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多くのひとに非常に類似する経験だと思いますが、わたしもまた『自分の演奏する楽器を好きだと思えなくなった』経験があります。
吹奏楽部でホルンを演奏していた高校生の頃は、まったく思い通りに演奏できなかったり、一体どうすれば上達できるのかさっぱり分からなかったり、音大に進む決心はしたものの自分の実力にも将来にも全く自信を持てず不安が強くて非常に辛く苦しい感情や葛藤に苛まれることはたくさんありました。
しかし、どれだけそういったことがあろうとも、音楽を聴くとそういう辛さを忘れることができたり、ホルンの演奏を聴くとモチベーションを回復したりすることができていました。
ホルンが自分の生き甲斐、心の支えでした。一途な、純粋な関係をホルンと持っていたと言えると思います。
ところがドイツの音大に進学してまもなく、そのような関係は崩れ、失われてしまいました。いま振り返ると、それはこれまでの36年の人生の中でもっとも悲しく苦しい出来事のひとつだったように思います。
音楽大学に入り、演奏技術では世界でも5指に入ると思われるほどに優れたホルン奏者の先生に師事するようになりました。その先生からは、至近距離で世界最高峰の技術を聴き・見ることで非常に多くを学びましたし、何よりも『音の聴き方』を教えてもらうことができました。そのことは、音大時代の終盤から今に至るまで、自分で自分を上達させていくうえで大きな大きな糧となっています。それに関しては、本当に恵まれていて良かったなと思います。
ですから、これはその先生への批判や責任転嫁ではなく、単に起きた出来事の描写として述べているのだということを読者にはお断りしておきます。
音大に入学した時点で、わたしは『音の聴き方』をほとんど理解していませんでした。具体的に言えば、響いている音とそうではない音を判別することができていなかったのです。管楽器は、物理的によく響いているときこそうまく演奏できる、あるいは響く音で演奏できてはじめて難しいことができるようになる、そういう面があります。したがってわたしは当時、響く音をあまり生み出せていなかったし、それ故に抱えていた限界のようなものがありました。
それを真っ先に指摘し、根気よく理解させてくれたのです。
方法としては単純で、先生がひとつの音を2通りか3通りの吹き方で奏でます。それに対して、「いちばん響いている音はどれか答えろ」というのです。先生の音を聴いて、響いているどうかを正しく判断する。そして、自分も吹いてみて、「響いてない」いうフィードバックを繰り返し与えられたり、あるいは「響いていないのが分かるか?」と自分の音の性質をよく聴かせられる。
これが、わたしにとってとても重要で、いまでも非常に大切に役立っている基本中の基本とも言える学びでした。
しかし、ひとつだけ問題がありました。それは、先生のスタイル以外はすべて「ダメ」だと思い込むようになったことです。
わたしが進学した大学はドイツの北西部の都市にある学校でした。しかし、先生はドイツ人ではありませんでしたし、ドイツのオーケストラでの在籍経験もありませんでした。ソリストや室内楽奏者として世界的に活躍している奏者でした。
それ故にドイツのスタイルに順応しませんでしたし、ドイツ人のホルン奏者や教授たちから悪く言われることもありました。妬みですね。また、先生自身も今思えば非常に完璧主義的で、実のところは自分自身の演奏に批判的で適度なナルシズムに欠けていたのではないかと、大人になってから思うようになりました。尊大で自分勝手な演奏をしている、と悪口を言われているのを聞いたこともありますが、それはたぶん、自分自身に非常に厳しく、非常に技術も能力も高いから、多くの奏者に対して苛立っていたのではないかと思います。尊大さではないところから、でも確かにある種の「見下し」はあったのだと思います。
先生自身の国でも、常にどこか少しだけ周りに溶け込みきらない、目立ちたがりではないけれど順応しきらない面があったという話も、もっと後に昔の先生を知る人から聞いたこともあります。
そういう背景があって、レッスン中によく、ドイツのホルン演奏のスタイルの特徴や癖についてかなり辛口に言っているのを聞くことがありました。ドイツに限らず、いろんな他の国のスタイルについて、的確にそれぞれの特徴を捉えて(それはとても興味深かった)、そのうえで非常に辛口な評価を下すのです。
技術的な完璧さ、理想的な奏法、しかもそれを才能だけでなく知能と努力で形成していった先生です。そのような高みにいる人の話を、19歳の下手くそなホルン吹き少年であった私は、積極的に鵜呑みしようとしていました。先生の考え方や感じ方をそのまま自分のものにしようとしていました。
しかし、そもそも私は、ドイツのホルンのサウンドに憧れたがゆえにドイツの音大に行こうと思った面があります。ですから、先生が口にする考え方や評価を全部そのまま鵜呑みにするということは、自分自身の「好き」という感性をもそのまま否定することになっていたのです。
音大に入って1年も経たないうちに、わたしは先生のものを除くあらゆるホルンの演奏の「問題点」「間違っているところ」「不完全さ」を、先生の考え方に基づいて分析し考えるようになっていました。聴こえてくるものを尽く、否定する思考回路を、それが上達のために絶対必要なことだと仮定しさらには信じ込んで積極的に作ってしまいました。
