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ボストンブラスなどで活躍したチューバ奏者、アンドリュー・ヒッツ氏が主催するプロジェクトが『The Entrepreneural Musician』。日本語にすると、『起業家的音楽家』です。
今回は、このポッドキャストの主、ヒッツ氏そのひとへのインタビューを全文日本語で書き起こしました。インタビュアーは、ボストンブラスで同僚だったユーフォニアム奏者のランス・ラデューク氏です。このインタビューの前編はこちら
~第二回【卒業リサイタルで演奏したのはなんとロックバンドの曲】〜
Lance
『ここまで、サム・ピラフィアンのことが2回ほど出てきているけれど、どうやってサムと出会ったかとか、そのあたりをもう少し詳しく教えてくれるかい?』
Andrew
『両親に、タングルウッド音楽祭の企画で芸術家に直に会おう!という趣旨のものがあってそれに連れて行ってもらったんだ。テントの中でエンパイアブラスが演奏して、終演後に演奏者と歓談したり音楽祭の開催地を一緒に歩いて回るツアーがあったり。そこでサム・ピラフィアンに会うことができた。そのときの写真があるんだけれど、少年のぼくがサムを見上げて憧れの目線を向けているという写真でね。
その後タングルウッド音楽祭に受講生として行ってサムに習うことになった。そこからエムパイヤブラスの金管講習会に2年連続で参加したりして継続的に習うようになった。
すごく気が合って、サムと両親も仲良くなってタングルウッドの方にある別荘に遊びに来たりしてくれて。
それであるとき父がサムに、「この子にチューバ奏者としての可能性はあるか?」と尋ねたみたいなんだ。ちゃんとしたチューバをぼくに買い与えるかどうか考慮していたときでね。それでサムは「ちゃんとやれば、ちゃんと食っていけるよ」と答えてくれたらしい。
それ以降、サムにすっかりお世話になるようになった。
大学に進学する際には、サムはボストン大で教えていたんだけれど、ぼくが2年生になる年にはサムはその職を辞職することが決まっていたから、「ボストン大は受けない方がいい。ぼくが移る大学に転学してももちろんいいけれど、面倒が多いよ。大学院になってからぼくに習いたければそのときがぼくが教えている大学に来たらいいよ。合格はもう決定しとくから」とサムにオフレコで言われた。高校3年生のときのことで、相当テンションが上がったね(笑)。その日友達たちには「もう大学院進学まで決まっちまったぜオレ!」とうそぶいて回ったよ(笑)
さっき言ったようにサムには、大学はノースウェスタン大の受験にチャレンジするべきだと勧められたわけさ。』
Lance
『エンパイアブラスにはぼくも思い出があって、娘が小さいとき扁桃腺の手術で入院していたときのこと。病室でテレビを見ていたら、「ミスターロジャース」にエンパイアブラスが出てきたんだ。それで観ていたら、娘が起きて、「具合はどうだい?」と尋ねたら次の瞬間、ぼくの方に向かって思いっきり嘔吐したんだ。それが思い出だよ(笑)
エムパイヤブラスとの関わりは、チューバ奏者としての未来像に何か変化やインパクトをもたらしたかい?それとも相変わらずボストン交響楽団に入ることを唯一の目標にしていたのかい?』
Andrew
『エムパイヤブラスの講習をタングルウッドで受けてからは、金管5重奏の世界にすごく興味を持つようになったね、まちがいなく。』
Lance
『講習ではどんなことを学んだんだい?』
Andrew
『4週間のセミナーだったんだけれど、月曜〜木曜は毎朝、エムパイヤブラスのメンバーからのコーチングを2時間半受けることができた。午後になると1時〜3時はエムパイヤブラスの公開リハーサルを見学。3時半〜6時はこんどはアトランティックブラスのメンバーからコーチングを受ける。金曜の朝はまたコーチングをしてもらって、午後からはパフォーマンスクラス。実際に人前で演奏しながらアドバイスを受けたりする。期間中のタングルウッド音楽祭での演奏会は全部聴くことができる。ボストン交響楽団の演奏会が3つ、クロノスカルテットやヨーヨー・マのバッハ/チェロ組曲全曲の演奏も複数回聴けた。』
Lance
『受講する金管アンサンブルは何組いたんだい?』
Andrew
『6組だね。』
Lance
『その6組はオーディションで選ばれた6組かい?』
