歌や楽器のレッスン活動をしているひとが多かれ少なかれ直面し、悩まされるのが
他の先生からの妬みや嫌み
です。
【音大教師たちの嫉妬】
わたしはまず、大学時代にこれを経験しました。
ドイツのエッセン・フォルクヴァング芸術大学在学中にホルンを師事していたフランク・ロイド先生はイギリス人です。イギリス人なのにドイツの大学で良い契約で教授になっており、しかもかの有名なヘルマン・バウマン氏の後任だったことから、ドイツ人のホルン奏者や近隣の他の音大の教師たちからずいぶん妬まれ、嫌われていました。
その割を食ったのは、わたしたち学生でした。あろうことか「あの先生に師事すると潰れる」とか「あの先生に師事していたら、絶対にオーケストラに入れない」というような噂を、学際イベントなどで数校の学生たちが集うような機会を利用して流していました。
そんな噂を聞いてしまうと、何かと多感で不安なわたしたち学生は、とても混乱し怖くなってしまいます。いま師事している先生の教えを、受け取っていいのかどうか確信を持てなくなってしまうのです。
もちろんこんな噂は嘘なので、ずっと残ったわけではないのですが、一時ホルンクラスの雰囲気をすごく悪くしてしまうだけのネガティブな影響力はありました。
いまでも思い出すと嫌な気分になってしまいます。
【同業の先輩の嫌がらせ】
大学卒業が近付いてきたころ、卒業したらアレクサンダーテクニーク教師になるための勉強をするためにその学校へ入ろうという道筋が自分の中で明確になりました。
それで、いくつかの学校を見学したりして、当時もっとも代表的だったSNSの日記に卒業後の計画や夢を書いていました。
すると、当時すでにアレクサンダーテクニーク教師になっていたひとから、わたしが入学しようと決めた学校やその学校の校長先生や先輩たちに関して、裏の取れないネガティブな「ここだけの話」や悪口を記したメールを、何通ももらってしまったのです。
そのメールの趣旨は要はこういうことでした。
「この業界は甘くない。やっていけてるのはオレくらいだ。だからアレクサンダーテクニーク教師になんかなろうとするな。」
これから人生の新たな一歩を進めようとしていたときに、真偽のほどは怪しいにしてもネガティブな情報満載の話を聞かされると、それはそれは不安になるし、気持ちをくじかれるものです。
幸い、冷静に繰り返し考えても、自分の選択は揺らがなかったのでちゃんと滞りなく前進することができましたが、とても苦しい体験でした。
【嫉妬や嫌みは「呪い」である】
つい1年ほど前には別の先輩にネットで派手な中傷キャンペーンを展開されてしまったり、楽器のプレイヤーや教師をしている他のひとたちに時々、嫌なことを書かれているのを見かけてしまったりすることが、いまでもあります。
その都度、消耗しますし、傷付きます。なかなかしんどいものですし、なかなか慣れません。
仕事や評判の面で実害はないと分かっていても、こういう嫉妬、嫌み、攻撃の矛先を向けられるのは、なぜこんなにも嫌なものなのでしょうか?それは実際に、心身にダメージがあるからです。
なぜなのだろう?とよく疑問が湧きます。
知られていくこと、多くの人と関わる事は必ず、こういうことが起きると分かっている。同時によく言われるようにそれこそが「成功している」もしくは「何事かができている」証拠だということも、頭では分かるのです。
それなのに、毎回とてもしんどい。なぜだろう?
それは、あなたが受ける妬みや嫌み、攻撃はまさに「呪い」のようなものだからです。
たとえ仕事の面で実害がなかったり、むしろ攻撃も含めた注目が高まる事でプラスになることさえあったりしても、「呪い」を受けているあなた自身の心身はやはり傷付くのです。
【「呪い」のエネルギーを使ってしまおう】
いざ、「呪い」の言葉を向けられたときはどうしたらいいのでしょうか?
