【人生の選択を本当にまちがえてしまった、と思ったときの話。その2】

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きのうの続きです。
【人生の選択を本当にまちがえてしまった、と思ったときの話。その1】

ドイツの芸術大学でホルンを専攻するようになってから、最も「しまった、選択をまちがえてしまった」という考えが重くのしかかってきたのは、大学の先生に師事するようになってから一年くらい経ってからの時期です。

何があったかというと、「ホルンの吹き方を変える」という選択を、入学後間もなく行ったのですが、この選択が大いに誤りであったと思うようになったのです。

金管楽器に詳しくない方のために少し説明すると、金管楽器は唇を吐く息で振動させ、その振動がマウスピースに共鳴し、マウスピースのその振動が楽器に共鳴することで楽音になるという仕組みになっています。そのおおもとにある唇の振動ですが、その振動のさせ方は、唇や顔面の形状がひとにより異なることから、厳密にはひとにより大きく、あるいは微妙に異なります。そういう個人差があるため、個人差と吹き方の機能の良し悪しを見極めるのが難しくなるのです。それ故に、金管楽器の世界では個人差を正しく把握して個々の奏者にとってうまくいくように教えるメソッドというのは確立しておらず、経験則やバイアスに基づいた『正しい吹き方』の像があり、その像に個人差を無視したり否定したりして矯正するようにはめ込んでいこうとするやり方が世界中でごく当然のように遍く存在しています。

ひらたく言えば、わたしもその犠牲になってしまった、ということです。

大学入学時点のわたしの演奏技術はまだまだ未熟で、うまくいっていない問題点はもちろんいくつもありました。その原因を、大学で師事した先生はわたしの唇の振動のさせ方、もっと具体的にはマウスピースが唇に触れて当たっている位置に求めました。したがって、その対処法は、先生が正しいと思う位置にマウスピースの位置を変えるべきだ、というものです。

先生は、『いまの吹き方だと高音域には非常に強い奏者になれるかもしれないが、いまの問題は解決しないだろう。低音域も自由に演奏できるようになるにはもっと別の位置に変える必要がある。どちらにするかは自分で決めなさい』と言いました。

結論から言えば、わたしはマウスピースの位置を変える、という選択をしました。しかし、これがまさに『大きな誤りであった』と後に思うに至る選択だったのです。

いま現在、わたしは金管楽器の演奏技法の身体的な側面については専門家になっており、非常に詳しい知識と理解を持っています。その現在からは、先生の分析の誤りもわたしの選択の誤りも具体的に理解しています。そして幸運にも、このときの誤った選択による直接的な身体的物理的影響は克服・払拭できており、そういう意味では過去の話です。ですから、この稿は先生の分析や教え方を批判することが目的ではありませんし、批判的に見えたとしても批判しようという意図もありません。

わたしがここで光を当てたいのは、『なぜ、わたしは誤った方の選択をしたのか』というところです。

この、吹き方を変える、マウスピースの位置を変えるという選択をしたことによって、わたしの演奏能力は楽器を初めて一年程度のレベルまで落ちてしまいました。そのこと自体は想定・承諾済みだったのですが、誤算だったのは、そのあと一向に吹けるようにならなかったことです。

何ヶ月も何時間も練習しているのに、演奏能力が向上していくペースがあまりにも遅すぎること。以前の吹き方にも戻れないように感じていたこと。そして、吹き方を変えることにしたはいいがゼロに近いところから音大生という立場であるにも関わらずやり直していくことの辛さや大変さを、教育的にも心理的にもサポートできるような性格や確固たるメソッドが先生には無かったこと。そして段々と、同じようなことをしてやはり結果が伴わなかったという人達や、潰れて吹けなくなってしまったという人達がいるというのを知るようになったこと。

こういうったことに気付き、どこかのタイミングで、『自分は大いに選択を誤った』ということに気が付き、愕然としました。そして、それを悟ったころには、もはや演奏能力は落ちぶれ、どこかに転校したり別の先生を探すというような気力も残っていなかったという状況だったため、大いなる無力感と悔恨を感じながら大学の2年目、3年目と時は過ぎて行くことになります。

この状況から何がどう変わって今に至るかということは、いくつもの記事で書いていますからここでは触れません。

代わりに、ようやく本題である『なぜそのような選択をしてしまったのか』というところに戻ります。

『いまの吹き方だと高音域には非常に強い奏者になれるかもしれないが、いまの問題は解決しないだろう。低音域も自由に演奏できるようになるにはもっと別の位置に変える必要がある。どちらにするかは自分で決めなさい』

この、先生の言葉を信じて受け入れたのは私自身です。

なぜ私は、高音域に特化するという前者の選択をしなかったのでしょう?
なぜ、いまの問題は解決しないという言葉を信じたのでしょう?
なぜ、マウスピースの位置を変えれば良くなると信じたのでしょう?

