【オーディションを、演奏でなくプレゼンで勝ち抜く!】起業家的音楽家Vol.2〜アンドリュー・ヒッツ第三回〜

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ボストンブラスなどで活躍したチューバ奏者、アンドリュー・ヒッツ氏が主催するプロジェクトが『The Entrepreneural Musician』。日本語にすると、『起業家的音楽家』です。





今回は、このポッドキャストの主、ヒッツ氏そのひとへのインタビューを全文日本語で書き起こしました。インタビュアーは、ボストンブラスで同僚だったユーフォニアム奏者のランス・ラデューク氏です。このインタビューの前編はこちら



~第三回【オーディションを、演奏でなくプレゼンで勝ち抜く!】〜

Lance
『ノースウェスタン大の後、アリゾナ大に行ってサム・ピラフィアンに再び師事したね。サムとの学びのうち、音楽の仕事/ビジネス面での学びでレックス・マーティンとまた異なるところはあったかい?』

Andrew
『まず第一に、サムとレックスの教えはお互いにすごく補完的だった。二人から学ぶことが矛盾することはなかったね。二人が意図的にそうしようとしていたわけではなく、自然とそうだったんだ。

アリゾナ大での勉強を始めたとき、いまでは学校付属のアンサンブルとなった「ディキシー・デビル」というバンドがあるんだけれど、アリゾナでの学校生活が始まって早々にサムに

「きみ、きょうからディキシー・デビルのメンバーね」

と告げられたんだ。

ぼくはディキシーバンド音楽が大好きだからもちろん即決でOKして

「最高!でもディキシーバンドの演奏スタイルをやったことないしやり方はわからないよ?」

と言うとサムは、

「そりゃいいね。そんなわけできみはバンドの一員だ。これでできるようになるね」

と答えたんだ。だから

「それはいいんだけれど、何か事前に勉強するといい録音や譜面はあるかい?」

と尋ねると、

「来週水曜のリハーサルで勉強すればいい」

って言うんだ(笑)

サムは意図的に、ぼくの質問を遮断して、「いいから現場でなんとかしてこい」というふうに接したんだ。それは質問されたり助けを求められるのに辟易していたからではなくて、「自分でなんとかする」ということを学ばせようとしてくれていたんだね。

最初のリハーサルのぼくの出来はなかなか最悪だったし、ディキシー・デビルの最初の仕事は本当に怖かったよ。だって譜面に終わり方は書いていないし、いろんなルールやパターンがあって、「クラシック育ちのオレにどうしろって言うんだ」という気持ちだったけれども、まあどうにかするしかないわけだ。

その最初の仕事は平日の夕方、聴衆なんか数えるほどのバーでの演奏だった。恐ろしかったけれど、いざ始まったらもうやるしかない!と気合が入ったね。終わり方が決まっていなくて、最後の部分を何回繰り返すのかもよくわからない。でもどうにかそれらしく合わせていくんだ。終わりを間違えても、思いっきり終わりっぽい音を出せば、意図的に聴こえるしね。ディキシー音楽なんだからそういうのはどうでもいいんだ。本場のニューオーリンズでも誰かが間違えたからって誰も気にしないんだよ。

サムの教えの典型的な一例だね。いきなり現場にほっぽりだす、というやり方さ。

ノースウェスタン大で師事したレックス・マーティンは、メジャーオーケストラの録音CD 100枚以上で演奏している大オーケストラ奏者だったのに即興ジャムセッションやアンサンブルをぼくはノースウェスタン時代はたくさん学んでいた。

一方アリゾナ大のサム・ピラフィアンは、ニューヨークフィルで演奏したりもちろんちゃんとオーケストラでのキャリアもあるんだけれど、キャリアの大半はアンサンブルの活動が占めているんだ。そのサムに、不思議とオーケストラのレパートリーをきっちりと習うようになったね。高校生の時に彼とはアンサンブル系のことはもうやってあったからかもしれない。

でも、そうこうしているうちにボストンブラスから声がかかって、ぼくのオーケストラレパートリーの追求はそれで終わったね。』


Lance
『ノースウェスタン大時代は、学外での演奏の仕事は2回しかやっていなかったと言っていたね。アリゾナ大には、どれぐらいの期間いたんだい?』


Andrew
『2年半だよ』


Lance
『その間に、演奏の仕事はどれぐらいやったんだい?』


Andrew
『ノースウェスタン時代よりはるかにたくさんやったね』


Lance
『ディキシー・デビルに所属していたわけだから、それもたくさんあったんでしょう?』


Andrew
『そうだね。ディキシー・デビルだけでも年間数十回あったかな。』


Lance
『そうやって演奏の仕事をやるようになって、この世界がどういうふうに回っていて、どうやって仕事が生まれて手配され、お金の出所はどこなのかといった背景は見えてくるようになったのかい?』


