金管楽器奏者のスタミナ・耐久力の問題を考察する

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*この記事は、シリーズ「自己否定方式を見直す」の流れで書いております。

金管楽器奏者にとって、「スタミナ・耐久力」もまた、多くのひとの頭を悩ませる厄介な問題です。スタミナ切れを起こすと、金管楽器の場合は「鳴らしたい音が鳴らなくなる」ということが起きますので、経験したときのショックが大きい問題です。



このショックの大きさ故に、自己否定と結びつきがちな問題でもあります。



【スタミナを付けるという名目で行われる自分いじめ】

演奏をしていて、唇やその周りが疲れてきて音が鳴らなくなったり、痛くなったりしてくる「スタミナ切れ」。

その現象をわたしたちは

「体力が無い」
「筋肉が弱い」
「練習が足りない」

というふうに、何かの欠如として捉えがちです。

しかし、「疲れて音が鳴らなくなってくる」という問題は、必ずしも何かの欠如が原因ではありません。


その証拠に、多くのひとが


疲れて音が鳴らなくなるという体験をする

筋肉・体力・気力・練習量のいずれかの欠如だと思う

そんな「弱い自分」「ダメな自分」を厳しく叱責し、根性を叩き直すために鍛えるような態度で自分自身に接し始め

疲れを我慢してもっと吹けば吹くほど強くなるはずと思って無理して練習を重ね

唇を腫らしたり傷付けたりして

翌日以降まで心身の疲れが溜まり

スタミナはむしろ下落し

集中力・やる気・楽しさ・技術的な繊細さや正確さも悪影響を受けて

そんなダメな自分をもっと鍛えようとする or 疲れて練習を諦める


という悪循環を辿っています。


このように、スタミナ問題は金管楽器の演奏者にとって最も自己否定や根性論に結ぶ付きやすい領域のひとつです。

スポ根精神にわたしたちはまだまだ魅力を感じてしまいがちですね。

練習すればするほど、苦しい思いを我慢すればするほど、いつか必ず「すごくうまくなる」というストーリーがあるわけです。

しかしこのストーリーは、うまくいかなくなると、「せめて自分を犠牲にして頑張ったからエラい」という別のストーリーにすり替わり、どんな問題でも全て「努力不足」という診断と「もっと努力する」という処方箋を出すというところにいつも戻ってしまいます。

その結果、「もっと思い通りに演奏したい」という人間的で芸術的な欲求は満たされないまま問題が放置され、プロアマ問わずより素敵な音楽を奏でられるかもしれない潜在能力の開花を阻んでしまいがちです。

まずは、反射的な自分イジメを保留して、ゆっくり問題全体を一緒に再考していきましょう。




【もっと頑張る方式の落とし穴】

もっと頑張って練習量を増やすことでスタミナを付けようとする考え方にはいくつか落とし穴があります。


① 余計に頑張って、余計に疲れる

スタミナが切れるのは筋肉が弱いからだ。
それならば筋肉を強くしなければならない。
筋肉を強くするためには、疲れを押してもっと頑張って吹くことをやらなければならない。


そういう考え方の展開でスタミナ問題に取り組むと、自分の中のどこかで

「頑張れている=後でスタミナが付く」証拠が欲しい

というような気持ちになってきます。


頑張る事が、スタミナを付けるはずだから、頑張れば頑張るほどスタミナもまた増大する。だから、「頑張れている感覚」をどんどん得たくなります。


ではこの「頑張れている感覚」を何で計るかというと、疲れ具合や労力感です。

そうすると、実は求めているものが「思い通りに演奏を続けられる」という意味でのスタミナではなく、頑張れている感覚そのものを得ようと、いつの間にか目的が混乱してしまうのです。

しかも、「頑張れている感覚=疲れ/労力」ですから、身体では何をしだすかというと、筋肉を、そのときの演奏に必要とされている以上に使い始めます。そうすれば、より速やかに疲労を生み出すことができ、労力感を提供できるのです。


その結果どうなると思いますか?

スタミナが落ちるのです!だって、必要以上に頑張って疲労を蓄積することを身体に要求してしまっているのですから…..


