【質問者】
今、高校1年生で、中学校からホルンを吹いています。今回メールを送らせていただいたのは、私がちょうど1年前くらいから考えていたことに対して、バジル先生の考えを伺いたかったからです。
私は唇が厚い方で、ホルンを吹くときに、下舌唇を巻き込んでしまっています。ホルンを吹くのに唇の厚さはほとんど関係ないというのは、ブログを拝見している中で納得することができました。
しかし、練習していてうまくいかないこと(例えばタンギングがはっきりできなかったり、下唇に舌をついていて発音の違いをうまくつけられなかったりすること)があると「下唇をまきこんでしまっているからなのではないか、このままではこれ以上うまくなれないのではないか…」と下唇を巻き込んでいるアンブシュアのせいにしてしまいます。
もちろん今までの自分が作り上げてきたものなので、悪いものではないことは分かっています。しかし、何をするにしてもその考えが離れないのです。
そのせいか、ほとんど上達がなくホルンを吹くことを拒んでいる自分がいる気がします。
この先長く吹いていくと考えると、私は今、何からするべきなのでしょうか。
お忙しい中だとは思いますが、バジル先生の考えをいただけると嬉しいです。
【バジル】
こんにちは!
こちらの記事は読みましたか?
・金管楽器のアンブシュア恐怖症その1〜わたしのアンブシュア遍歴〜https://basilkritzer.jp/archives/1848.html
・金管楽器のアンブシュア恐怖症その2〜こういうふうに考えてみよう〜https://basilkritzer.jp/archives/1851.html
下唇を巻き込まないアンブシュアが作れて、そしてそれで問題が解決する(あるいはしそう)なら、アンブシュアを変えるといいでしょうね。
でも、そうでもないのなら、もちろんそのままでいいはずです。
下唇を巻きこんでいるのは、分厚いからの可能性があります。つまり、巻き込むことがあなたにとっては正しいアンブシュアかもしれません。
究極の二択というものが思考の整理に役立ちます。
・完璧なアンブシュアで平凡な演奏
・ひん曲がったアンブシュアで完璧な演奏
だったらどちらを望みますか?
もし後者なら、目指すべき・努力すべき・エネルギーを振り向けるべきはアンブシュアのどうこうでなく、よりよい音楽と、自分の上達・成長です。
あなた自身の考察、あなた自身の直感を一番信頼する必要があると思います。そのあたりが引っかかっているのかもしれませんね。
タンギングの際に舌が下唇についている、というケースはさほど珍しくありません。それを推奨するメソッドもあるくらいです。
【質問者】
返信ありがとうございます。
巻き込むことが私にとっては正しいアンブシュアですか…
今までは巻き込んでいることが自分にとってマイナスなことで変えるべきだと考えていましたが、今、私がホルンを吹くために一番最適なアンブシュアを体が作り上げてくれていると考えたら、しばらくそれに手を加える必要はないという結論に至りました。
そして今までも実践していた、
1:口を閉じて
2:マウスピースをつけて
3:マウスピースがしっかりと口についていることを感じて
4:息を吐いて発音する
ことをやってみると、
今まではアンブシュアを気にしていたせいか、一つも変わっている気がしませんでしたが、今日はブログにもあった「アンブシュアの感覚があまり感じられないくらいらアンブシュアのコントロールが必要のない感じ」を感じられた気がしました。
そのおかげで「私でも感じることができた!」と今までアンブシュアを気にしていたのが、馬鹿みたいに思えて、練習が楽しかったです。
アドバイスありがとうございました!
【バジル】
それはよかった!
どういう気持ち/メガネで「いま」を眺めているかで結果が変わってきますね。
バジル先生こんばんは。大学のオケでホルンを吹いている者です。
アンブシュアのことで質問なのですが、現行のアンブシュアよりいい形があるのではないか…という思考の泥沼に今はまっています。
どのようなアンブシュアでも何らかの形で何かしらの要素(音域、ダイナミクス、音色、レスポンス等)に欠点が生じてしまい、それを解決するために(もちろん呼吸法や姿勢などを変えていくアプローチもしていますが)アンブシュアのマイナーチェンジを繰り返し、どこか納得しないまま日々の練習をしておりました。
現在楽器のメンテ中ということもあり、これを機にこの思考の泥沼から脱しようと思っているのですが、何かよい方法はあるでしょうか。
現状のように日々のコンディションでアンブシュアを変えて(これ自体は悪くはないんですよね?)、そのアンブシュアによって毎日違う何かしらの要素を犠牲にしていくというスタンスは、あまりよくないと思うのですが…
このスタンスを数年間続けてきて、それが原因で致命的な不調に陥ったはしていないのが不幸中の幸いだと思ってますが、(自分で言うのも変ですが、新しいアンブシュアや奏法への順応速度には自信があります笑)それもいつまで続くかわかりません。
ご返信いただければ幸いです。
こんにちは。
その泥沼の構造は
1:いまの演奏の限界はアンブシュアが原因だ
2:このアンブシュアではこれ以上成長しない
3:アンブシュアを変えることが(or だけが)上達の方法だ
4:アンブシュアは変えるものであり自然に変わってくるものではない
という前提(おそらく無意識的ですが)において存在する泥沼ですね。
ある意味、「アンブシュア秘宝探し」といいますか…..