ひとによって適切な対処法は様々だと思いますが、わたしに役立っているアイデアや考え方を紹介したいと思います。
まず、もちろんのことですが、「呪い」に「呪い」で返すことは禁物です。「呪い」は、傷付けたい相手を確実に傷付ける強力な手段である一方で、自分自身を代償として傷付けます。
ですから、たとえ呪われても呪い返してしまうと、余計に自分の傷は深まってしまうのです。
では、どうしたらいいのか?
わたしが実践していることは、嫉妬や嫌みから吐かれた「呪いの言葉」に触れたときに生じるエネルギーを、+のエネルギーに転換するというものです。
呪われると、いろいろな感情が激しく浮上します。
怒り、不安、怖れ、絶望、悲しみ….
こういった感情は、エネルギーです。そのエネルギーを、放っておいてしまうと、内攻して疲労困憊します。エネルギーは放出して使う必要があります。ただし、+方向にです。
では具体例をいくつか挙げます。
①自分の仕事を一歩進める何かひとつの行動をする
わたしが愛用している対処法です。
嫉妬や嫌み、攻撃に接したとき、そのことで頭と心が完全に占められてしまいます。これが本当にしんどいのです。
そこで、目にした嫌なもの、耳にした聞かない方がよかったことから心が離れるまで、ひたすら「自分や自分の仕事のためになること」をちょこちょこと続けます。
わたしの場合よくするのが、ツイッターでの発信です。
ブログを書くのはかなりエネルギーが必要だからか、「呪い」のエネルギーを転嫁するのにはあまり向きません。出来事への反応としてのエネルギーよりは、自分自身の内側から自然に湧き出てくるエネルギーを使う方がラクにかけます。
しかしツイッターは、140文字という少ない文字数で意味ある内容を投稿する必要があり、その制約やゲーム性が、「呪い」への反応として生まれているカリカリしたエネルギーを建設的に使うのに、わたしの場合は相性が良いようです。
140文字の投稿をいくつか行います。その際、自分のツイッターを読んでくれているひとたちのことを考えます。どんなひとたちで、どんな情報を欲していて、どんな話がそのひとたちのためになるか。
それを考えながら、ツイッターにいくつか投稿をするのです。
けっこう頭を使います。だからこそ、その作業に意識が向いていくにつれて、気付くといつの間にかさっきまでのネガティブでしんどい感情は減っているのです。エネルギーを使ったからなのです。
その投稿に、たくさん反応を頂いたり、さらにはフォロワーが増えたりすると、こんどは「達成感」や「やった甲斐」を感じることができ、こんどはむしろ勇気付けられ力を得た感覚がするのです。
歌や楽器のレッスンをしている先生の場合、こういう面で仕事を支えてくれるのでツイッターなどをやってみることを是非おすすめします。
また、そういったオンラインの作業でなくとも、ひとそれぞれ
・自分のため
・仕事のため
・生徒のため
になる創造的で意味ある作業がいろいろとあるはずです。
・教材作り
・レッスンする曲の解釈のパターン作り
・楽器がなくて困っている生徒のための、楽器寄付や貸与の呼びかけ活動
etc….