② 現在の限界の効率的な伸張を阻む

スタミナとは、望んでいるような演奏を、望んでいる時間分継続できる能力であると定義するのが良いでしょう。

とすると、スタミナとは必ずしも筋肉や体力の量または強さだけを指しているわけではありません。結果的にあまり疲労しない吹き方もまた、スタミナの向上の重要な側面です。

高い音でも大きな音でも、「それを演奏するための技術」の精度が上がると、よりラクに演奏できるようになっていきます。それは、高い技術=やろうとしていることに対してちょうど必要な量・場所・種類・タイミング・時間の労力を使えることを意味しているからです。

しかしどんな高い技術でも、「比較的まだそれほど精度が高くない時期」が存在します。技術は練習を通して磨かれていくからです。どんなひとでも成長します。それはつまりどんなひとでも比較的未熟な時期や分野を持っていることとイコールです。


技術は、「まだ高まっていないところ=現時点での自分の限界や未熟なところ」にフォーカスして練習することで効率的に高まります。

それは

・音域
・音量
・スピード
・継続時間
・複雑なソルフェージュ
・音楽性

など演奏の諸側面にわたります。


たとえば高い音の技術を伸ばすべく取り組むとすれば、それはその時点で自分が出せる高い音の限界付近を、音階であれアルペジオであれあるいは何らかのフレーズを用いたものであれ題材として用いて音楽的に演奏しようとする行為のことです。

「現時点での限界付近」は、当然ですが技術が未熟です。したがって、必要以上の労力がかかっていたり、必要な労力をうまく使えないでいたりします。ですので、疲れやすい領域です。

しかし、数日〜数週間のスパンで見ると、その限界エリアがいつの間にか以前より簡単になってきます。技術が高まって、必要とされているのによりマッチした量や種類の労力を使えるようるになったからです。

そうすると、以前はすぐバテてしまったようなフレーズが、以前より長時間演奏できるようになっていたり、ラクに演奏できるようになっていたりします。望んでいるような演奏を、望んでいる時間分継続できる能力という意味でのスタミナが増したのです。

スタミナを付ける=もっと頑張る、という方式(実は自分を弱い、練習や努力が足りないと断罪するような自己否定方式)は、このような技術の向上を犠牲にしないと成り立ちません。

なぜなら、効果的な練習が自分の限界に集中的にチャレンジしているものである以上、当然早く疲れるからです。

そうすると、「もっと長時間頑張る」ことが大変になります。なので、自分の限界ではないような音域などを、延々と繰り返しひたすらさらうことが優先されてしまいます。

それでは、技術の向上になかなかつながりません。

やり方によっては、すぐ疲れるような練習こそが、効果的なスタミナ向上に寄与しているかもしれないのです。


③ テクニックの有機的な変化や上達を計算に入れていない

上述した、「数日〜数週間というスパンで起きる技術の向上」は、あまり「自分でやった」ような感じがするものではありません。

あれ、なんだか以前鳴らなかった音が鳴るぞ!?
おっ、なぜかずいぶんラクにこの音が思いっきり鳴らせるなあ??
こないだまでは追い付かなかった指は、いつの間にかできちゃえるようになってる….

上達の多くが、そうして起きます。

上達には、筋肉が強くなったとか大きくなったとかいったことより、脳の中でその演奏に必要な回路が形成されて使えるようになってきたが故に起きているものがたくさんあります。

そういった脳の変化や成長は、練習をやる時間帯ややり方の工夫により大きく影響を与えられるのは確かですが、それでも「自分で直接的にやる」ものではなく、脳(を含む身体)が「やってくれる」ようなものです。

ちょうど、身長が伸びたり体型が変わったりするのも、いつの間にか「身体がやってくれている」ものであるのと似ています。

スタミナの問題も、技術のレベルや質によって大きく左右される以上、スタミナ問題をすべて「もっと頑張る」ことで「自分の力で直接的に」解決しようとするアプローチは、上述した「身体が数日〜数週間スパンで起こしてくれている変化」を無視してしまっています。

無視してしまうと、そういった変化をより効果的に促すような考え方や生活リズム、練習の工夫をなかなかできません。


もっと頑張る、というやり方はこうやって突き詰めると、身体の有機的な変化をむしろ阻害しがちなように思えます。

ここにもまた、自己否定的な根性論がバックボーンになっている「もっと頑張る・もっと努力する」というやり方の落とし穴があるのです。



【練習量について】

では、スタミナの問題と練習量は無関係なのでしょうか?

