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きのう、アマチュア女性ホルン吹きとのレッスンでのこと。
半年前から月1くらいでレッスンに来られていて、ここまでの数回でアンブシュアのことや構えかとのことなど、物理的なところでの整理合理化が順調に進んでいた。
そんななか、今回のレッスンでは低音域の発音がテーマに。
観察していていると、発音前に喉のウッと力が入ることと、音が硬く薄くなることが相関しているように思えたので、
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①まずその2つが少ない=相対的にスムーズに発音できて、音の響きが自然な音を探してみた。
②その音から、音の響きを聴きながらリップスラーで降りてくる。これには音の響きが硬く薄くなる吹き方に寄っていかないようにする効果がある。
③そうして、最初よりはスムーズな鳴り方の低音が吹ける。
④その感覚を目印に、低音の発音を試みる
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という流れで、まずかなり改善した。
しかし、それでも発音前にウッと喉が力む傾向は繰り返しでてくる。そして、それは本人の言葉で言うと、「指揮者の棒に合わせなきゃ、周りに迷惑がかからないようにしなきゃ」と考えているときになるものらしい。
確かに、そういう力みを作っておくと、あとはペッとタンギングしたらタンギングしたタイミングで音がとりあえず発音しやすいという面はある。・・・発音の美しさや音の安定、質は得られないが。
そこで、話し合って
『いま、ひとりで吹いているんだから、迷惑なんかかからないという設定にしてみる』
というアイデアを試してみた。
というのも、レッスン室には指揮者も共演者もいない。その状況で周りに迷惑をかけないようにという意識で吹けるなら、それは実際の状況と意識している内容が対応していないわけで、したがって、迷惑なんかかからないという設定にだってできるだろう。
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すると、実にスッと、なんの抵抗もなく、自然に、フワッと良い響きで、その低音を発音しロングトーンすることがいきなりできてしまった!
そして、同じ『設定』を、中音域のフレーズや、吹いたことがないコンチェルトの高音を含む一節でもどんどん試してみてもらった。
音がハズレることはもちろんある。吹いたことがない曲のときは、音を確認しらり探ったりするときもある。でも、一貫して無理や力みなく、とても自然に素直に抵抗なく音を出せていた。
本人も(というか、もちろん本人こそが最も)、大きな意味と手応えを感じていらっしゃった。
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不思議なことに、わたしもその様子を見ていると、気が付いたらとても身体がラクになっていた。
レッスンしている感覚が全然ちがう。
何も教えてない、何もしていない。
そんな感覚だ。
すべて、本人が本人の意志と身体で行ったことなのだ。
わたしが、その様子を分析することも、解決改善策を推測する必要もない。そんな感覚だ。
実は、この数ヶ月でこんな感覚になることが3回目か4回目くらいになる。
そのひとがやりたいことをやるために、そのひとが自身が所有する身体を自身の意志で用いて物事を行う。それにあたって、そのひとの心身が最適に機能することを妨げている事柄を「考えていること」の次元において解消しておけばいい。あるいは、そのひとの価値観や哲学、意志を明らかにすればいい。
それが自分が関わるところ。
本人がコントロールする物理的な次元ではなく。
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そういう関わり方をすることが可能だったのは、それまでの数回のレッスンで奏法、物理的な次元で整理が進んだからこそなのか?数回のレッスンで信頼関係ができたからなのか?そういったものの見方への適性、感受性がその方にあったからこそできたのか?
いずれもあり得るとは思うが、でも、実はこういう関わり方にこそわたし自身の深い価値観、望みがあったように思う。
奏法や身体の使い方に詳しくなってはいるが、それはそれが目的なのではなく、一人ひとりの自律的で自主的な活動、表現に深い意味と価値を見出していて、それを成立させていくための物理的な側面からの一助に過ぎない。
3年後、すべてのレッスンを、対話を通じて、その人自身がその人自身の価値観と意志によりその人自身の身体で「自分で」ひとりでに自然にやる・できるようになることを可能にする、そんなレッスンでできるようになっていたいなあ、とふとビジョンが見えた。
心の風通しがふと良くなり、
未来に楽しみを感じた。
BasilKritzer