【上達についての発想】

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よリ有益な発想を求めて。

【考え方A】
『あなたは才能がないから上手になれない』
『あなたが上手くないのは練習不足だからだ』
『あなたが下手なのは怠惰だからだ』

・・・このような考え方は、《上達の道筋を「頑張る」こと以外に求めない》という点で共通しているということで【考え方A】とします。

【考え方B】
対して、

『誰でも必ず、自分に合ったやり方や物理法則に適ったやり方を見つけたり身につけたりすることで上手になれる』

というような考え方を【考え方B】とします。

わたしは後者【考え方B】が真実なのではないかという『仮説』で考えています。

仮説なので、そうなのだと思われる証拠を探し、証明に近づくための論理的枠組みを模索します。

一方、科学的真実はAとBの間のどこかにあるだろうと思います。

でも、Aは思考も試行錯誤も途中経過も個人差も否定し可能性を奪う考え方だと思います。科学的真実からはたぶんBよりかなり遠いのでは?

と考えます。

Bは、何故か真剣に検討されることが少ないように感じます。感じているだけで、定量的にはそうではないかもしれませんが。

Bも科学的真実ではないでしょうが、Bの角度から証明を試みることの副産物が、他者や社会の益となることはたくさんあるのではなかろうかと思います。

あるいはAもまた、間違いではない時と場合があるでしょう。

しかし、それもBの角度から包摂して説明できれば、学習者の力や尊厳を奪わず、結局『だけどやっぱり上達できるね』という結論に戻れる可能性があるとも思いますし、その方が多くの場合善なのではないか、と考えます。上達という結果をより生み出しうるのは、圧倒的にBだと思います。

上達を阻むことがすごく多いのがAだと思います。

だから、上達を目的とする文脈においてはAを否定しBを証明することを基本的な試みとしています。

AもBもありますが、Bの方が有益であり真実にも相対的に近いのでないか。なのに、Aの言説の方が多いのではないだろうか。したがって両論併記はしない、するのはあまり良くない、とも考えています。両論併記はAを援護しBを弱める作用があると感じます。

どういう考え方から発想したり模索したりしているか、という話です。ある特定の文脈におけるもので、一律に異なる考えを否定するものではありません。

Basil Kritzer

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