もちろんそうではありません。

わたしがドイツの芸術大学で5年間師事したフランク・ロイド教授(フィリップ・ジョーンズ・ブラスアンサンブルなどで活躍した世界的ホルン奏者・ソリスト)が話していたことが、非常に示唆に富みます。

ある時、ロイド先生とこういう会話を交わしました。

ロイド先生
「さあ、来月アジアツアーできついリサイタルが何回も続くから、このレッスンが終わったら練習してこなきゃ」

わたし
「リサイタルって、先生でもきついんですか?」

ロイド先生
「ああ、きついとも。だから年中はやらないんだよ。一時期にまとめるんだ」

わたし
「どういうことですか?」

ロイド先生
「普段、レベルを維持したり、ちょっとしたコンチェルトを一曲演奏するだけのことなら、一日40分くらいさらっていれば大丈夫なんだ。レパートリーはほとんど覚えているしね。」

わたし
「40分くらいで足りるんですね」

ロイド先生
「ちゃんと集中して悪い癖をつけずにやるべきことをやろうとしたら、そんなものさ。でもリサイタルは全くちがう。すごくキツいから、1ヶ月くらい前からだんだん練習量を増やしていくんだ。でないと、もたない。アスリートと一緒さ」

まさにその通りだと思います。

「スタミナ」というものは、そのとき求められている演奏時間に応じて準備するものなのです。


大事なのは、

「うまくなるための練習」と「次の演奏会をリハーサルを含めてきちんと吹き切るためのスタミナを準備するための練習」を区別すること

だと思います。


うまくなるための練習
・自分の吹き方を観察している
・変化を促すための実験をしている
・新しい吹き方を作る事や、望んでいる吹き方に調整していく作業なので、かなり集中を要する
・限界へのチャレンジをしている。
・したがって、身体的にも、マインドの活動においても、早く疲れる。必然的に時間は長くない

スタミナを準備する練習
・レパートリーを通しで吹いていくことに重きを置く。
・そのなかでペース配分を把握していく。
・疲れてきて奏法が少し崩れたりしても最後まで吹き切る「特殊工作」的な方法を見出す。
・そういった作業で身体的なスタミナが高まっていく。
・翌日にあまり疲れが残らないように注意しながら、本番にスタミナをピークを持っていくべく、段階的に練習量を増やしていく。

このような指標が、まずは役立つかもしれません。



【プレスについて】

スタミナ切れのもうひとつの「主犯格」として思われやすいのが「プレス」です。マウスピースをアンブシュアに対し接着し固定するための力のことです。

このプレスがアンブシュアの疲労を引き起こす要因のひとつであることは事実です。

しかしそれは「押し付ける力のせい」というよりは、「押し付ける時間の長さ」の方が関与しています。それについては後述します。

まず注意したいのは、

「プレスの量を少なくしよう」とすると、結果的にアンブシュアをもっと疲労させてしまうことが多い

ということです。


それはなぜかというと、マウスピースをアンブシュアに対して密着させ、安定的な関係を維持し続けることは金管楽器で音を鳴らすうえで絶対に必要な条件だからです。しかも、音を鳴らすということに関しては、息を吸うことよりも直接的に重要なのです。


というのも、マウスピースとアンブシュアが離れていたら金管楽器の音は鳴りません。また、隙間があったりすると、そこから息が漏れるなどして雑音が混じったり、音が不安定になったりします。

それほど重要な作業であるにも関わらず、わたしたち金管楽器プレイヤーの多くは、「なるべくプレスしないように」と意識していることが非常に多いです。


そのせいで、

①身体はマウスピースをアンブシュアから離しにかかってしまうような動きを行っています。

②そうすると、接着が弱まります。

③それでもちゃんと音を鳴らすために、やはり接着を強化しようとします。

④しかし、意識ではマウスピースを離そうとしているので、マウスピースをアンブシュアの方へ引き寄せる動きは行いません(禁止しています)。

⑤代替策として次のうちのどちらかもしくは両方を行いはじめます。

・唇や顎をマウスピースの方へと向かわせ、アンブシュアでリムをもっとつかまえておこうとする
→ 音を鳴らすため以外の目的でアンブシュアがさらに酷使され、疲労しやすくなります。

・頭や首をマウスピースの方へ向かわせ、接着を強化します
→ 細いリムと重い頭の間に唇が挟まれ、自覚せずに非常に強いプレスがかかり、血行が阻害されますかなり疲労しやすくなります。


このように、疲労軽減のためのプレス回避が、結果的にはアンブシュアの疲労を高めているケースが非常に多いのです。


このジレンマを解消するのは、意外かもしれませんが、

音を鳴らしている間は、もっと意図的に、よりしっかりマウスピースをアンブシュアに密着させ続ける

ことです。


手と腕でコントロールされた、マウスピースからアンブシュアに対するプレスは、手・腕・唇ではっきりと知覚されます。これは「プレスし過ぎな感じ」に思えてしまいやすいですが、実際には自分がどこに対してどのようにしてプレスしているかをより明瞭にモニターできているのです。

