息を吸うときにお腹を膨らませる・お腹に息を入れる。息を吐いている間は、お腹を膨らませて張ったまま保つ。
吸うときあまり肩は上げない。
音を出すとき肩は下りていく。
これが伝統的な「腹式呼吸」です。
一方で、
息を吸うときに胸を拡げ・持ち上げ、肩も上がるか上がっているように見える。息を吐くときは胸が広いまま保たれ、お腹が凹む。
こういう呼吸法も存在し、推奨する地域・スタイル・教師も決して少なくない数あります。
伝統的な「お腹を膨らませながら、前に出して膨らませたまま保つ」腹式呼吸だけをよしとする立場から言わせれば、お腹をあまり膨らませないことを以て「胸式呼吸」と呼ぶことが多いように思います。そして胸式呼吸はイカン、と。
しかし、吐くときに腹筋を使いお腹を凹ませるのだから、「腹式呼吸だ」と呼ぶひともいます。
しかしながら、伝統的腹式呼吸絶対論者はこれを腹式呼吸だと認めません。
蔑みをこめて「胸式呼吸」だと言います。
わたしは、伝統的腹式呼吸絶対論者による呼び名をあえて使います。
息を吸うときに胸が拡がり持ち上がる
胸が広いまま吐く
お腹が凹む
これを「胸式呼吸」と呼びます。
腹筋を使って吐いていても、です。
伝統的腹式呼吸絶対論者がそう命名するからです。
伝統的腹式呼吸絶対論者と考えがちがうのは呼び名でなく、なにをヨシとするかについてです。
わたしは「腹式呼吸、胸式呼吸はなぜかひとにより合う合わないがある」と現在は観察しています。
私自身はそれで言えば胸式呼吸です。
伝統的腹式呼吸は全然うまくいきません。
だから長らく伝統的腹式呼吸に反感がありましたが、伝統的腹式呼吸も、ク胸式呼吸も、どちらも誰でもやることはできるようで、合う合わないがあるようだというふうに捉えるようになってからは反感が薄らぎました。
実際、伝統的腹式呼吸を教えたり徹底したところ演奏の様々な機能性が良くなった生徒さんが何人もいます。
そしてもちろん、伝統的腹式呼吸を頑張ってたが胸式呼吸に切り替えてみたらすごく良かったケースも多数あります。
伝統的腹式呼吸は、腹腔の拡大保持で支えを強調して作り、胸式呼吸はより胸郭の拡大保持で支えを強調して作る。
そう考えれば、拡大保持という点で同じ機能を果たす異なる方法ではないか、というふうにこの1年ほどは考えてレッスンの運用を試みています。
この胸式呼吸を、胸式呼吸と呼ぶか腹式呼吸と呼ぶかはひとにより異なるみたいですが、伝統的腹式呼吸絶対論者は否定的な意味合いをこめて胸式呼吸と呼ぶのを私は敢えてそのまま利用します。同じ機能を果たす異なる方法でひとにより合う合わないがあるという捉え方なので、伝統的腹式呼吸絶対論者が胸式呼吸と呼ぶものも、実はまた正しいやり方だ、ということを強調する狙いがあります。
自分自身にうまくいく呼吸法を他人に教えたり勧めたりすることは、とても自然なことだと思います。それが自分の実感覚だし、やり方も教え方も分かることが多いでしょう。
しかし、それ以外の呼吸法を最初から否定したり、うまくいく様子がないのに他人の呼吸法を自分の呼吸法と同じに矯正したり。
これは実はかなり不思議に感じます。
うまくいく、
より良くなる。
それが大事なのに、自分と異なることを変えて消そうとする方向にエネルギーをかけてしまう。無益です。
呼吸もアンブシュアも複雑なものですから、万能な説明や理論がまだ存在しなくても何ら不思議はないはず。
やってみて、実際どうなのか?
説明も理論も、その実際の有益性に目的や価値があるのであって、他人に押し付けることには何ら価値がない。
ましてや、逆効果をもたらすなら。
その本末転倒が起きるその仕組みというのを常々不思議に、興味深く思っています。
Basil Kritzer