【悩み相談】
また、いつも勉強になる内容のBLOGをありがとうございます。
本当に楽しみに読ませて頂いております。
今日は、お聞きしたい事がありメールさせていただきました。
私は高校生の頃から人前で演奏をする時に暗譜に対する強い不安があり、年々それが強くなってきているように感じます。
ある本番の2週間程前から『思考の毒抜き』をしたところ、本番に対する不安はだいぶ和らいだと実感できたのですが、最後まで「暗譜への恐怖」は弱まりませんでした。
いつも演奏が終わるまでずっと「途中で手が止まるのでは」という不安を抱えていま す。
このような暗譜に対するネガティブな感情も、『思考の毒抜き』を続ける事で改善されるのでしょうか?それとも、他のアプローチが必要なのでしょうか?
この暗譜への苦手意識は もうどうしようもないもの と半分あきらめかけていましたが、アレクサンダーテクニークを使う事でもしかしたら解決できるのではと思い、質問をさせていただきました。
何卒 よろしくお願いいたします。
【バジル】
もしかしたら、暗譜を暗記と同じように捉えているから怖さが募るのかもしれません。
暗記と思ってると、細部を頭の中で自力で再表出しなきゃいけないことになります。
これはすごく大変で、短期的な記憶で、思い出したらすぐ忘れますよね。
一方、暗譜はそれとはちがって、道を覚えるようなものだと思うんですね。
行き方を覚えて、地図なしで行きたいところに行ける。それが暗譜だと思います。
道を覚えるのって、着目するのはわりとざっくりした景色や、特徴的な目印から始めて、だんだん全部見覚えが出てきますよね。
暗譜作業もそれに似ているかもしれません。
まず向かってみる。迷ったら地図=楽譜を見て確認してまた進む。
地図の暗記は必要なくて、現地で地図なしで歩ければ大丈夫。それが暗譜。
そんな感じかなと思います。
いかがでしょう。
【相談者】
お忙しい所、お返事ありがとうございました。
なるほど、暗譜と暗記は違うんですね。納得です。
完全に同じことだと思っていました。
演奏するときは頭の中で譜面を思い出し、それを見ながら弾いてました。
それが当たり前だと思ってたのですが、すごく難しい作業なのですね。
文章も「暗記する」と言いますが、本当の意味では道を覚えているということでしょうか。
学生時代、よく師匠から「運動で暗譜してはいけない。そうすると本番中に頭が真っ白になって手が止まるから。」と言われていました。
この言葉通りにしようとすると、暗譜ではなく暗記になるような気がするのですが、
どうでしょうか?
【バジル】
暗記でも暗譜でも、
・視覚
・聴覚
・身体感覚
その他さまざまな感覚を使って記憶しているはずなんだと思います。
なので、ひとによっては、譜面の文字を一瞬で視覚的に覚えてしまえるひともいれば、
音自体をすぐに覚えてしまえるひともいます。
お師匠さんが言っているのは、身体感覚だけに頼るな、ということだと思います。
舞台では感覚が全然変わるから、感覚の記憶だけに頼ろうとしていると、たしかに真っ白になりやすいかもしれません。
道を覚えるのはまさに、いろいろな感覚で体験していることを総動員していますよね。地図を覚えるのではなく、「実際に歩く」ことを覚えているわけですから。
暗譜もそれに近く、ある内容を覚えることが主眼ではなく、楽譜無しで「創造」することをできるようにするというのが主眼なのではないかな、と思います。
その意味では、記憶の作業ではなく、創造の作業ですね。演技の台詞を覚えるのと似ていると思います。
【相談者】
早速のお返事ありがとうございました。
今まで、「創造の作業」という意識はなく、完璧に楽譜を覚えているかチェックしながら演奏することが私にとっての暗譜でした。
そのように「もうひとりの自分」に監視されることが、恐怖の原因だったのかなと先生のメールを読みながら思いました。
そして、人の暗譜方法と比べる ということを繰り返すうちに、監視する目を無意識に厳しくしていったように思います。
「あがりを克服する」という本に、新しい曲に取り組むときには、曲の練習を始める前に暗譜するとよい
と書かれていたのを 思い出しました。
この方法だと1回ずつの練習が「創造する作業」になるので、楽譜を見ながら練習し、最後に暗譜することを残すよりも良いかもしれませんね。
怖い怖いと思いながらなんとなくその場しのぎで演奏するよりも、こうやって思い切り向き合ってじっくり考える事で、少しずつ前へ進めている気がします。
【バジル】
なんだか霧が晴れて来ましたね!
よかった ^_^
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