指導者の最大の責務〜生徒の自信と自己受容について〜

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わたしは中学から高校にかけて6年間、日本の吹奏楽部で青春を過ごしました。

そしていまは、仕事として学校吹奏楽部や、趣味で合唱・吹奏楽・オーケストラで演奏する音楽家たちを指導する毎日です。

その体験を通して感じることなのですが、そういった音楽活動における指導者の最大の責務とは

演奏者の可能性、良さ、素晴らしさに意識的に着目すること

なのではないかな、と思うことがあります。

【指導者の影響力は強い】

裏を返せば、指導者が演奏者を悪く見たり、悪く言ったりすることは 演奏者をとても傷つけ、持っている力や可能性に強いブレーキをかけるだけの影響力を与えうる ということでもあります。

音楽に取り組むことは、初心者であろうがアマチュアであろうが、非常にパーソナルなものであり、その人の精神・魂の深いところからの取り組みです。

ほかのこと以上に、音楽についてはひとは感じやすく影響を受けやすいと思うのです。

音楽は、それをしている人の心や魂にとって本当に大切なことなのです。

【演奏者を尊重する意志】

指導者はイライラしてはいけないとか、一切怒ってはいけないとか、そんな聖人君子になれということでは決してありません。

指導者だって一生懸命にやっているわけですから、感情が大きく揺れ動いて当然です。それぐらいのコミットメントを持つ指導者の熱とエネルギーに演奏者は引っ張られて行きますから、それは素晴らしい ことです。

しかしまた、演奏者の気持ちは非常に大切に扱い、尊重する必要があるのではないか、と思います。

音楽をする人の心は大変にデリケートなものですから、赤ちゃんに触れるような優しさで触れたいものです。

【強さとは何なのか?】

プロの演奏家にとっては、演奏の仕事の現場とは、誰も大切になんか扱ってはくれない過酷な現場である場面もあることでしょう。

これを生き抜いて行くには、強い「耐性」が必要になります。

ですがこの「耐性」とは「強さ」というよりは「自信と自己受容という名のシェルター」なのではないかと私は思います。

単なる強靭さは、えてして鈍感と麻痺の上に成り立ちます。これでは繊細な音楽は奏でられません。

ということは、演奏という繊細な心を必要とする活動に必要なのは、辛い事に耐える強さというよりは、「繊細な心を守る自信と自己受容」なのではないか、とわたしは考えます。

【自信を守り、育てる】

指導者としては、社会や人生の厳しさを考えると、演奏の指導をしているときに

「厳しさを分からせた方がいいのではないか」
「甘やかしてはいけないのではないか」
「辛い事に耐えられるよう、きつく接した方がいいのではないか」

と考えがちです。

しかし、いちばん大切にしたいのは、辛い事に「耐える強靭さ」ではなく、音楽を楽しめる心です。

繰り返しになりますが、この心は大変に傷付きやすいものですから、音楽に取り組んでいる目の前のひとりひとりのその心と繊細な自信を守り育むような気持ちで、大事に扱いたいですね。

【からかわれて、傷付いた】

私自身の過去にもこれにつながる話があります。
そのことをお話しさせて下さい。

中学2年生のときの話です。

中学1年で始めたホルン。この楽器や、吹奏楽、さらには交響曲にかなり興味が強くなりはじめていました。「うまくなりたいなあ」という気持ちが強くなってきていました。

そんなとき、いま思えば本当に些細なことなのですが、クラブの同級生のうち何人かが合奏中、私が音を外したりあるいは何か質問をしたりすると、わざとらしく笑ったり、

「きしょい!」(注: 関西弁で、気持ち悪い、の意味)

と言われたりしました。

この程度のからかいなんて、楽器のことでなければ平気で受け流せたはずでした。

実際、明らかに見た目が「外人」で日本で育ったわたしは、幼稚園のころから「ガイジン!ガイジン!」と囃し立てられたり、いじめられそうになることがしょっちゅうありましたが、すぐその子の相手の親に告げ口したり、学級会で告発するなど事態を大きくして、相手が二度とこちらをいじめたいとは思わなくさせるように追い込むことで自衛するという、猛者でした(笑)

しかし、一生懸命取り組んでいるホルンのことでからかわれるのは、想像以上にショックでした。

これにより、クラブ活動に出席する気持ちが一気にしぼみ、悲しいとか悔しいという気持ちよりは、シューンとした気持ちなりました。

「もう、いいや、こんなんなら」
「吹奏楽部をやめたら何部に入ろうかな」

と考え始め、一週間、部活動に行かなくなってしまいました。

音楽に取り組む心はとても繊細なのです。とても影響されやすく、ちょっとした迫害や毒ですぐに萎えてしまうような心なのです。

私は幸いなことに、当時の顧問の先生が状況を見抜いてくれて、

「辛い思いをさせたね」

と言葉をかけてくれました。

「無理せずに、続けたいなら、気兼ねせずに戻っておいでね」と言ってくれました。

それで私は、無事にクラブに戻る事ができました。

しかし、そうした指導者の心遣いが無かったとしたら、私はあのとき部活動もホルンもやめていたかもしれないのです。

【良さに着目する方法】

では具体的に、

演奏者の可能性、良さ、素晴らしさに意識的に着目する

にはどうすればいいのでしょうか?

