提起しているのは「心身を含む全体である『自分』の使い方」です。それが著作の題名である「自分の使い方」となっています。

「自分」というものが何かをするとき、自分の中の精神的プロセスであれ身体的プロセスであれ、それは別個のものではない。どちらも自分という全体の一部なのですね。

アレクサンダーは「部分は全部足しても全体にはならない」と言います。

つまり、精神+身体≠自分ということです。
アレクサンダーの述べていることを読んでも、たぶん大半の人は、頭の中のイメージが精神+身体=自分という理解でよい、と思ってしまうでしょう。

でもそうじゃないんです。
精神+身体=自分と考えていると、精神と身体は別個であると思っている証拠です。

精神+身体≠自分は、精神と身体を分けることはできないという考えと対応します。

ちょっと飛躍しますが、例えば光は粒子でもあり波であること、物理で有名な話です。

これって、「光」は見方によっては粒子に見えるし、また波にも見える、というものですが、

「自分」と精神/身体の対応関係も似ています。
禅問答に聞こえますが、本当に実際的な意味で「自分とは精神でもあり身体でもある」と考えるとよいでしょう。

もうちょっと即物的に言うならば、
精神が脳の機能だとすれば、脳という物理的で身体的な物体が精神や思考を作り出しているわけですから、精神=身体となりますね。

その脳もまた全身に張り巡らされてる神経ネットワークの一部ですし、また全身の血流や化学反応のシステムによって生かされてもいます。

脳トレ、イメトレ、メントレなど最近の流行からも心身一体はある意味当たり前にもなってきてはいますが、自分自身の考え方をよく探ると、きっとどこか心身を分けて考えているところがあります。

アレクサンダーが言うような心身統合性を本当に理解し受け入れると、非常に驚くような発見や洞察、体験をすることになるでしょう。

ちなみに、この流れでアレクサンダーは、身体の一部を、身体全体と別に「使う」ことはできないとも述べています。

この考え方は、このブログの「管楽器奏者のためのBodyThinking」でおなじみですね。アンブシュアも、タンギングも、腕も、呼吸も、全身と見事につながっている事を明らかにしてきました。
こういった例から、アレクサンダーの言う「心身一体」そして「自分という全体の使い方」を考えておくとよいでしょう。

これ以降、アレクサンダーは

1:心身は不可分であること。
2:それ故に人間の病や機能不全もまた「心」または「身体」のどちらかの 
  問題に分類することはできず、いかなる教育であれ治療または訓練であ
  れ、人間という生体は不可分であることを基礎において為される必要が
  あること。

という二つの結論に至った自身の体験と過程を、説明します。

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『心身は統合された一つのものである』 F.M.アレクサンダー著 「自分の使い方」より第一章「テクニークの進化」?管楽器演奏で考えるとこうなる?その2」への2件のフィードバック

  1. 『実用性』 F.M.アレクサンダー著 「自分の使い方」要約シリーズ?管楽器演奏で考えるとこうなる?その1

    F.M.アレクサンダーの3冊目となる著書、「自分の使い方」。 この著作の第1章は「テクニークの進化」と名付けらており、アレクサンダーテクニークの成り立ちと理論を最も明確に発見者F.M.本人が述べています。 章の冒頭、 17世紀の哲学者フランシス・ベーコンの引用から始まります。 フランシス・ベーコンは近代科学的世界観の先駆け的な哲学者として知られますが、 ベーコンはこう述べます。 「抽象的な知識は、人間の利益にはつながるとは思わない… 私はより事実に基づいてしっかりした基盤を作って、人間の力と偉大さの 限界を広げることを目的とする… これをF.M.アレクサンダーが冒頭に持ってきたのは、とても興味深いです。 アレクサンダーテクニークを発展し形にした本人は、その実用性、具体性、そして事実に基づくという性質を印象づけます。 アレクサンダーテクニークは本当ならば、至って具体的で実用的なものなのです。 管楽器演奏に応用する際、アレクサンダーテクニークは「実際に役立って」つまり実用的であってはじめて価値を持ちます。 管楽器演奏のためにアレクサンダーテクニークのレッスンが行われる場合、 受ける方も教える方も、ポイントは 1:演奏の役に立って 2:意味が分かって 3:自分で使える ということが「実用的」であることを意味するのではないかと思います。 私はそれを毎回のレッスンで実現できて、 かつそれぞれが充分に達成される、そんなレッスンを必ずできる教師を目指します。 その第一歩目として、この要約が管楽器演奏の役に立つようにできれば、と試みます。 つづく その2?心身は統合された一つのもの Basil Kritzer ホルン&金管トレーナー。 BodyThinking認定コーチ ThinkingBody 認定コーチ 京都華頂女子高等学校音楽科ホルン科講師。 香港生まれ、京都育ち。ドイツ・エッセンフォルクヴァング芸大ホルン専攻卒業。 現在、BODY CHANCE にてアレクサンダー・テクニーク教師養成課程履修中。通訳兼務。 2012年 アレクサンダー・テクニーク講師資格取得予定 バジルの練習動画日誌 にほんブログ村 にほんブログ村

  2. 目次 「自分の使い方」より第一章「テクニークの進化」?管楽器演奏で考えるとこうなる?

    「自分の使い方」より第一章「テクニークの進化」?管楽器演奏で考えるとこうなる?目次 はじめに その1:『実用性』 その2:『心身は統合された一つのものである』 その3:『観察の能力」 その4:『頭の動きから始まる』&『使い方が機能・状態に影響する』 その5:『意識的なカラダの使い方』 Basil Kritzer ホルン&金管トレーナー。 BodyThinking認定コーチ ThinkingBody 認定コーチ 京都華頂女子高等学校音楽科ホルン科講師。 香港生まれ、京都育ち。ドイツ・エッセンフォルクヴァング芸大ホルン専攻卒業。 現在、BODY CHANCE にてアレクサンダー・テクニーク教師養成課程履修中。通訳兼務。 2012年 アレクサンダー・テクニーク講師資格取得予定 バジルの練習動画日誌 にほんブログ村 にほんブログ村

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