きょう楽器の練習をしていてふと、これまでの楽器人生で心から楽しく、充実した気持ちで奏でていた何度かの時期のことを思い出しました。
そういうときの吹き方、奏法、身体の使い方ってどんなだっただろう?
思い当たったのは、いうなれば
「人生リラックス奏法」
とでもいうべきようなものでした。
それはどんな奏法か?
- 自分の現状を受け入れている
- 自分の限界を受け入れている
- 自分の成長スピードもありのまま受け入れている
という奏者としての自分自身のありのままに対して平和な気持ちになれている、そういうメンタル面がいちばん大きな要素としてあり、
それに付随して
- アンブシュア
- 姿勢
- 呼吸法
- プレス
などに頭でっかちでおしつけがましいコントロールを加える癖が和らいで、
その結果
- 音がパッと鳴らせる
- 音がスムーズに並べられる
- 音域が広がる
という良いことづくめなことになるのです。
こんなに良いことばかりなのに、なぜすぐ忘れて脱線して、苦しんでしまうんだろう….
たぶん、「人生リラックス奏法」は本当の意味で自分にできるベストなんだからだと思います。
どういうことかというと、自分の現状も、可能性(=限界)も、成長スピードも受け入れているわけですから、「自分はこんなもんなんだ」ということを認めることに強い抵抗があるんじゃないかな、と。
やっぱりどうしても、
「もっとうまくならなきゃ」
「もっとうまくないと自分には価値がない」
「もっと頑張らなきゃ、頑張ってない自分はダメだ」
というような想いの癖のようなものが根強く残っているのだと思います。
ベストを尽くす、自分の最善の力を発揮する、ということが実は即ち
- 等身大であること
- 余計な頑張りはしないこと
- 至らないところがある自分であり続ける(認める)こと
とイコールであることが、30歳を過ぎてわかってきた(認められるようになってきた)のかなと思います。
自分の吹き方、奏法、身体の使い方の傾向や変化に気づいたとき、それが抽象的にはどういう吹き方・あり方なのかを考えてみるのはとても役立つ試みだと思います。
なぜなら、うまく抽象的に捉えることができると、わたしが今回「人生リラックス奏法」を自分のために見つけることができて、しばらく試してみることができるように、
色々な側面を包括する抽象的な「名前」を付けてあげれると、その名前を思い出したり口にしたりすることで、
- 身体
- 思考
- 精神
の全側面をまとめて思い出す/変化させることができるからです。