これにはまず何よりも、

「これから、演奏するみんなの良いところを探そう」という指導者側の明確な意図

が必要です。

具体的な方法を述べていなくて心苦しいところではありますが、これに関してはまず最初に、指導者が演奏者や生徒の良いところを見つけたいという意欲や意志ないことには、どのような方法を用いていくら良いところを見つけても、

「これしきで良いとはいえない」

といった評価がすぐに入り込んできてしまって、前に進めなくなってしまうのです。

わざとらしく感じたり、不慣れに感じたりするかもしれませんが、指導者が自分ではっきりと決めて、意図的に「目の前の演奏者の良さ」を探すのが第一歩です。

【良いところ探しとは、指導技術である】

これは、人を育て助ける技術です。

そして技術は訓練により身に付きます。技術は、定着するにつれて意識しなくてもできるようになるものです。

考えなくても自然にできる、創造的にできるようになるという状態は練習と訓練の賜物なのです。

なので、指導者のみなさんも最初は毎回意識的に

「目の前の演奏者の良さ」を見よう

としてみましょう。

具体的な方法としては、ここで挙げていけばとても納まらないほど数多くのやり方があります。ここでは演奏者・生徒の良さを見つけようという意図から出発したわたし自身の試行錯誤から得られた方法の一例を示します。

〜着目するバロメーターを変える〜

指導者から何か提案や指摘を行い、それを受けて演奏者がその提案を実行に移そうとした場合、たいてい何かしらの変化があります。

しかし、その変化は指導者が予測しているものとは異なるものの可能性があります。

あまり良くなった感じがしない場合、「そうじゃなくて」と否定する前に、何か他の面で変化があるか探ってみましょう。

・音は外れたけれど、音量は大きくなったかもしれない
・音程はズレたけれど、響きは豊かになっているかもしれない
・演奏の結果は変わらないけれど、力が抜けて良い手応えがあるかもしれない
etc…

指導者自身が、安易な判断と評価を挟まずに音をほんとうの意味でよく聴く必要があるでしょう。また、先入観(構えはまっすぐでないといけないetc….)にとらわれずによく観察することも大切です。

そして、演奏者や生徒さんと良いコミュニケーションをするのも役立ちます。一方的になったり上下関係に捉われたりせずに、相手に尋ねる、相手が気づいたことや感じたことの情報を得ることも「良いところ探し」の重要なポイントです。

ほかにも無数の方法があります。ぜひ下記の書籍などもご覧になって、参考にしてください。

バジル先生のココロとカラダの相談室〜吹奏楽指導編〜
バジル先生のココロとカラダの相談室〜コンクール&本番編〜
あなたの想いがとどく 愛のピアノレッスン(岩井俊憲、江崎光世、バジル・クリッツァー)
音楽演奏と音楽指導のためのアレクサンダー・テクニーク

【褒めることを厭わないで】

演奏者や生徒さんの良いところを見つける、という訓練が積み重ねられ、演奏者への眼差しが洗練されたものになった指導者は、信頼してもらえるようになります。

しかし、信頼を得る事や、指導者としての技術を高める事が目的なのではなく、最初に述べたように、指導者が演奏者の自信と自己受容を守り育てることこそが重要です。

欧米の優れた音楽家たちが、マスタークラスを教えると、日本人の感覚からは「やたらと褒める」ように見える場合があります。

「あれは、後で鋭い指摘をするための社交辞令だ。褒めることが大切なのではない」と言っているひともいますが、それは大間違いです。

すごくたくさん褒めるのは、それが意識的にやっているのであれ、経験からくる本能としてやっているのであれ、彼らは 自信と自己受容の絶大な重要性を理解しているのです。

褒めることは、大切な義務だときっと思っていることでしょう。未来の音楽家を育て、音楽文化を守り発展させていく自分の役目として。

そう、いま目の前の演奏者・生徒さんの自信を守り育てることは、過去の伝統と経験を十分に受け継ぎ、未来に向かってさらに発展させるうえでも非常に大切なことなのです。

Basil Kritzer

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指導者の最大の責務〜生徒の自信と自己受容について〜」への2件のフィードバック

  1. 私は大分大人になって楽器を始めたので周りより年齢が上なのに初心者という劣等感とある意味戦って楽器、吹奏楽を続けてきました。自信が無くて吹いていた時指揮者にそんなんじゃ全然だめと言われ愕然としたことがあります。
    その後パートリーダーなどをやっても自信が持てなくて、頑張りすぎて趣味なのに、、、軽い鬱を病ってしまいました。
    首や肩も痛めてストラップが辛くて更に吹けなくなりました。
    一時楽器もやめました、数年後再開しても吹けなくて辛いばかりでだらだらと続けてきて、今10年経ち漸く少しずつ前向きになり頑張りすぎずに適度に頑張る!といった感じで音楽をまた楽しみ始めました。

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