Andrew
『そのときはまだ分からなかったね。そのへんのことはディキシー・デビルでは別のメンバーが完全にやってくれていたし、まだまだ非・起業家マインドだった。ボストンブラスに加入した当初ですらも、まだまだ全然、起業家精神は持っていなかったな、正直言うと。チューバが上手に演奏できているから、それでいいやという感じだったね。

一応、ボストンブラスというものの事業の一端を担ってはいたよ。移動の手配などは任されていたし、それはしっかり上手にやっていた。

でも、もっと仕事を取ってくるための行動はやっていなかったね。そのために時間と労力を使っていなかった。』


Lance
『大学院で博士号を取得すべく勉強している状態から、プロとしてチューバの演奏活動をする状況へと変わっていったわけだけれど、そのあたりのことを話してくれるかい?』


Andrew
『もちろん。

サムがあるとき、ボストンブラスのチューバ奏者から電話を受けたんだ。急病になってしまって、飛行機に乗り込んだ後にすごく気分が悪くなって、ドアが閉まる前に名乗り出て飛行機を降りてその足で病院に行くくらい大変だったらしい。それで、お医者さんは、とても飛行機に乗って移動できる状態じゃないと。

ボストンブラスはこれからコロラドに向かってバンドディレクターの大きな会合での大きな仕事をするところだったから、パニックになりながらサムに電話をかけてなんとかチューバ奏者を確保しようとした。

サムは日程的にできないから引き受けられなかったけれど、助手をやっていたぼくを推薦してくれて、それでぼくが行くことになって、すごくうまくいったんだ。

夜の9時半くらいに電話をもらって説明を受けて、翌朝5:30には空港でチェックインするような、それぐらい急なことだったんだよ。

元々のチューバ奏者はその後は回復していまではミルウォーキー交響楽団の奏者になっているから万事順調だけれど、当時は復帰できなくてその年の春はぼきがずっとボストンブラスで代奏を務めた。

その夏に正式にオーディションがあって、ぼくが合格して、正式にメンバーになったんだ。それ以来14年間在籍したよ。』


Lance
『アリゾナ大時代、そしてボストンブラスのメンバーとしても最初の数年間は起業家思考は持っていなかったとさっき言っていたよね。きみの中の起業家性は、いつ目覚めたんだい?』


Andrew
『ムカつくけれど(笑)、きみがボストンブラスのメンバーになったときだよ!

リスナーにランスのことを説明しておこう。

ランスはユーフォニアム奏者なんだけれど、ボストンブラスのメンバーになるためにトロンボーンに挑戦したんだ。世界的にも優れたユーフォニアム奏者で、空軍バンドも歴任している。

それなのに、ボストンブラスのオーディションにトロンボーンで受験しに来たんだ。トロンボーンに挑戦して7〜8ヶ月後のことだよ。トロンボーンとユーフォニアムの両方の演奏を披露してのオーディション受験だった。

受験者のなかでは、トロンボーンの使い手としては断然最下位だった。挑戦してたった数ヶ月という点では驚異的に上手だったけれど、他のトロンボーン受験者も非常に優れたトロンボーン奏者たちだっからね。

でもランスは合格した。

それはなぜか?

ひとつは、受験のために新しい楽器に挑戦し、短い期間での習熟ぶりに驚かされたから。

もうひとつは、面談でボストンブラスの事業としての未来やマーケティングの計画を、既存のメンバー5人合わせて考えてきた中身よりはるかに深く徹底して詳細に考えてきてそれをプレゼンしてくれたからなんだ!

事業プランの言語化も素晴らしかったし、彼のプレゼンを聞いていて、「こいつを雇わないのは甚大な損失なんじゃないか?」と思えてきたのを覚えているよ。「受験者のなかでこいつがベスト」ではなくて、「コイツこそを雇わなきゃいけない!逃すわけにはいけない!」と思わせてくれたんだね。

わたしたちのグループとしての未来を見せて、考えさせてくれたんだから。

そういうビジネスやマーケティングの捉え方に触れられたことと、ちょうど同じ時期から「いつまでもこうして年中旅して回る仕事は続けていけない」と感じ始めていたこと。

その二つが重なって、ビジネスというものを考えるようになったのかもしれない。

なかには50年も旅仕事を続けている、カナディアンブラスのチューバ奏者チャックみたいにずーっと続けていけるひともいるのは確かなんだけど、ぼくには自分の限界が見えてきていた。』


