【金管奏法マトリックス】
金管奏法に触れるとき、その多くは
・師事する師匠
・レッスンを受けた教師
・学校や団体の先輩
・本やインターネット上で金管奏法を論じる人物
など「個人」を通じたものであるのではないでしょうか。
そして、それら個人が個々に構築している『正しい金管奏法モデル』を教えられるという形で接する場合もまた多いものと思います。
「個人」から「正解」の「モデル」を教わるということは、このときにその個人のバイアスが当然あるもので、あくまでその個人が構築しているモデルであり事実や真実ではなく、その個人の正解やモデルが教わる人にいつも当てはまるかというと、そうではない、というように私は私自身の経験および見聞きしてきた数多くの他者の経験談から考えます。
そういう私自身も、私個人のバイアスのもとに何らかの正解を模索し、何らかの不正解カテゴリーを作っており、それは事実や真実と完全に一致することはないモデルに過ぎないものであるのは間違いありません。
そこでこの記事では、金管奏法における
☆呼吸法
☆息の流し方
☆アンブシュアの捉え方
の3つの側面それぞれに関し、相反する2つの「正解モデル」を両極とした3軸を示すことで、立体マトリックスを示すことを試みます。
そうすることで、読み手が自身や他者についてこの立体マトリックス内に奏法像を位置づけ、そうすることによって自身の主観と他者の主観の関係を把握し、バイアスにより切り捨てたり否定していた奏法の在り方に気付いたり許容したりすことを促します。
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【3つの軸】
〜横軸・呼吸法の軸〜
呼吸法の軸の一端を「腹式呼吸」、反対の端を「胸式呼吸」と定めます。
「腹式呼吸」
息を吸うときお腹を膨らませ、息を吐いている間お腹を膨らませたまま保つ。
「胸式呼吸」
息を吸うとき胸を膨らませ、息を吐いている間胸を膨らませたまま保つ。
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〜奥行き軸・息の流し方〜
息の流し方の軸の一端を「息圧の感覚」、反対の端を「息の流れの感覚」と定めます。
「息圧の感覚」
身体の内側に向けた力の感覚。腹式呼吸なら胸を下や内側へ押す感覚。胸式呼吸ならお腹を上や内側へ押す感覚。息を流す・吐くよりは”支える””溜める”感覚。
「息の流れの感覚」
押す感覚、圧力の感覚はあまり意識していない。息の流れ、息が身体から外へ出ていくこと、身体に圧力や抵抗を作らないこと、素直に息を吐くなどといった意識・感覚。
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〜縦軸・アンブシュアの捉え方〜
アンブシュアの捉え方の軸の一端を「支える・トランペット的・ファーカスおよびペンツェル的」、反対の端を「ラクに柔軟に効率的に・チューバ的・クレベンジャーおよびジェイコブズ的」と定めます。
「支える・トランペット的・ファーカスおよびペンツェル的」
◎アンブシュアはできるだけ動かさない
◎顎を張る
◎有名なホルンの教師であるフィリップ・ファーカスやエーリッヒ・ペンツェルの唱えるアンブシュアについてのイメージ
◎トランペットのような小さいマウスピースで、アンブシュアが動く余地があまり無い前提からくる感覚
「ラクに柔軟に効率的に・チューバ的・クレベンジャーおよびジェイコブズ的」
◎ゴムが伸び縮みするイメージ
◎一音一音について最適かつ最小限の力加減のアンブシュアのありようを探す
◎有名なホルン奏者のデール・クレベンジャーや有名なチューバ奏者で金管指導者のアーノルド・ジェイコブズが唱えるアンブシュアについてのイメージ
◎チューバやトロンボーンなどのような大きいマウスピースで、アンブシュアが動く余裕がある感覚
上記のような、アンブシュアに関する考え方の背景にある捉え方・イメージのちがいについては、フロイディス リー ヴェクレ著「ホルンが・もっとうまくなる ウォーミングアップと練習を考える」(音楽之友社)の記述も大いに参考にした。
また、「トランペット的イメージ」をトランペット奏者が好まずチューバ奏者が好むことや、「チューバ的イメージ」をチューバ奏者が好まずトランペット奏者が好むこともいくらでもあると思われるので、これは主観的イメージとして自分は何がしっくりくるかについてのことである。
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【あなたはどれがしっくりくる?】
上述のように、金管奏法の三側面について対極的なやり方・イメージを描写しました。ここからは、どれをあなたが好むか・しっくりくるか・うまくいくかを試して比べて把握していく段階です。
その際、留意すると良いこと。
①「しっくりこない」がわかるだけから始めてもよい。例えば腹式呼吸を試みると音が痩せる、身体がしんどいのは分かる、けれど胸式呼吸がやりやすいかどうかは分からない、とします。そういうときは、普段腹式呼吸を意識していたのならその意識を薄めるとか、胸式呼吸をマイルドな感じに留めてやってみるなどすることでしっくりくる具合が見つかることがあります。
②どちらもできてもOK。使い分けもOK。実際、時と場合による呼吸法やアンブシュアの使い方を変えている様子は、多くの奏者に見られます。またどのように使い分けているかを詳しく語れ且つ実演できる奏者もいます。ただし、使い分けるのが良い・優れているとは限りません。ベストパフォーマンスが使い分けを挟まずに、より「自分がしっくりくる奏法」を徹底することで引き出される人もいるのは確かだと思います。