この結果、クラシック音楽は少しでもホルンが入っていると、その箇所のことばかり気になり、しかも否定していましたから、聴いていてもまったく良さや楽しさが感じられなくなり、ほとんど音の羅列のように聴こえてしまうようになりました。
高校時代までは、辛いときの支えであり、やる気が出ないときのモチベーション源であり、毎日の生き甲斐であった『ホルンの音色』のほとんどが、否定的に評価し見下すべきものになってしまったのです。
そうなると、本当に毎日が暗く重苦しいものになっていきました。自分自身のホルン演奏も、先生からの誤った技術指導(これは怒りからの批判ではなく、奏法に関する専門的で高度な理解を積み重ねたいまできる冷静に判断です)が原因で全然吹けなくなってしまっていたので、楽しみも、生き甲斐も、自信も、心の拠り所も全部無くなってしまっていました。
辛うじて、ジャズ音楽だけはそういう見方・聴き方に支配されずに触れることができたので、一時は非常に傾倒しずっと聴いていました。いくつかのジャズアルバムがギリギリ心を死なせずに生きながらえさせてくれました。
そのような暗黒期は、音大入学後3年ほど続きました。
変わり始めたのは、いまの妻との出会いが節目になっていると思います。妻は日本人ですが、ドイツの同じ大学に在学していました。妻と付き合うようになって、まずはホルンのことは良い意味でどうでもよいと感じられるような時期がはじめ数カ月間ありました。そのあと、ドイツの大学の長い長い夏休みを妻と二人でのんびりと過ごしていたときに、どういうきっかけだったかは忘れましたがホルンアンサンブルのCDを買いました。
そのCDを聴いていると、ふと、「批判的・否定的に聴こうとする自分」を、「この演奏を安易に好きになってしまわないように」という、いま思えばひねくれた考え方ですが、そういう考えをもっておけば抑制できる感覚があったのです。そうすると、ホルンの音やテクニックに関してはなるべく『無感情』でいようという変な努力を抱えながらではありますが、そこで奏でられている音楽を楽しいと感じている自分がいました。
そこから徐々に、ひとつのアルバム、また別のアルバムと、『聴ける』演奏や音楽が少しづつ戻ってきました。
ちょうど同じような頃、自分の演奏に関して、ひとつブレイクスルーがありました。
夏休みの終盤だけ日本に戻っていたのですが、そのとき先生も日本にリサイタルなどで来られていて、わたしの実家に泊まってもらっていました。そのとき、先生の「素」のウォーミングアップや練習を数日間連続して毎日数十分、隣の部屋で聴くことができました。
そのときに、急にいろいろなことがなぜか得心され、「先生がこうしているということなら、自分の場合はこうこうこういうふうな原則と考え方で練習を組み立てたらきっと上達できるにちがいない」と思い至ったのです。
すると実際に、それまでは散発的でランダムで、自分のコントロールの対象外としか思えなかった「上達する、できるようになっていく」ことがちょっとづつですがほとんど毎日確実にできるようになっていく感覚が得られるようになりました。
それから、「自分の音」「自分の鳴らし方」「自分の吹き方」みたいなものも見えてくるといいますか、良さも感じられるようになりました。これは自信とは全然ちがうもので、自信がなくても、練習すると手応えがあったり、程よい達成感があったり、何よりホルンを吹くことや自分が音を出していることに楽しさを毎日のように感じられるようになったのです。
このようなブレイクスルー以後は、いろんな奏者の音、吹き方、奏法の良さや特徴を感じられるようになり、興味が涌き、素敵さや凄さにやる気や憧れを刺激されるようになっていきました。
こうして、気付けばまた徐々にホルンが好きになっていきました。
この歩みは本当に徐々に進んだもので、たとえばこのブレイクスルーの一年後と3年後とでは、3年後のほうがよっぽどホルンが好きという気持ちが大きくなっていました。
ブレイクスルーがあった年からはもう優に10年以上を経過していますが、いまは更にもっと、ホルンの音が面白く感じるし、様々な演奏を味わうことができます。そして、当初の高校生のときよりも遥かに細かく、具体的に、いろんな演奏の良さ・素敵さ・凄さを感じ取ることもできています。よくよく理解し知っているという成熟と、純粋な気持ちや感性がちゃんと結びつくようになったのかもしれません。
振り返ってみると、わたしは耳を育てたり、技術を理解したりする過程で、自分の喜びや感性を否定することを方法論の一部として混合してしまったのがこの歩みに大きな苦しみをもたらしてしまったのだと思います。
音楽に限らずですが、向上心を向ける対象を楽しめなくさせることや苦しいもの悲しいものに変えてしまうことは、単純に「ミス」だと思います。
ミスですから、起こり得ることだし、起こってしまったら仕方がないですが、決して「必要」なことではありません。わたしのように幸い乗り越えることができたとしても、安易に正当化したり許容したりすべきことではないと思います。
ですかた、もしいま、それがすべきこと必要なことだと信じて、「好き」という気持ちを失ってしまうような頑張り方や取り組み方をしている人がこれを読んでいるとしたら、一言だけ言いたいです。
あなたの「好き」は、まちがってないよ!それでいいんだよ!これからも好きでいようね!
と。
Basil Kritzer