対して、頭と首で唇をマウスピースに押し付けていると、唇が頭とマウスピースの間で挟まれる力はかなり大きいにも関わらず、あまりそれが感じられません。頭と首を動かしているとき、より全身の筋肉が使われ大きな力となっていますが、その自覚がないのです。また、手と腕によるマウスピースの操作より、頭と首によるアンブシュアの操作の方がずいぶん大雑把です。あまり演奏に適していません。

したがって、意図的にマウスピースをアンブシュアに向かわせ、意図的にそちら方向にプレスするようにしてみましょう。手と腕(胸筋含む)を使うのです。


そうするとおそらく

・マウスピースをアンブシュアに対してセットしたときは「プレスし過ぎ」「窮屈」な感じがします
・息があまり入らない感じもするかもしれません。

しかしそれを気にせずに積極的に息を吐いて吹けば

・発音がしやすくなります。
・音の立ち上がりが速くてスムーズ、そしてクリアになります。
・響きが増して、音も大きく聴こえるかもしれません。効率がよくなったのです。
・プレスをしているはずなのに、意外とバテません。

ぜひ試してみましょう。



【リセットの重要性】

先ほど、アンブシュアの疲労は、マウスピースをアンブシュアに対して「押し付ける力のせい」というよりは、「押し付ける時間の長さ」の方が関与していると述べました。

それはどういうことかと言いますと、マウスピースのプレスが唇の血行を阻害し、それにより疲労が蓄積していることがバテの正体のひとつと考えられるです。

音を鳴らすために使っている筋肉の仕事によってアンブシュアが疲労する側面より、血行の阻害により、音を鳴らす仕事の疲労がどんどん蓄積してしまい、疲労が進むのです。

(その点においても、「スタミナ問題を解消するために、アンブシュアの筋肉をより強くするのみ!」というアプローチは若干まとはずれなところがあります)


マウスピースによる血行の阻害を最低限のものにし、疲労の蓄積を予防する(=スタミナを切らさない)ようにするうえで大変有効なのは、

音を鳴らさないときは、マウスピースをアンブシュアから完全に離す

ことです。


マウスピースを意識的に完全にアンブシュアから離してあげる「間」を作り、

・血行の阻害のこまな解消→疲労の蓄積のこまめな解消
・音を鳴らす仕事からのこまめな解放→疲労の蓄積の予防

が両方可能になるのです。


後者は、「音を鳴らす行為のリセット」です。

筋肉は、同じ仕事を続けると、疲労しやすくなります。また、仕事を続ければ続けるほど、同じ仕事の遂行能力ポテンシャルが落ちていきます。

マウスピースを離すことで、アンブシュアが音を鳴らすために行っている筋肉の仕事をリセットし、

・疲労の予防
・筋肉の仕事遂行能力ポテンシャルの回復

を両方行うチャンスを高めているのです。


この「リセット」というアイデアは、アンブシュアだけに限定されるものではありません。

金管楽器で音を鳴らす行為には大まかにみて次のような筋肉の仕事が必要とされています。


①楽器を持ち上げ、マウスピースをアンブシュアに対して固定させ続ける腕の仕事

→ 座奏中は、こまめに楽器をひざに置くなどして、腕をお休みさせるよう意識しましょう。
→ 立奏中は、 楽器を口から離して、下に動かして、肘が伸びれる時間をこまめに確保していきましょう。

②息を吐く仕事
→ 息を吸うことが、「息を吐く仕事からのお休み」だと捉えましょう。したがって、息を吸うことを頑張らないようにしましょう。息を吸うということは、音を鳴らす疲労回復の「お休みチャンス」なのです。

③ベロや顎の仕事
→ 上述のアンブシュアを仕事から解放するのと同じときに、意識してベロや顎に「いまはお休みしていいよ」と心のなかで声をかけてあげましょう。ほんの1拍の休みの間でもこまめにやるようにしましょう。

④音を生み出すためのアンブシュアの仕事
→ 上述の通り


こういった、「リセットする」「休む」「回復する」というアイデアもやはり、自己否定的な根性論の哲学には馴染みません。

意外なほど多くのひとが、こういったアイデアに抵抗やためらいを感じるのはそのためです。あなたもそのひとりかもしれません。

自分自身の演奏能力や芸術性を、自己否定や根性主義から救い出してあげてください。音楽とは繊細な心と身体だからこそ素敵になるものです。根性主義は、それを鈍感にし麻痺させ、潰してしまいかねないものなのです。

Basil Kritzer



4 thoughts on “金管楽器奏者のスタミナ・耐久力の問題を考察する

  1. Pingback: 練習時間・量についての考察 | バジル・クリッツァーのブログ

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