いま、そのままで完璧なのかもしれない。

6泊7日のアレクサンダーテクニーク教師養成合宿から帰ってきました。

その中での気付き。

まだ分かり易いはっきりとした言葉にできませんが、実感とその重要さを肌で感じています。

それは、
「いま、そのままで完璧」
なのだということ。

言い換えれば、
「うまくなるために練習するのではない」
ということ。

「うまくなりたい」
これは素晴らしいモチベーションです。

しかし、「うまくなるため」に吹くのでも、練習するのでもない。

なぜなら、「うまくなるため」ならそれは「未来のため」に吹いているから。
これは「いまの自分」を否定している。

いまの自分を否定すると、それは実は即座に身体の緊張になります。

なぜか?
それは現実は「いま」しかないからです。

身体という物理的実体は「いま」にだけ存在していて、
「いま」というものを否定するのは、現実に抵抗しているに等しい。

例えば、
嫌いな人といると身体が緊張しますよね?
これは、その人といる「いま」という時間と空間から逃れようとしつつもそこに留まるという、
逆方向の動きを同にやろうとするからです。
反対方向への動きは、緊張になります。

練習でも同じ。
練習している「いまの自分」を否定し、肯定できる未来の自分になろうとするのは、
心身全体における矛盾と緊張を生み出します。

必要なのは、「望み」だけで充分なのではないか。
出したい音。奏でたい音楽。
それを思い描く。
そしてただそれを「いま」吹いてみる。

そこに「いまの自分」の否定は要らない。

小さい赤ん坊は「歩こう」という意図を持っているそれだけで
何ヶ月かかけて歩くという物凄い高等な技術を必ず身に付ける。
これは望むことを身体がその通りにやり遂げるという実例です。

赤ん坊は、ほんのひとかけらも「自己否定」をしません。
転んでも、歩けなくても、そんな「いまの自分」を否定しません。

ただ「歩こう」とし、そして歩いてみます。

結果は、それに大して批判や否定を加えなくても、自明のもの。
結果は「いま」を教えてくれる情報。
そのおかげで、望みとの距離を教えてもらえる。
目指す方向ややるべきことが、自ずと分かる。

「いまの自分」という結果こそが、「望み」に近づけてくれる。

「いまの自分」を否定しては、望みと自分の距離や関係も見えて来ない。

肯定できる未来の自分になるために、いまの自分を否定しても、
その否定こそが「望み」から自分を遠ざける原因になる。

言い換えると、
「いまの自分で完璧なのだ」
ともなるだろうか。

自分を信頼するとは、そういうことなのだ。

なんだか宗教的にも見える文章ですが、言っている内容は具体的です。
これを読んでいるあなた、試しに吹いているときや練習しているときの「自己否定」をやめて下さい。
そうすれば、驚くほど吹き易くなるでしょう。音が響くでしょう。自由に奏でられるでしょう。

それこそが、あなたの実力です。

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