【その人の「指針」を探す】

今週は相模大野の自宅での初レッスンとなりました。

近頃、レッスンではその人の「真の姿」とでもいいますか、そのようなものを探す、そんな感覚で取り組んでいます。

「たぶん、こうした方がいいんだろうな」
「たぶん、ここがうまくいってない原因かな」

というのは、レッスン経験の積み重なりとともにすぐにわかるようになってきました。勘というやつですが、説明を求められたら少なくとももっともらしい説明はできますから、

・音楽に携わってきた経験、

・アレクサンダーテクニークを学び教えてきた経験、

・金管であればアンブシュアタイプ論を学び取り入れ分析に用いてきた経験、

・10年以上のレッスン経験で蓄積してきている観察・分析・それの当ったり外れたりの経験

これらがあまり意識しなくてもパッと見立てや分析を構成してくれているのだと思います。

それらの見立てについては、相手の方の演奏の向上や悩みの改善に実際に寄与しているか?を漏らさずチェックします。

そのような検証プロセスが、

「この人がこの人としてポテンシャルを発揮したときに、それはどのような姿であったり動きであったり音だったりするだろうか?」

という、そちらを想像してみて、どのくらいそうでありそうか検証する、というところに使うようになってきています。

そういう「真の姿」、「真の姿かもしれない姿」、あるいは「真の姿にいまより近い状態」をレッスン時間の中で実体験することで、今後悩むことやうまくいかないことがあっても、目指す方向やイメージについては迷わない・ブレないでいられるー。

そういうことができるかもしれないと感じ始めています。

他人の姿を押し付けられて。
真の姿とは別の姿に矯正してしまって。
憧れて真似して。
間近にお手本として見聞きして取り込んで。

真の姿からズレたり離れたり見失ったそのことで、

奏法に非効率や乱れが生じたり、
練習に対して上達が少なかったり、
身体に痛みや違和感を持ったり、
何かに音色や表現にしっくり来なかったり、
という状況に至っているー。

そんな構図がもしかしたら普遍的にあるのかもしれない。

厳密に実証したり証明したりできるような見方ではないのでしょうが、問題解決だけでなくその奥の自己受容・自己表現・自己実現にもつながってくるように感じています。

それが確かに出来る、そんなレッスンを出来たとしたらー。夢物語ではなく、確かなビジョンとして感じています。

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