さて、考えてみたいのは、この1〜4が本当かどうか、ということです。
基本的に、この1〜4はいずれも、それが事実であるケースは稀なケースだと思います。
つまり、かなりの可能性で1〜4は当てはまらないのです。
1〜4の「真逆」を書き出しておくと、ブレイクスルーとなる「拠って立つ思考法」が見つかるかもしれません。
Ⅰ:いまの演奏の限界はアンブシュア以外の何かが(orも)原因だ
Ⅱ:このアンブシュアでまだまだ成長できる
Ⅲ:アンブシュアを変える以外(こそが or も )上達の方法だ
Ⅳ:アンブシュアは自然に変わってくるものであり、意図的に変えるものではない
これらも絶対全てのケースで真実というわけではありませんが、これらが当てはまる可能性や確率やケースの方がかなり多いとは思います。
ご返信ありがとうございます。
4番の思考はあまり頭にありませんでした。
楽器が帰って来しだい、実践してみようと思います。
また成果を教えてください。
よろしくお願いします。
以前も、相談させていただいたそらです。高校でトランペットを吹いています。
少しまえからチューニング菅をあけても音程がとても高く、なぜだろうと思っていました。
そして、昨日ついに音に雑音も入ってふきずらくなってしまいました。そこで鏡を見てみると上唇に横にシワがよっていて、唇の裏にはくっきりと歯型がついました。
調べてみると、トランペットの粘膜奏法のようでした。
明日、コンクールなのですが今日できることはございますか?
また、何か気がついたことがあれば教えていただきたいです。
…..きっとプレッシャー過多な環境と、真面目過ぎる性格の掛け算で全身も全心も硬くなっているのでしょうね…
明日がコンクールなら、気持ちを思いっきりリラックス、気楽、適当、自分本位な方に向けていくことだと思います。
はい。我ながら真面目すぎて全身ギシギシです。
今日本番でした。
吹けるところだけ吹いて他は同じパートの先輩にお願いしました。
これから、アンブシュアを直したいのですが、何か良い方法はありますか?注意点などでもなんでもいいです。よろしくお願いします。
ちなみに、チューニングB♭も出なくなって、これから沢山本番もあるのですが、初心者に逆戻りです。
アンブシュアは絶対おかしいのですか?
参考:
http://basilkritzer.jp/?s=アンブシュア&submit=検索
あと、休養とリセットがまず必要な気がします….
わかりませんが、今までは上唇に横のシワは寄っていなかったです。
また、トランペットのマウスピースのリムの上から上唇がはみ出しています。唇の厚さは上下薄く下唇はリムからはみ出していません。
以前に粘膜奏法だった友達が2人いて、多分そうだと思うと言われました。先輩には明日にでも見てもらう予定です。
休養は、どうしても取れません。また、夏休みは丸一日で部活の休みは1日もありません。
でも、もし休養しないと解決しない問題だったら、休養しないと解決しませんよ?
上唇がはみ出しているというのは、トランペットをスタートした時からですか?