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【奏者の例】
わたしがホルン奏者なので、この観点から興味を持って奏法のバランスを観察するのはホルン奏者ばかりに限られますが、ホルン以外の金管楽器奏者についてもこの観点から奏法のバランスをぜひ観察してみて下さい
フランク・ロイド
デール・クレベンジャー
シュテファン・ドール
ドールとクレベンジャー
ラデク・バボラク
デイビッド・クーパー
ハビエル・ボネ
フェリックス・デュヴォー
例えば彼らをマトリックス内に位置付けると、こんな風になるかもしれません。
赤=フランク・ロイド
黄=デール・クレベンジャー
青=シュテファン・ドール
黒=ラデク・バボラク
橙=デイビッド・クーパー
紫=ハビエル・ボネ
灰=フェリックス・デュヴォー
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【奏法バランスを知る意味】
例えば日本では、呼吸法については腹式呼吸のみが正しいとされ胸式呼吸は間違っているとされる傾向があります。しかし、実際のところどちらがうまくいくかが人により異なるのであれば、胸式呼吸の否定は胸式呼吸がしっくりくる人にとって有害です。
アメリカでは、むしろ胸式呼吸的な呼吸法が教えられることが多く、腹式呼吸の方がうまくいくひとが気付かずに無理して胸式呼吸していることもありでしょう。
そういう状況で、立体マトリックスの中に様々な奏者のそれぞれの奏法バランスを位置付けてみることができると、意図せぬ加害や気付かぬ無理に気付いて、生徒や自身にとっての最適を見出すチャンスが広がります。
これは呼吸法だけではなく、息の流し方についてもアンブシュアについても同様です。教える人自身のやり方が、目の前の生徒にとっての最適とは全く限りません。また、これまで見てきた事例にどれだけ傾向があってもそれすらも正しい奏法バランスを限定して示すものではなく、逆の傾向が最適なひとがいても何らおかしくないのです。
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【個人差・傾向差は他にもある】
この金管奏法立体マトリックスでは、奏者の演奏動作に関した主観的イメージ・感覚の個人差・傾向差を主に描いています。筋肉の運動のところが主ともいえるかもしれません。
それよりもっと骨格や歯という硬い構造物との関係が深いと思われる個人差の傾向を明示的に示しているのが「アンブシュアタイプ」の研究です。
詳細
①金管楽器の3つの基本アンブシュアタイプ
②金管アンブシュアタイプの理論&見分け方&実践レクチャー
例えばホルンの世界では、マウスピースの中の唇の割合は上唇が2/3,下唇が1/3が良いと考える文化が濃いですが、実際にはこれに当てはまらない素晴らしい奏者や、真逆の吹き方の素晴らしい奏者も数多く見られます。その事実により整合し、説明が成立するモデルがアンブシュアタイプの研究なのです。
詳しくは先に示した2つの記事をご覧いただきたいのですが、このアンブシュアタイプに基づくとアンブシュアは3つに分類されます。
「超高位置タイプ」
「中高位置タイプ」
「低位置タイプ」
先の金管奏法立体マトリックス内に位置付けた奏者についてこのアンブシュアタイプタイプの分類を重ねると
赤=フランク・ロイド
黄=デール・クレベンジャー
青=シュテファン・ドール
黒=ラデク・バボラク
橙=デイビッド・クーパー
紫=ハビエル・ボネ
灰=フェリックス・デュヴォー
「超高位置タイプ」=上向き矢印で表示
「中高位置タイプ」=丸で表示
「低位置タイプ」=下向き矢印で表示
というふうに表すことができます。
また、身体の使い方についての分類を見いだしている方法論もあります。4スタンス理論というものです。
日本では「下重心」を良しとする文化が濃いですが、そうでない方がうまくいく人も多数いることが4スタンス理論からは説明されます。
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【不幸の源】
このように見ていくと、「一つの正解像」を見いだして定め、これに適合しない様子や 事例を間違っていると判断したり、うまくいってない原因を正解像との不適合に求め、正解像に向けて矯正しようとすること。
それが多くの不幸を生んでいる構図だと私には思えます。
この記事で示した金管奏法立体マトリックスはその不幸を生むことのある発想から生徒や自身を解放するきっかけになるかもしれませんし、そうなることを願います。
・・・という観点もまた、私の一つの個性でありバイアスでもあるでしょう!私はとにかく小さい頃から画一性や権威主義的なものを嫌っていますから(笑)
先にあげたフィリップ・ファーカスは自身の主観やイメージに基づいた特定の正解像を描きました。その正解像を強要されたり自分をそこに当てはめようとして大きく演奏能力を損なった人が多数いるのは事実です(これはファーカス自身がそうしたというよりは、 ファーカスの理論を使う教師たちがそうしたということの方が多いでしょう)。
しかしそれと同時に、ファーカスほどホルンの奏法像を詳細に描いて世に問うことを成し遂げた人物は他にいません。
そこを見てみますとより正しい奏法像を描き出そうと追い求めていくことと、私が試みたように、正しい奏法は奏者自身のみが自らのために見出し定めることができるものだ、という観点からそのための枠組みを探ろうとすることは、どちらも有意義なものだとも思います。
ひとまず以上です。
次の記事では、私自身がどのようなことを経験してきたかについて、この金管奏法立体マトリックスを背景にお話しします。