きのうの練習より。
わたしはアンブシュアの変わり目が、ペダル F, F#, Gのあたりにある。これは「普通」よりオクターブ弱低い。このペダル G~F の変わり目を通過するとき、どうもコントロールがうまくできない時期が、いまのアンブシュアセッティングを始めた8年前から続いた。
しかしきょう、その変わり目を問題なく苦労無く通過できるようになった!!鍵は、変わり目をコントロールしようとしたり、不安定さに対して音のツボを「掴もう」とするのをやめたことにあった。
【手順】
①いまから、この音階を演奏しよう。
②そのために、頭を動けるようにしてあげて身体全体がそれについてこれるようにしよう。
③その結果何が起きても良い。
④あとは自分の身体の協調作用が必要な調整をしてくれるのを完全に任せる。
その③と④を本気でやれた。いままで以上に、コントロールしようとするのを手放し、身体に任せ、「この音階を演奏しようと意図する」という本当の自分の仕事に専念したのだ。
そしたら、いままで引っかかったり、音質が変わってしまったり、変わり目の所であきらかにアンブシュアが硬くなったりしてたのが、全部そのまま自然になった。「変わり目」は存在するのだが、よりグラデーションのようになった。音質も一貫していた。
その「体験」はすごく明確だった。だが「感覚」は覚えてない。しかし、実のところそれでよいのだ。今まで、「変わり目がコントロールできる感覚」を掴もう、再現しようとしていて、それが結果的に邪魔していたのだから。
これからも①〜④の意図を使い、徹すればよいのだ。
この8年間、不思議と本番になると、変わり目のコントロールは問題なく自然にできることが多かった。でも、練習になると、できないことの方が多かった。本番は、どうせ逃げも隠れもできないから、「任せる」ことが出来ていたからだ。
なのに練習のときはどうしても、欲やしょうもない不安が勝って、「コントロールしよう」「ツボを掴もう」「繰り返し再現して定着させよう」という意識でやってしまっていた。裏を返せばどれも「本当はできないかもしれない」「本当は自分はダメなんだ」という不安に根底で通じる。
どうして「手放す」「預ける」というこんな単純でラクなことに時間がかかってしまったんだろう… とつい思うけれど、①〜④を「本気」でできるように至ったまでにはいくつもの「不安」や「自己否定」を直視し、向き合って、そして解消するという作業があった。その分の時間があったんだな。ひとつひとつの作業は、その都度実りがあった。そして教えるにあたって非常に役立っている。なので、すべてよし、としよう!
そういえば、エッセン時代、フランク・ロイド先生はいつも「アンブシュアは変えるものじゃない、変わって行くものなんだ」って言ってたな… 「アンブシュアが『変えられるのを許可する let it be changed』」って。
興味深いです!
よかったです!