もうこれ以上は、レッスンに来てもらわないと、本当にアドバイスすることは難しいです。
すみません、上唇がはみ出していたかは覚えていません。ですが、はみ出していなかった気がします。
また、以前のスランプの時からアンブシュアは、自然と変化するものだと思ってきにしないようにしていたらこのようになってしまいました。
どうにか、先生と話すことができたら学校の先生にも聞いてみます。また、レッスンに行ける機会があれば行きたいと思っています。
たぶん、そらさんの場合は不調の根本原因は、疲れ、過労、プレッシャーです。
体の動きとか吹き方に問題が起きてきているとしたら、その原因がたぶん疲れ、過労、プレッシャー。
もしそうなら、どれだけ技術的な分析をしても、練習をしても、アドバイスをもらってもなかなか好転しませんよ。
「休む+レッスン受ける+それを定期的に行う」
が必要になっている可能性が非常に高いと思います。
そらさん
粘膜奏法について調べたんですが、そらさんの書いている意味での「粘膜奏法」という言葉を使うと、
粘膜奏法だと見てわかる優れたプレイヤーも、粘膜奏法だと思われていないけれど実質は粘膜奏法で演奏している優れたプレイヤーってたくさんいます。
だから粘膜奏法だからダメ、粘膜奏法はダメ、っていうのは正しくないと思うんです。
そのひとに合っている、吹きやすい位置があるってだけだと思います。一応報告でした。
先生は、あまり個人レッスンをすすめられないので、長期間通うのは難しいかもしれませんが、相談してみます。
また、明日先輩にもそのことを相談してみます。
先生や先輩の意向がどうであろうと、自分の心と体とトランペットのために自分で考えて、自分に必要なことをやるようにしましょうね!
今日は、先輩に相談しました。今まで吹けていた頃よりは、まだ吹けませんが、アンブシュアを変えて練習しました。チューニングB♭まではコツを掴めば吹けます。先生にはまだ相談していませんが、吹くのを控えめにしています。
これから、もう少し様子を見てみようと思います。
以前もこちらでご相談させて頂きました、ツィンク吹きのひろしと申します。
いつも大変勉強になる記事をありがとうございます。
興味深く拝読しております。
さっそく質問なのですが、数ヶ月前、楽器を手に持った時点で身体が強張っていることに気付きました。
おそらく、ある時点からずっとそうだったのだと思います。
それは、かなり前から演奏後のひどい心身の疲れを感じたり、楽器を持った時に呼吸がしにくくなっていたからです。
こんな状態では楽器を構えることさえも難しく、練習もなかなか進みません。
頭を動かせるように、腕も自由に、音をイメージしてシンプルに演奏しようと試みたり、と色々試してはいるのですが、多くの場合、ほんの一時しかうまくいきません。
そもそも楽器を持つと、今日はちゃんと音がなるだろうか、身体は大丈夫かな、と心配になり音をイメージすることも難しいです。
そこで、今日ふと思ったことがありました。
僕が本当に音楽家になれるのかな。
人より耳も悪いし、技術もないし、今こんな状態だし。
本当に音楽家になれるのかな。
そんな漠然とした不安、恐怖といつからか隣り合わせだったように思います。
小さな頃は、ただただ音楽が好きだという気持ちから練習に取り組んでたように思います。
だから、上達もしましたし、練習も楽しかったです。
それに比べ、今は辛いと感じることがほとんどです。
楽しくありません。
今週末、オーディションがあります。
それに間に合わせるなんてことは、難しいと承知です。
しかし、間に合わなかったとしても出来ることをやりたいですし、オーディション後も楽しく上達していきたいです。
どうか、ご教授頂けますようお願い致します。
ひろしさん
わたしも最近、ジャズの演奏を聴いていてですが、
「こういうふうに、音で世界を創り出せるひとたちに憧れるなあ….こういうことができて、うらやましいなあ….