一番大きかったのは、その時点での自分の能力に限界を感じていたこと、いや、安易に限界だと信じていたことです。つまり、自分の能力や可能性に対して、自信が極端に少なく、疑いや否定が異様に多い状態だったのです。だから、心の中の『疑い』を真実であると証明するような先生の言葉に進んで染まろうとするような心の動きがまちがいなくありました。

また、当時19歳ですが、もう疲れ果てていました。それもまた、誤った選択をしたことの大きな理由です。

どういうことかというと、まだ日本にいた高校3年の頃から、体が慢性的に疲れている感覚があり、練習は根性で頑張ってはいたものの、身体的にも精神的にもどんどん辛くギリギリになっていっている感覚があったのです。それはドイツに亘っても続き、異国の環境に適応しなきゃという緊張感や、誰も知るひとがいない遠く離れた土地での孤独感が重なって、『練習を頑張ること』がこれ以上できない、という気持ちが非常に切迫してありました。

そのタイミングで、『やり直し』という選択肢を提示されたことで、わたしは心のどこかで、「これでしばらくは長時間練習しなくて済むな・・・」ということを思いました。実は、ゼロからやり直す=いままでのように耐え凌いでがんばらなくていい、というふうに思ったのです。そこに安心し、逃げたのです。

わたしの『大いなる選択ミス』の背景にあったのは、

◎もっと以前からずっとあった自己不信
◎自己不信に追い立てられるようにして無理と無茶を重ねることによる疲弊

なのです。

いま思えば、奏法の観点からも、心の観点からも、『それまで通りの吹き方で、環境に慣れるまでは練習時間が思うように取れなくても仕方ないと受け入れて、身と心を休めながら学びを続けていく』という選択をすればよかったのです。その選択肢もあったのですから。

先生を批判する意図がない、というのはそれ故です。分析や、提示した選択肢に誤りがあったとしても、間違った方の選択をするに至ったのは、19歳という未熟な年齢といえども、わたし自身の問題であったからです。

あのとき正しい選択をしていれば、ということは今でもよく思います。結局、音大時代の大半は演奏能力の落ちた状態のまま、学びたいことや体験したいことをほとんどできずに終わってしまいました。音楽の体験、音楽の学びというところでやはり満たされないでいるからです。しかし、それについてはまだまだこれから挽回できるぞよいう気持ちがあります。学ぼうと思えば、いまからでもまだまだ学べますから。

わたしがこの稿で明らかにしたかったことは、人生に影を落とすような自分の大きな選択ミスの原因が、自己否定・自己不信・自己嫌悪にあったということです。これこそは、ホルン演奏の面で失ったことを補って余りあるほどに大切な事柄だと思っています。戻ってやり直すことも、この過程を通じて蓄積した種々の心身のダメージを無かったことにもできませんが、そのように自分を傷つけたのは、根本的には自分自身であったということを理解しています。その理解は、宝に他なりません。

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【人生の選択を本当にまちがえてしまった、と思ったときの話。その2】」への2件のフィードバック

  1. バジル先生!

    一度横浜の方でレッスンを受け、アレキサンダーテクニックを勉強しているものです。その節はお世話になりました!お元気ですか?

    いつも先生の細かい分析に感銘を受けているのですが、ご自身の経験に関しても冷静な分析をされていて、もう、すごい!と感動しています。
    私も同じようなプロセスを経験しているのですが、その原因や背景が何だったのかを先生のように分析したことがありませんでした。
    先生がおっしゃるように、何かが起こる背景には色々な要素が重なっていますね。それを一つ一つ紐解いて、パフォーマンスアップに繋げていくことは、素敵な魔法のようです。
    先生のような俯瞰的に広くて深い視点で生徒さんを導いていけるよう、勉強、続けます!
    いつもありがとうございます!

    • 米田さん

      こんにちは。お元気にお過ごしですか?

      アレクサンダーテクニークの特徴は、身体も思考も感情も心も区別しないところです。そのおかげでこういう考察に嫌でも進むことになるのかもしれません(笑)

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