Andrew
『そう。』
Lance
『あらかじめアンサンブルを組んでそのアンサンブルでオーディションを受けるのか、オーディションを受けて合格した受講者たちでアンサンブルを組むのか、どっちだったんだい?』
Andrew
『個人で受験して、6席あったチューバの枠に受かったという形だよ。』
Lance
『何回、タングルウッド音楽祭には受講者として参加したんだい?』
Andrew
『エンパイアブラスの講習コースを2回と、青少年オーケストラのコースが2回だね。高校を卒業するまでの4年間、毎年夏に受講しにいったわけだ。』
Lance
『レパートリーはどういうものだったんだい?伝統的なものなのか、ポップスなのか。』
Andrew
『両方なんだけれど、伝統的なレパートリーの方が多かったね。すごく難しい曲も多かったよ。2回受講したアンサンブルコースのどちらのときも、クインテットの中で圧倒的に最年少だったしね。1度目はぼくは15歳で、ほかのメンバーはそれぞれ22歳、24歳、28歳、30歳だった。だから、そうやって経験豊かな年上と一緒にやれてとても良い経験になったね。』
Lance
『大学時代の即興セッションのことに戻るけれど、それはいつ頃から始めたんだい?ノースウェスタン大を卒業する頃にはすっかり本格化していたわけだけれど。』
Andrew
『1年生の中頃に、ロックバンド「フィッシュ」のコンサートを初めて観たんだ。それですっかりフィッシュに夢中になって、二日後にはレコード屋さんに行ってフィッシュのアルバムを二枚買った。それを聴いて、さらに二日後にはもう残りの4枚も買って数日間食事は抜きになったよ、お金がなくなって(笑)。
同じ時期に、「ザ・グレートフル・デッド」にも夢中になって、そういう色んなインプロ音楽を没頭して聴くようになっていくようになった。
それ以前にもジャズインプロは聴いていて、高校生のときにはウィントン・マルサリスに会う機会があってさらに熱中したりした。
余談だけれども、その後もう一度マルサリスに会ったのは彼のセプテットのコンサートだったんだけれど、マルサリスはぼくの高校のとき先生を知っていた縁もあって、彼のセプテットのほかのメンバーをひとりひとり直に紹介してくれたんだ。2回本番のあいだの1時間の休憩時間に、わざわざ30分も時間を使ってひとりひとりのメンバーのとこりに連れまわしてくれたんだよ!夢のような体験だったね。
なにはともあれ、大学1年生でインプロミュージックをどんどん聴くようになった頃から、夜な夜な寮の練習室に友達とこもって即興セッションをやるようになっていったんだ。
最終学年のリサイタルのときには、最後の曲はフィッシュの曲で終えたよ。トロンボーン、トランペット、チューバの3人で演奏してね。大盛り上がりだったよ。学内でフィッシュの人気が盛り上がったし、ぼくがリサイタル演奏したすべての曲なかでフィッシュのが一番評判が良かったよ(笑)
有名なチューバ協奏曲を演奏して食っていくこと以外の考え方もそのときに学んだかもしれない(笑)』
Lance
『ぼくも大学で教えていて常々思うんだけれど、知識や教養としても知っておかなきゃいけない曲や分野がある一方で、可能性や視野を可能な限り広げるべくいろんなレパートリーや分野を教えたり体験したりさせてあげなきゃいけないとも思う。そのバランスに苦心するね。』
Andrew
『このTEMでもインタビューしたこともるマイク・ニッケンズが的確に言っていたよ、「リサイタルは必修課題だ」って。彼は非常に実験的でクリエイティブなんだけれどもその彼もそう言うんだ。カーネギーメロン大で勉強していて全部フリージャズインプロばっかりやって済まされるわけじゃない、当然ね。ぼくはリサイタルではヒンデミット、バッハのチェロ組曲などもちゃんとやったんだ。それの質が良かったからこそ、挑戦的な選曲をしてもつべこべ言われなかったんだ。
君の言う通り学生として、あるいは学生を育てる教師として、必修の物事とその先の物事のバランスを見極めるのは大事だ。
ただ、ぼく自身のその後のキャリアの方向に関して言えば、あのリサイタルのなかではフィッシュの曲を使ったことの方が象徴的だったね。』
Lance
『そういうリサイタルのプログラムを許可してくれた、ノースウェスタンでの師匠のレックス・マーティンとの学びのなかで大事だったことや印象的だったことの最重要な事柄というのは、どういうようなものだい?』