でも自分はこういうものを、正直持っていないな….」
と感じました。
不思議なことに、そこには安堵感がありました。「自分はそういうひとで、それでもいいんだ」とも思えたのです。
上記した気持ちというのは、ピアノを始めた当初(6歳)からずーっとあった気持ちな気がするし、その気持ちがあったからずっと音楽に関わっているのだとも思います。
いままでは、その「自分はこうではないな」という気持ちを認めるのが怖かったというか、認めたら即、そこで努力する意味もホルンを続ける価値もなくなってしまうと思っていたのでしょう。
でも、ホルンをやってきたことに後悔はないし、これからも続けることは確かだし、音楽に関わる仕事をやり続けることも揺らがない。そういう自分軸がだんだん出来上がってきていたから、ふと認めるのが怖かった本当の気持ちが浮かび上がってきてそれを見て、感じても、自分が揺らがなくなったんだと思います。
これはほんの数週間前の話で、いまはホルンを吹くとき、そういう自分の「正直な気持ち」から出発することを心がけています。それが自分のいまの等身大だから。等身大で演奏すること・練習することを実験中です(実験結果は、とてもポジティブです ^^)。
自分の素直で等身大な在り方が、いちばん力を発揮できるとも思うんです。だから上達するためにも、よい演奏をするためにも、「自分は音楽を演奏する才能が及ばないなあ…このひとたちみたいにはできないな….」という気持ちを隠さず、受け止めて、「それでも吹きたいから吹こう」という動機でやっています。
長く悩んだわたしのあがり症問題も、これにすごく関わっている気がして、本当に良い演奏ができたときはいずれも、ホルン奏者としての評価やステータスやメンツや将来を放り出して等身大になって、「いいや、どうなっても。自分のまんまで演奏しよう」という気持ちになれたときなのです。わたしの場合は。なので、人前で演奏するための準備とは、いかにそういう気持ちをステージに立つ瞬間までに整えるか(整うのは演奏1秒前のこともしょっちゅうです)というふうにいまは自分で自分のために定義して実験中です。
わたし自身のことにひきつけて考えたので、客観的な分析やアドバイスは提供できていませんが、わたしがわたしの真実を少し理解することで等身大という力を得て前に進めているように、ひとはそれぞれの真実を持っていて、それに寄り添えたときに力を発揮できたり、幸せになれたりするのかな、と思っています。
最近はレッスンでも、そうやって直接的に教えたりはしませんが、教えるときに教える自分の真実に気持ちを向け、またレッスンを受けているそのひとの真実のことを想いながらレッスンするようにしています。
さっそくのお返事ありがとうございます!
ホッと胸を撫で下ろしながら拝読しました。
ディスポキネシスの先生がこんなお子さんとのやり取りを教えてくれたことがありました。
(泣いている子供に対して)
先生「悲しいから泣いてるの?
泣いてるから悲しいの?」
子供「泣いてるから悲しいの;;」
今までずっと、身体のこと、奏法のことばかり考えてきました。
でも、バジルさんのお話を聞いて
僕は泣いてるから悲しいんだ
と分かったような気がします。
僕の場合、小さな頃からすっごい演奏を聴いたら、
僕もやりたい!
こんな風に演奏したい!
と興奮して練習や勉強に励んでいました。
でも、出来ない。
やってもやっても出来ない。
そんな理想と現実のギャップに苦しんでいました。
でも、よく考えればすぐに理想の演奏が出来なくてもいいんですよね。
少しずつ理想に近づいて、またその時その時の高い理想に向かっていく。
それでいいんですよね。
等身大ですか。
今の自分を知り、育てる。
そうやって、地味だけどエキサイティングな毎日を過ごせたらなぁと思いました。
大変参考になりました!
当たり前のようだけど、ほとんど自分のことに照らし合わせて考えたことなかったことに気付かせて頂きました。
本当にありがとうございます!
オーディションであろうと、大好きで尊敬する音楽であることには変わりません。
目一杯楽しんでやってみます!
ひろしさん
前を向く気持ちになれたようで、よかった (^^)
やりとりをぜひブログで紹介させてください。
バジルさんのおかげです!
今日は一日気分良く、しかも実りある練習が出来ています。
気持ちが変わるだけで、こんなにも演奏が変わるんですね!
驚きです。
お役に立てるのであれば、ぜひぜひご紹介下さい。
貴重な体験に導いて頂き、本当にありがとうございます!
ひろしさん
ありがとうございます!
ひろしさん
こんにちは。
このやり取りをまとめた記事http://basilkritzer.jp/archives/4625.html を、9月に発売予定の「音楽演奏と音楽指導のためのアレクサンダーテクニーク入門」(学研)に掲載したく思うのですが、ご許可頂けますでしょうか?
突然のことですが、どうぞご検討頂ければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
こんにちは。高校2年生のホルンを吹いている者です。
今度ホルンのマウスピースを買おうと思っているのですが、正直どれが自分に合っているのか分からないような気がします😢
どの観点からマウスピースを決めたらいいでしょうか?良かったらお返事よろしくお願いします。
ららさん
ぼくの知識が少ないところなので、楽器屋さんのホルンに詳しいひとにきちっと相談しましょう!
楽器に構造的に合うマウスピース、合わないマウスピースがありますので!
個人的には
・リム内径
・リムの太さ
・カップの形
・カップの深さ
の順で決めればいいかな、と思います。
試奏するときに、吹くものを決めておきます。
音階2種類、とか。
まず内径のサイズがちがって他は同じマウスピースを3つほど試します。
いちばん吹きやすく気に入ったら内径はそれで決まり。
以下、上に書いた要素別に同じことを繰り返す。
そんな感じで選ぶこともできますね。
Basil