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アマチュア青年ホルン吹きとのレッスン。
奏法、身体の使い方の非効率さや力みが、どこから来ているのか?
本人の何らかの意図を反映したものなのか、それとも意図はなく生理学的・神経学的なブロセスや解剖学的なパターンによるものなのか。
後者なら、意志の及ぶ物事ではなく音楽教師やアレクサンダーテクニーク教師がどうこうできることじゃない。
だから前者のアプローチを進めた。
息を吸うタイミングや、構えと呼吸の順番を入れ替えマウスピースを当てる位置を調整すると、とても良いレスポンスでバンと音が鳴った。
ということは、現在の彼自身にはこのように体を動かしこのように音を出すことができるはずだということ。
なのに、なぜそう吹かなかったのか?
それが意図によるのではなかろうか、と。
ホルンで何をするか?
どのようにそれをするか?
という目的と手段が、他者や集団との関係における利害を考慮して定められている、と解釈してみた。
どのような意図を投影してホルンを吹いているのかということを問うてゆくと、そこには
『音を外して迷惑をかけないようにする。確実に音を当てる』
というようなものがあった。
ホルンで何をするか?
どのようにそれをするか?
という目的と手段が、他者や集団との関係における利害を考慮して定められている、と解釈してみた。
では、他にどのような意図を持ち投影することができるか?
これまで持ち続けた意図の、先述の解釈と好対照なものはなんだろうか、と考えてみた。
そこで、
『宇宙は自分を中心に回っているくらいのつもりでためしに考えてみると、どうなるか?』
と提案した。
自分という人間が、
自分の身体という自分だけの所有物を自分の権限だけにおいて動かして、
ホルンに働きかけて音をわざわざ生み出しているんだ、
と。
無数の選択肢があるなかで、いまここでこの瞬間、音を出してみることにわざわざした。
ならば、自分の身体で何をどんなふうにしてみて、音を出してみようかな?よし、それをやってみよう。
そう考えてみるのだと。
そのとき彼の身体の使い方は変化し、そして過去一番の良い、力強い音が鳴った。
これが何を意味するのか?
その解釈は読んでいる一人一人に委ねる。
しかしながら、何かにピンと来たひとは、ぜひやってみるとよいだろう。
BasilKritzer