いくらでも、なんでもあります。
もしあなたが思いついた、あなたにぴったりのものがあれば、よろしければぜひこの記事のコメント欄に書き込んでください。このブログをご覧になっている多くの方の役に立ちます。
②うまくいったレッスンや、もらった感謝の言葉を思い出す
嫉妬でおかしくなってしまったひとや、自分自身の心理的な屈折からあなたに無用な脅威を感じているひとたちは、あなたのことを信じられないほど手厳しく非難し、中傷し、貶めます。ときにはあなたの将来性に関して、不吉な予感のする心ない言葉を吐く事もあるでしょう。
まさに呪いです。
この呪いは、あなたの心と身体に対して毒となります。ですから、強力な薬・栄養・血清があるとよいでしょう。
なによりもの薬であり栄養剤ともなるのは、あなたがもらってきた励ましや感謝です。
・自分がこれまで教えてきたレッスンのなかで、すごく良い成果があったとき
・生徒から受けた感謝
・あなたの教師としての資質を肯定的に述べてくれたひとの言葉
そういったものを、能動的に思い出しましょう。
とはいっても、呪いに触れたときは頭が怒りや不安でいっぱいで、なかなか思い出しにくいでしょう。
ですから、そういった「薬・栄養剤・血清保存倉庫」を作っておきましょう。
わたしは、読んで嬉しくなるメールは全てタグ付けして分類して保存しています。
・レッスンの体験談
・頂いた感謝のメッセージ
・本番がうまくいった喜びのメッセージ
そういったものです。
ブログやFacebookのコメントも、読んで励まされるものはコピー&ペーストして自分宛に送り直しています。
また、音大などからくる講座の依頼の文書も、受け取ったときの嬉しさや誇らしい気分を「保存」する意味で大切にとってあります。
③掃除や整理整頓をする
とにかく気分を変え、エネルギーを使い、感情が落ち着いてくるまで家事をするのもとても健康的です。
悪意ある「呪い」を、自分の身の回りを「清める」きっかけとして使うことは、とてもとても大きな意義があります。
ある意味それで呪いを「祓って」しまえますし、大切な「結界」を作って自分自身を守ることにもなるのです。
④音楽をする/聴く
音楽・芸術の前においては、妬みや他者に投影された内面的な問題はほんとにちっぽけな存在です。
音楽そのものが太陽であるとしたら、「呪い」は小さな汚い氷の破片みたいなものです。音楽の炎は、呪いの氷を一瞬で焼き付くし消滅させてしまう力があります。
音楽や芸術が、政治的なあれこれやこんがらがった人間関係というどうでもよい卑小なもののバカらしさを思い出させてくれます。
そうしてあなたは、また進むべき道をちゃんと一歩一歩踏み出していくことができます。
⑤自分に甘くする
「呪い」を受けると、とにかく疲れます。
ですからそういうときは、日常の基準を保留して、非常時だと認識し、自分自身に対してとっても優しく、甘く接しましょう。
普段は高くて我慢している美味しそうなケーキを、解禁しましょう。
入ってみたいけれど節制のため入れずにいた素敵なレストランに、家族と共に行きましょう。
見たかったテレビ番組を、ここぞとばかりに観ましょう。
そうやって、疲労回復に務めましょう。
参考になれば幸いです。
バジルさん、私は妬まれるほどなにもたいしたことはしていませんが、多分すごく似た経験をしています。とても励まされました。そして音楽は、芸術活動をすることはとても素晴らしいことですね。昔諦めたことを、もう一度やろうとすることはすごくプラスになりそうな気がしてきます。
ありがとうございます。
三枝まりさま
素敵なコメント、ありがとうございます。
やりたいけれど諦めていたことへの再チャレンジ、すばらしいです。
自らの芸術性、創造性を動かしていくことそのものが、良い事尽くめですね!
バジル先生の文章に、とても感銘を受け、癒やされました。ありがとうございました。
僕は音楽家ではありませんが、日々、仕事上で発生するストレスの上手い受け流し方について、思い巡らせる日々でした。たまたま検索したキーワードから、偶然に先生のブログにたどり着きました。物事の捉え方とその後の行動について、とても勉強になりました。参考にさせてください。
