キャシー・マデン先生との学び備忘録―その5:簡単に変われる―

5:簡単に変われる

身体の動きは「脳の中の身体地図=ボディマップ」という「動きの設計図」に基づくわけですが、このボディマップは模倣や勘違い、あるいは文化的後天的な刷り込みによって実際の身体とズレをきたすときがあります。このズレが痛みや緊張、動きのロスなどの原因となります。

このボディマップの書き換えは一瞬で可能です。

例えば腕の付け根。多くの人が肩の辺りが腕の付け根と思っていますが、実際はもっと首の根元のあたり、胸鎖関節です。これまで無意識に肩の辺りからばかり腕を動かそうとして、胸鎖関節を固めていても、以下のいずれかまたは組み合わせで新しい地図への書き換えが一瞬で起きます。

・ 自分の古いマップ「腕は肩から動かす」を認識する
・ あるいは実際には胸鎖関節から動いているよということを教えてもらったらピンとくる
・ 骨格標本や他の人の胸鎖関節の動きを見る/触れて感じる
・ 「胸鎖関節から腕は動いているんだ」と考えながら実際にそこから動かす体験をする

一度体験や実感があれば、その時点でボディマップは新しく書き換わっています。動きの記憶もあります。ですので、それとは別のマップ(古い新しい問わず)に基づいた動きがあれば、「さっきとちがう」という情報がちゃんと来ます。それは鮮明な動きの感覚でもあれば、なんとなくぼやっとしたバランス感覚であったり、あるいはわずかな痛みや張りとして近くされるケースもあるでしょう。

新たなボディマップとそれに基づく動きが望んでいた通りの変化だったとき、その次にあった気づきが「さっきとちがう」あるいは「あ、元に戻った」というものであったとしたら、私たちはついつい「あー元に戻っちゃった。変化が定着していないな。癖が抜けていないな。もっと意識しなきゃ」と思いがちです。

でも実際には、すでに変化があって新しい動きが確固としてボディマップ化されていたからこそ、「さっきとちがう」「元に戻った」という認識が得られるのです。古いボディマップと新しいボディマップの区別認識ができている証拠なのです。ということは、もうちゃんと選択できるということ。もちろんとっさの時には古い動きが出るでしょうが、これはその動きがよく訓練されている証。頼りになるのです。新しいボディマップに基づく動きも、時間ととものとっさに出るようになります。

こういったことをキャシー先生とのレッスンで学び体験し、得られた教訓があります。それは「考える/意識するのはとっても簡単なことである」ということ。変化はある意味、変化した時点ですでにどこかのレベルで定着しています。だから、それ以降は望む方向とずれたら、ずれたということはすぐに認識できるわけです。

それなら、顔をしかめて、肩肘はって、身体や動きを意識する必要なんて無い。もっともっと軽やかな「思考」で良いのです。

私はフォーカスしてじっくり考え続けることが得意なので、ともすると思考が「重く/硬く/一生懸命」になりすぎる傾向があります。レッスン等でお会いする音楽家/音楽愛好家の方々も、「自分は何にも考えてない」とか「自分は頭がよくない」という自己イメージをなぜかお持ちのことが多く、実は「考え過ぎ」の状態にあることに気が付いていないケースが以外と多い印象を持ちます。

上達する。
変化する。
改善する。
成長する。
練習する。

こういった言葉にどんなイメージが付随していますか?
ひょっとしたら、どれも思いのほか「簡単」なものなのかもしれません。

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キャシー・マデン先生との学び備忘録―その5:簡単に変われる―」への1件のフィードバック

  1. キャシー・マデン先生との学び備忘録ーその4:新しい or 別のイメージー

    4:新しい or 別のイメージ キャシー先生が来日していた3週間の間、私のホルンの演奏を見てもらったときに限らず、 他の多くの生徒さんに色々な形で繰り返し言っておられたことがありました。 それは 「何かを変えたい時あるいは何かを止めたい時、『何か別のことを考える/実行する』必要がある」 ということ。 これは 「?を止めよう、と考えていても、止めたい事は止まらないし変わらない」 ということと表裏一体です。 理由は簡単です。脳の運動プログラムは否定形を認識できないから。 言語には否定形があり、脳の言語を担当する言語野はもちろん否定形を認識します。 でも身体運動を担当する運動野には否定形という便利な運動はできないのです。 運動は筋肉を用いて身体を動かすこと。 脳からの運動命令は運動をイメージすることで発令されています。 例えば「動かない」と言語上否定形で考えられることも、 運動イメージではそれは「静止している」イメージになります。 つまり、「バランスを一定の範囲内で保つ運動」をイメージしているのです。 絶対静止はありえないですから、事実としては動いています。 ある範囲を保った「動き」をやるわけです。 しかしそこで言語にこだわって「動かないようにする」ことに必死になるとどうなると思いますか? 脳は一定の方向の動きを強くやり(静止する、という運動を強くやることになりますから)、 そして動きの範囲を「静止」に見える範囲に留めるべく、反対の方向の動きも強くやります。 筋肉レベルで見ると、「動かないように」と考えれば考えるほど、むしろ動きは強まっています。 力は大きいほど安定は損なわれ、グラつくのでそれを止めるべくもっと力を使い、 そしてもっと不安定になり…と悪循環になります。 これが「否定形」で運動を考える(身体の動きをイメージする)ことの難点なのです。 楽器を演奏するとき、例えば肩を後ろに引っ張る癖があるとしますね。 この癖を変えたいときに、「肩を引かないように」と考えてもあまり効果がありません。 なぜなら、「肩を引く」という運動が起きるのはそれを引き起こす運動命令が脳から出ているから。「肩を引かない」というイメージはすでに「肩を引く」動作を含んでいますから、 脳からはきっちり肩を引く命令が出ます。それは癖というより、訓練されたパターンなのです。 ではどうしたらいいのか? やりたいことは「新しい運動パタ…

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