Andrew
『彼は一貫して、「チューバ奏者はチューバを手にした音楽家であるべきだ」という考えだった。チューバの枠にとらわれるのではなく、とても高い音、とても低い音、すごく速い演奏、すごくゆっくりな演奏、非常に大きな音、非常に小さな音。弟子には全部勉強させるんだ。そのあらゆる組み合わせもね。
彼は音楽性をとても強調するし、フレージングを教えることに関しては彼より上な人物には会ったことがない。
あと、当時の大学には音楽ビジネスに関する授業やコースは実質ないも同然だったし、世界のどこの国のどこの大学でも「起業家精神・起業性=Entrepreneurship」は重要視されていなかった。そんな時代でも彼からは、そしてサム・ピラフィアンからは起業家精神のお手本を見せてもらえた。
レックス・マーティン先生はたとえば人脈作りをしっかりやっていた。彼はそれを人脈作りとは呼ばなかったけど、音楽の世界で生きて行くうえでのそういう要素・スキルを学生たちにすごく注意喚起して教えてくれていた。そしてそれを体現してくれていた。たとえば、「電話が入ったら、すぐかけ直す」とかね。返事が「その日は無理です」という返事だったとしても、すぐにかけ直す。「連絡がつく」というのが大事だと教えてくれていたんだ。条件交渉をするにしてもね。仕事を手配する側からしたらどんどん進められるから助かるんだ。もう最近はどんどん使われなくなっているけれど当時は留守電、留守電にあまり頼るな、長ったらしい留守電を入れるなとも教わったね。
そういう、ちょっとした行動でプロフェッショナルな信頼性を感じられるかどうかが変わる。そのちょっとしたことをしっかり教えてくれたんだ、いくつもね。仕事のやりやすや態度もね。
音楽的なことももちろん教わったよ。
例えばオーケストラ演奏においては、トランペットセクションを聴いて、トランペットセクションに合わせるんだと。それは彼らが音の長さ、重み、フレージングなどを確立しているから。
ベーストロンボーンによく音が混ざりこむように、と。特にエキストラ(代奏)のときは。
そういったことは、教えてもらわずに自分で気付くのはすごく時間がかかるからとても助かるんだ。
そうやって、音楽の仕事の世界で生きて成功していくために必要で役立つことをたくさん教えてくれた。価値は計り知れないね。』
Lance
『昔はそうやって、師匠から「プロフェッショナリズム」を教わったよね。十分早めに仕事場に行くこと、周りに親切であること、服装を正しく、スーツケースの中身をいつも確認すること…などなど。』
Andrew
『蝶ネクタイはどんなときも持ち歩く、楽譜も使わなくてもカバンに入れておく、必ず早めに現地入り、絶対絶対絶対遅刻しない。信用を作るのは一生がかりだけど、潰すのは一瞬だと彼は口すっぱく教えてくれたよ。そういったことはわざわざそのテーマで授業をしたりお説教をしたりするんじゃなくて、常日頃の教えの中に常に滲み出ていた。4年間そういう先生と時間を過ごすと、自分の血肉となるのに苦労はしないよ。』
Lance
『ぼくのタキシードには、予備の蝶ネクタイが入れてあるよ。そのタキシードを買ったときにすぐに予備の蝶ネクタイを入れておくんだ。いつか誰かが蝶ネクタイを忘れたときに貸せるし、自分が忘れたときも助かるしね!』
Andrew
『ぼくも一度そういうことがあったよ。30歳くらいの頃。そのときはベース奏者が余分に持っていたから、本当に助かった。一生の恩を感じるよ!いざというときのミスに備えて手を打っておけると、いいよね。』
Lance
『いまカーネギーメロン大で教えているんだけれど、数年前に大学の演奏会の企画で「ツイート実況」というものをやっていたんだ。その企画の演奏会のなかで一度、トランペット奏者が蝶ネクタイを忘れたことがあって、ツイート実況に参加していた聴衆はもちろん、ツイッターでそのことを大いに話題にしていたよ。全世界に蝶ネクタイを忘れたことが実況されたわけだ(笑)』
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第三回【オーディションを、演奏でなくプレゼンで勝ち抜く!】へ続く
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