野村様
このようにコメントしていただけて、わたしも本当に励みになります。
音楽に限らずに誰かの役に立っていることを知れて、本当に元気が出ます。
時間を割いて読んで、コメントまでしていただいたことに心より感謝申し上げます。
Basil
バジル先生
現在自分がある音楽の保護活動を行っていることを、面白く思わない他の学生から陰湿な嫌がらせを受けています。
とてもやりきれなくてネットで自分の様な立場の人は他にいないか、いたらどうしているのか、を知りたくて検索したところ、バジル先生のこのブログに出会いました。
先生の言葉は、ささくれだった私の心を癒して下さいました。
また明日から頑張れそうです。
ありがとうございます。
これからもブログにお邪魔したいと思います。
Hayakawa
Hayakawaさん
それはお辛いですね…。
ぼくも、いま直接的に嫌がらせされたり見えるところで悪口言われたりはないですが、それでも過去のこういう体験はいまだに気になっちゃいますよ、やっぱり。
でも、ちょっとづつその意味とか自分の人生での役割とか、この体験から学ぶべきこととか。
もっと言えば、嫌な思いをさせられた相手の気持ちや考えにもある種の理解をおぼろげながらも感じたりとか。
そうやって徐々に消化して、大人として自由になることをちょっとづつ進めています。
今後もこのブログをどうぞよろしくお願い致します。
Basil
初めまして、ピアノを専攻している海向こうの者です。ネットでの誹謗中傷や批判にはようやく慣れました。一時期は頭の回転をうまく使って、とんちのきいた返しをして相手をやり込めてみたり、楽しめている部分もありましたが、初めの頃はからだが震えてしまったり、辛いことも多かったです。
その時期を通過し、今はまったく気にならなくなったのと、ネットをほとんど触らなくなったので、中傷は目にしなくなりました。
ですが、今度はリアルに直接的な嫌がらせにあっています。呪いを超えて暴力ともとれます。練習中、同じ部屋で他の音楽を大きな音で流され、自分の音が全く耳が拾えず苦労しました。吐き捨てるように「きたねぇ音だ!」などと言われ、わたしの一番大切にしている「音色」を否定された時は、人格否定にもとれました。心身ともにやられてしまいました。
言われた瞬間、脳が煮え立つようにぐらぐらして、演奏の指が止まってしまいそうで、ピアノを弾くのが怖くなってしまうほどでしたが、指は止めず、それならば絶対に文句の言えない美しい音を奏でてやる!と練習に精を出しています。練習というより、音の追求、研究に近いです。
ほぼ毎日、爆音音楽の中で練習しています。耳と脳にかかるストレスが半端ないです。
騒音の中でも自分の音を拾う耳を養おうと努力しました。その結果、自分の音はなんとか拾えるようになりましたが、「響き」が拾いにくいです。楽器は「響き」がいかに透き通っていて、会場の遠くまで届くかが重要です。
耳が良いことは音楽的にとても有利ですが、耳が良すぎるとこういう弊害もあるのだと知りました。
今、無音の中、自分の楽器で練習できることはほとんどありません。
その人はなんとかわたしに音楽を辞めさせたいのだと思います。呪いだというのもこちらに訪れる前から本能的に理解してはいましたが、やっぱりそうなのだと腑に落ちました。
呪いは強力です。身近で起きた場合はどう対処すべきでしょうか。
今は、気にせず、その曲の魅力を最大限に引き出す演奏を心がけ、楽しみながら演奏し、曲によりますが、自然に笑顔になって弾いております。
わたしの演奏は、指導者や評論者さんなどからは、響きが美しい、と言われています。また時には音楽性が豊かであることなども言っていただけます。
嫌がらせをしてくる方は、クラッシック自体はお好きなのか時々クラッシックなどもかけておられますが、音楽に関わっていらっしゃる方ではありません。
長くなってしまいましたが、バジル先生、どうお考えになりますでしょうか。
Laylaさん
これは、普通にハラスメントとか隣人トラブルとか、そういうレベルの問題に思えます。
お住いの国が分かりませんが、法的な対応も検討できるものではないでしょうか?