Lance
『少し話を先に進めると、ボストンブラスで長く活動した後、ぼくもきみも近い将来脱退して次の道を進むことになるなとお互いはっきり決断していたね。それで、二人で脱退後のプランというものを考えるようになっていった。そのプロセスについて、話してくれるかい?』


Andrew
『2010年、ぼくらボストンブラスは金管フェスティバルでブラジルのサンパウロ郊外にいた。ぼくはゲーリー・ウェイナーチャックの”Crush It ! “ という本のオーディオブックを聴いていた。きみの勧めでね。

彼の教えからはいつもすっごく刺激を受けているんだけれど、その本を読んで(聴いて)、自分でも何かやってみることを着想したんだ。

最初は、何か金管奏者向けのウェブサイトを作ろうと思った。オーディションや演奏の仕事の情報、演奏に関することとかを載せていこうとかね。BrassHub(訳注:Hubは「ハブ空港」の「ハブ」。中枢、機軸、中心といった意味)みたいな名前にしようかと。

これまでの音楽家人生で培ってきた演奏家たちとのつながりを活かせるんじゃないかと思ってね。

でもBrassHubという名前はのURLはもう誰かが使っていたから無理だと。それで次に思いついたのが BrassHitz と自分の名前をかけたもの。すごく良い名前だと思ったね!

でも‥

URLが取られていないか調べようと「b r ‥」「b r a‥」と順番に入力していくと‥ 「b r a s s h i t …」というスペルになっているじゃないか!と気づいてしまったんだよ(笑)

いまでもこのURLは空いているよ。理由は述べません(笑)

そんなこんなで結局、andrewhitz.com で落ち着いたよ。なんの変哲もない、自分の名前のURLなわけさ。

でもね、BrassHub=金管センターみたいなアイデアは、それほど良いものじゃなかったのが後で分かってきた。そういうサイトは他にいくつもあるし、自分がやりたいこととちょっと違っていたんだ。

もうひとつ、いまもやっている Pedal Note Media 。 これも脱退後を見据えて一緒に考えたことだったね。

とにかくぼくらはお互いに一緒に何かやってみたかったんだよね。ぼくらはどちらも、同僚にはすぐに腹が立って殺意を覚える短気なタイプだけれど(笑)、お互いに対しては殺意を持つ回数が比較的少なかったね(笑)

そんなこんなで、ぼくらは同じ2013年に脱退したんだけれど、その最終年のぼくらにとっての最後のコロラドでの主催合宿で1時間二人で会議をしたね。ビジネスモデルの青写真を描いた。

宿が相部屋だったからその部屋の壁のいたるところにメモを貼り付けたり、画用紙を床じゅうに広げて書き込んだりした。

それで二人でこれから何をやっていくのか、というのを具体的に徹底的に定めていったんだ。

こういうのを「ビジネスモデルキャンバス」というんだけれども、個人やあるいは室内楽やアンサンブルグループのメンバー・仲間同志でそれに取り組むのを強く勧めるよ。(訳注:ビジネスモデルキャンバスと検索すると日本語でも情報が得られます)

その作業をやっていて、良いアイデアなんだけれども、長期的な視点でやろうとしていることにはハマらないこともあるというのを発見できたね。一生やらないと切り捨てるわけではないんだけれど、ビジネスを立ち上げ作っていこうという段階で、いまやることではないと。

Pedal Note Mediaとして最初に着想して実行したのが “TheBrassJukies” だった。有名な金管奏者にインタビューするPodcastの運営。ぼくらのこれまでの活動から、有名な金管奏者たちとすでに友人でよく知っていて、気軽に携帯電話のメッセージで出演を打診しても大丈夫だし気軽にOKしてくれるような間柄、関係性を持っているということに気づいたんだ。普通の奏者やファンでは連絡先を知る術もないようなハイレベルな奏者たちでも出演してもらえて、たとえばニューヨークフィルでの演奏の仕事の日々のルーティーンや裏話までどんどん話してもらえるという貴重な優位性がぼくらにはあった。たくさんのひとが興味があるはずだと。

実際にやり出したら、思った通りリスナーはすごくたくさん出来たし反応もすごく良かった。それもこれも、とても意図的な思考過程を経て見出し生み出していったものなんだ。』


Lance
『ビジネスをしていくうえで、そういう「不公平なまでの優位性・利点」というものを見つけて活かすというのがとても大事だね。』


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第四回『自分が持っている不公平なほどの優位性を探す』へ続く
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