【虚脱状態になるほどの緊張を経験して】

〜悪い妄想に、くさびを打ち込む〜


わたしの緊張・あがり症が一番悪化したのは、ドイツの大学で音楽を勉強していた頃です。

身体が硬くなるとか、震えるとか、ドキドキするとか、
そんなのはとうに通り越して、

『虚脱状態』

で人前に立つような状況でした。

身体に力が入らず、楽器を構えて演奏しようにも、ほとんど音すら鳴らないようなことすらありました。

その後も長く、いまでも緊張・あがり症の問題から自由になっているわけではありませんが、
いま述べたような「最悪」の状態から脱する明確なきっかけは一つありました。

あがり症の問題だけでなく、ホルンの演奏そのものがなかなか上達せず、
奏法においても迷路に入り込んでいた時期、20歳くらいの時期だったと思います。

ドイツの寒い寒い冬、屋根裏部屋の暗い自室で、

「自分はいったい、この先どうなるのだろうか….」

と呆然としていました。

その当時のわたしは、こんな思考回路にとらわれていました。

– – –
・ホルンの演奏がうまくいかない

・それは自分にホルン奏者としての可能性が無いことを意味している

・それは自分にこの先「仕事」が無いことを意味している

・それは自分が収入を得られないことを意味している

・それは自分がホームレスになってしまうことを意味している

・それは自分が死んでしまうことを意味している
– – –

このように、人前で演奏するということが、人生の転落や死に直結するような感覚を感じて、
人前に出ていたのです。

・・・うまくいくはずがありませんよね。

しかしながら、その日わたしは、「収入が無い」の先のところを、リアルに「調べもの」しました。

どうにもならなくなったときに、頼れそうな新興宗教はないだろうか?
生活保護やそのほか何らかの福祉制度はあるだろうか?

と。

そういう調べものをするのも極端な発想、行動なのはたしかですが、
でも、この調べものはいま振り返ると大きな意味を持っていました。

先述した思考回路を、中断することができたのです。

「ホルンで失敗しても、死なない」

ということを、納得できたとてもいいますか。

無論、演奏の結果と人生の転落や死を結びつけるのは飛躍も甚だしいです。

しかし、当時のわたしは妄想や不安が膨らんで、それが飛躍であることを分からず、リアルに危機として感じていました。

その飛躍を、その日の調べものが、断ち切った面があったのです。

調べると、現実には転落や死の可能性は薄い….。
それが分かってしまうのですね。

こうして、現実をよく見ると、妄想の余地が減りました。

それをきっかけに、緊張やあがり症の問題を、もう少しテクニカルなもの、
あるいは何らかの形で解決可能かもしれないものとして、「解決や改善の可能性」を探るようになった。

いま振り返るとそのように思えます。

現実は残酷であるともいえますが、こうして地に足をつけ前進を可能にしてくれるものでもあるのかもしれません。

Basil Kritzer

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