あまり人間関係や気の持ちようで捉えるようなものではないように思われます。
Basil
バジル先生、お忙しい中、ご返答ありがとうございます。
家族に嫌がらせを受けています。
わたしも強烈なハラスメント行為だと思います。爆音の中で練習することはもはや限界で体にも支障が出てきてしまいました。
現在は日本におります。日本ならば家族相手でも法的措置などは可能なのでしょうか。一日数時間でいいから弾かせて欲しいと頼んでもまったく何も変わりません。警察にも相談し、注意はしてくれましたが、状況は何も変わりませんでした。20時間音楽が爆音で流れている環境です。
家族からするとわたしの楽器の音が汚いので迷惑をしているそうです。わたし自身、勉強中の身であり100%自分の音に確信が持てるわけではないので、もっと美しい音色を追求せねばと日々努力しております。
家族からの攻撃にあっても音楽の道を諦めなかった方、または家族や身近な人からの練習を妨害されている人のお話は聞かれたことがありますでしょうか。
わたしはこの問題も強力な呪いのひとつだと思っています。
「DV」とか「家族ハラスメント」とかいったようなキーワードで情報を探すと良いのではないでしょうか。
法的措置を選択肢に含めた対応のサポートは、民間のカウンセラーから行政関連機関まである程度幅広く存在すると思います。
Basil
バジル先生、時々練習で困った時YouTubeなどで参考にさせて頂いてます。ありがとうございます。
私も吹奏楽団の同じ楽器の先輩の方からずっと、はっきりと周りにはわからない様な嫌がらせを受けて来ました…。
多分理由は最初入った時に出身校を聞かれたんですが、私の出身高校が全国大会に行く様な有名な所だったのと、
ブランクが長い割には音が昔とあまり変わらずに出ていたので、出しゃばっている様に思われていたのかもしれません。
私からするとこれが普通の状況ですし、家の近くにある楽団でのんびりやれればいいと思っていただけなので、他の方々の練習状況や音などは、深く気にせず楽しくやって行こうと思っていました。
音が鳴りすぎる時など遠慮しでふくようにもしてますし。
ですが、その先輩の方はプライドが高い方なのか、突然自分は4番のアシスタントでいいと言いだし、SNS
などで自分はこんなに楽団の仕事をしているが吹けないので隅っこでやっていますと言う様な内容を書いているのを見かけたり(そんなの頼んで無いんですが)、楽団の遠征の話が出た際は私には教えず、他の同じ楽器の方たちでこっそり何年間も行っていたりされていました。
楽団の仕事をされているのなら、私が少し手伝おうとしても、無理矢理でも取り上げてその方がしてしまいます…。なんでもご自分の手柄でないと気がすまない方みたいです。
もう何となく10年以上こんな感じなんですが、
最近コロナでし私の会社の方がずっと制限が掛かってたので休団してたんですが、その方だけそのパートで一人はそんな中でも楽団に行っており、
久しぶりに定期演奏会があるからどうしますか?とその方に聞かれ随分先の日程だったので、まだ会社の状況もあるので分からないです。と言ったとたんに希望は締め切りましたと言われましたので諦めざる終えませんでした。
他の方もまだ返事はされてなかったので、皆さん参加出来ないんだなーって思ってたんですが、
後から締切後に参加が決まって楽団のホームページの写真に写っていました。
やっぱり私はその方に呪われているのでしょうか?
その先輩以外の他の楽器の方々は皆様いい方ばかりで、嫌な事は無いのですが、家からも近い楽団ですしずっとこのまま通おうと思ってましたが、長年こういう嫌がらせを受け続けると、心が蝕まれて来ています。
現在はこの方はこっそり遠征にいったりしてるおかげか?だいぶ上達されたと自覚をされたのか、今度は極端に自信を持っておられて、よく分からない指摘をみんなの前で私にするなど、それはそれで、ちょっとパワハラで困っています…。
呪いを呪いで返すなんて、同じレベルにはなりたく無いのですが、
私自身が嫌な目に遭わない様に、魔除けで塩をポケットに入れて、楽団に行く始末です(笑)
それぐらいしか出来ることがないんで…。
その人1人のお陰で、私は違う楽団に行った方がいいんですかね。
他の身近な楽団はコンクール一筋で、昔頑張り過ぎたのかちょっと年を取った私には、もう少しのんびりやりたかったです。
楽器は好きですが楽しく吹けないなら、諦めた方がいいのでしょうか。
悩んでいます…。
マルマルさん
お返事遅くなってすみません💦
ホルン・吹奏楽・音楽を続けたい、楽しみたいという気持ち。これを実現し満たすために、この所属している楽団やもう1つの楽団の状況は適さないものになってしまったということですね。
そうすると今までは、この変な嫌がらせさえなければ普通に続けられたのに、と非常に損をした気持ちや理不尽で嫌な気持ちになるのら当然だと思います。
一方で、ホルン・吹奏楽・音楽をやりたい、というご自身の深い思いを叶えてあげるためには、ご自身から他の環境を探したり他の人に相談したりするという行動がどうしても必要になるのではないかと思います。